二言三言 : 傷つくのは人心である
文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2018年11月2日】ある日、学法が終わったあと、同修Aさんは、ため息をつきながら他の学法グループのことを話し出しました。Aさんは同修の名前をあげていないのですが、私は聞いているうちに、思わず吹き出してしまいました。それはAさんが、まるで彼女自身のことを言っているように聞こえたからです。
師父は「問題があったときに内に向けて探すことは、大法弟子と常人との根本的な違いなのです」[1] と語られました。確かに、もし私達が皆外に向けて探すのならば、Aさんの言う通りになってしまいます。「あなたは知らないでしょうが、あの地区の人間関係はとても複雑で・・・」と言うのです。
私がAさんに「人を鏡として・・・」と話した途端に、Aさんは口を閉じてしまいました。
実は人心は複雑で、傷つきやすいものです。もし私達が自分が修煉者であるということを常に意識して、自覚していれば、たとえ辛くて楽しくないことに遭遇したとしても、それは自分の心性を向上させるための良い機会であると認識し、それは辛いどころではなく、きっと心性を向上させるための良い機会だと思い、嬉しくてたまらないでしょう。これこそが修煉者のあるべき状態であると私は思います。
次元が限られているため、法に基づいていないところがあれば、同修の指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「大法山東輔導站へ」