多くの怨恨心を取り除いた体験
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 【明慧日本2019年11月24日】『共産主義の最終目的』の中では「恨み」は生命力を持つ物質的存在で、また「恨み」は一種の生命であり、共産邪霊を構成する根本的な要素でもある、と明確に書かれています。邪党文化に浸かった中国人は、頭の中に多くの恨みの因子を持っています。「ねたみ病」をはじめ、他人が得られたこに対しての恨みや、自分の手に入らないものに対しての恨み、「おやじ競争」(自分の能力でなく、父親の金や権力や地位に頼ること)などのネット用語の出現に至るまで、今の人々の歪んだ心のあり方、 心性を如実に反映しています。

 恨むことと嫉妬することは、闘争心とつながっているもので、それは情に左右され、旧宇宙の「私」に由来しており、修煉者が必ず取り除かなければならない執着心です。毎回発正念の時、私はそれを主要の対象として正念を持って取り除いていますが、試練が訪れたときには、やはり常人の考えから神の考えに変わるまでのあがきを経て、ようやく一層一層の根深い怨恨を引き剥がすことができ、そして、大法修煉者の慈悲と圓容、大法の素晴らしさを感じるのです。

 一、兄夫婦に対する「恨み」を取り除く

 兄の目が完全に失明した知らせを受けたとき、私は自分があまり悲しんでいないことを不思議に思いました。兄に会った時も、姉たちのように涙を流すことはありませんでした。なぜなら、私はこの全てが業力によるモノであり、逃れることのできないことと知っていたからです。最初は自分が「情」に対して淡泊になれたのだと勘違いしました。ある日、夫が私に「どうして兄に対して、そのような態度を取るのか?」と話した時、私は「どんな態度って?」と夫を問い詰めたら、「もういい、何にもない、どうせあなたの兄だし」と、夫は私の不機嫌な顔を見て、踵を返し去って行きました。

 私も自分の態度に驚きました。どこから怒りがわいたのかと、自問しました。細々と内に向かって探してみると、奥深くに隠された怨恨心を見つけました。兄夫婦が両親の世話をせず、最後の最後まで何もしていないことに対して恨んでいました。たとえ兄が両親を引き受けてくれても、私もは少しも安心できませんでした。なぜなら、義姉は両親と仲が悪いからです。両親がいなくなった後、彼らは一度も墓参りに行ったことがありません。両親が健在の時に親戚の従兄からある日、「両親のことについて、相談したいことがある」との電話を受けて、私たち姉妹は急いで大雪をかき分けて、実家に戻りました。そこで見たのは、冬着を着て、掛布団に包まって冷たいオンドルの上で縮こまっている年配の両親の姿でした。オンドルの火はすでに燃え尽きて、大分時間が経っていました。その時から、一縷の「恨み」が私の心の中で湧いてきました。

 後で分かったことですが、義姉が母と口論になり、父はかっとなって「出て行っけ、お前の介護は要らん!」と言ったそうです。それ以来、義姉は二度と両親の所に行きませんでした。従兄が私たちを呼んだのは、私たち姉妹に両親を引き取ってほしかったからです。しかし、1人の姉は地元に住んでおらず、遠く離れており、もう1人の姉は舅と姑の面倒も見なければなりません。私だけが娘を連れて賃貸に住んでいました。両親はもうすぐ傘寿(さんじゅ、80歳)を迎える年で、多くの持病があるために、世話と通院しやすいように、私は借金して病院の近くに家を買いました。それ以降、両親は入院する以外の時は私の家に住むようになり、父が亡くなった後、母は本格的に私と一緒に暮らすことになりました。

 私は仕事が忙しく、母の世話もしなければならないため、心身ともに疲弊していました。兄は自分達の暮らしを過ごすだけで、一度も母のことを心配したことはありません。ある日、仕事が終わり帰宅したとき、母が転んで倒れて何日も歩けなくなり、私はとてもつらい心境でしたが、兄が見舞いにきた記憶はありません。その後に、母は床に臥せ歩けなくなりました。私たち姉妹はローテーションを組んで母の世話をし、生涯苦労を重ねてきた母は、ようやく人から世話を受ける安逸な生活を送ることが出来ました。しかし、母はいつも娘の家にいるのは情理に合わないと思い、いつも息子のことを心配し、息子のことを想い、息子が見舞いに来るのを待ち望んでいました。私の知っている限りでは、兄はよく飲み会やマジャンーなどを楽しんでいましたが、めったに母のことに関心を寄せませんでした。ある日、80歳過ぎた母は、もう帰ろうとしていた兄を見て、「あたしゃ、我が子のオンドルの上に座ってみたいな」と話した時、兄はただ苦笑しただけで、帰って行きました。

 また、兄は父親の責任を果たしていないことに対しても、恨みました。現在の義姉は兄の再婚相手で二番目の妻です。兄はこの義姉の連れ子のために借金してまで土地を買い、家を建てて結婚させました。結婚の時、なかば命令のように私たちに、少なくとも500元を包ませました。兄は自身の備蓄を使い果たしたのみならず、3年間かけて継子の住宅ローンまですべて返済しました。その半年後に、兄は失明して見えなくなりました。結局、自分の実の息子には一銭も残しませんでした。大学を卒業したばかりの実の息子は、父親から援助を一切受けず、逆に、父親の病気治療と老後の介護もしなければなりません。私は甥を不憫に思いました。また、兄の内外の区別がつかず、無条件に連れっ子のために支払った大きな代償に対しても恨みが生じ、心がひねくれて素直でなく、利己的で自分のことしか考えない義姉に対して恨んでいました。ひいては「人の行ないは全て天が見ている、いずれ因果応報が巡り、報いを受けるだろう」とまで思いました。その結果、しばらくすると、義姉は息子の穀物干しの手伝いをしている時に、手首を打って骨折したと聞きました。私は自分の一念が間違っていたことに気づき、驚きました。

 師父はこのように説かれました。「人間の佛性とは善であり、慈悲として現れ、何かをするときにまず人に配慮し、苦痛に耐えられることとして現れるものです」[1]。大法に照らし合わせて、私は自分の強烈な怨恨心や善ではないそれらの嫉妬心を見つけました。それはすなわち魔性です! 法の要求に照らして、私は義姉の立場で考慮すると、彼女もまた薄命な人だと思いました。元夫は彼女や子供によく暴力をふるっていたため、子供はよく殴られて柴草のたわらの上で夜を過ごし、貧乏のゆえに生まれつき性格が悪く、教育の面ではほったらかしにされていました。兄もかつて私に言ったことがあります。「判決により子供は父親の方に引き取られたが、しかし、私は子供の母を娶ったからには、この子をほったらかすわけにはいかない」と言いました。兄は義姉のことを理解し、子供を見て見ぬふりをする訳にもいかず、そのようにすれば一生を無駄にしてしまうと考え、義姉を安心させるようにと思い、速やかに彼の生活を安定させました。嫁や家族の制約が解決され無くなれば、心も次第に穏やかになるはずです。いま思えば、兄はどれほど善良な人だったのだろうか! 兄は連れっ子のためにいろいろとしてあげても、一度も「お父さん」と呼ばれたことはなく、兄の目の前で他の人のことを親しく「義父」と呼んでいたのを聞きました。毎年の春の種まきや秋の収穫の時、兄はまずは継子の畑を優先し、その後に自分の畑仕事をしましたが、不平不満の言葉を耳にしたことがありませんでした。

 ここまで思い至ると、私は自分が修煉者であるにもかかわらず、一人の常人にも及ばないことを恥ずかしく感じました。いま、私は暇があれば兄の家に行き、ものを買ったりして手ぶらで行ったことはありません。また、兄夫婦たちを家に招いて食事会を開き、世間話をしたり、レストランに連れて行ったり、彼女たちに家族の暖かさを感じさせました。義姉も以前と変わって、私たちを見て人一倍の怨言を吐くのではなく、「今までこんなに悠々自適に生活したことがなく、いつもあなたの兄と手をつなぎ離さないよ」と、冗談を言うようになりました。師父は私たちに「相は心から生じるのですから」[2]と説かれたことがあります。また、「観念転ず腐敗物は滅し」[3]について、私はこの法理をさらに深く理解できました。

 二、「鉄が鋼にならないことを悔む」という情を放下する

 昔から「その能力が無ければ、無理に難しい事をするな」という諺があります。例えて言えば、人は何か一つの技術をもって、初めて社会に立脚できます。娘は会計を学んでおり、私は娘に卒業後の就職に備えて、会計士の資格を取るように督促しました。しかし、娘は頑なにそのことを重要視せず、3回も試験を通らなかったのです。私の督促の元で、公務員資格も一度挑戦しましたが受かりませんでした。さらに就職試験を一度受けましたが、結果はたったの20点でした。私の怒りはついに爆発し、昔のありとあらゆる小さなことまで思い出して、こっびどく娘を叱りました。娘も理にかなっていないと感じて、来年もう一度試験を受けると言いました。

 しかし、娘は参考書を買ってき来ても、まったく勉強しません。私はまたブツブツ言い始めました。ある日のこと、ついに娘は私に向かって「私にかまわないでよ! 資格がなくても別に餓死することはないし、あんたの何処が修煉者らしいのよ。速く私に対する情を捨てなさいよ!」と大声で言われました。これはもしや、師父が子供の口を借りて、私の目を覚まそうとされているのではないかと思い、直ちに内に向けて探しました。そして、表面上は子供のことを思っているようだが、深く掘り下げてみると、私は自分の子に立派な職業に就かせ、同僚の友達の前で見栄を張るための名利心があること、また、後天的観念といわゆる人生経験を用いて子供を指導しようとしても、人の一生はあらかじめ決められていることを忘れていたこと、私のしたことは根本的に子供の運命を変えられないこと、その上、自身にも重い執着心があることなど、多くのことを悟りました。

 自分の仕事上のことを連想すると、生徒に対しても「鉄が鋼にならないことを悔む」の説教と処罰をしたことがあり、これらすべてに怨恨心、闘争心、利己心、独りよがり、教師面をするなどの執着心を含んでいました。これらはすなち旧宇宙の堕落した物質であり、共産邪霊が私たちに注ぎ込んだ毒素であり、その目的は私を成就させないためです。それが分かった私は強大な正念を発し、それらを消滅しました。

 私がこれらの漏れを認識すると、その後、娘は自分で仕事を見つけて独立しました。しょっちゅう私に電話をしてきて、日常の様子を知らせてくれます。私の心も平静になりました。

 大法は私を「恨む女」から「理知的な女性」に変えてくださいました。法がこの世を正す最後のこの時期に、師父の教えをよく守り、良い人間を目指し、さらに良い生命となり、大法弟子の周りの人達がその善良さや、誠実さ、寛容さを目にして、中国共産党の虚言を見破り、法輪大法の素晴らしさを証明し、より多くの衆生を救い済度できるようにと願っています!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性と魔性」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『洪吟』「新しく生ず」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/10/13/394518.html)
 
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