「失うものがあれば得るものがある」を体得する
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本賢2019年5月25日】私は1997年の春に大法修煉を始めました。二十数年の修煉を通して私は法輪大法の奥深さと超常さを切実に感じました。ここでは自らの体得を書き出し、皆さんと分かち合いたいと思います。

 一、修煉を始め、身を持って受益する

 1997年、30歳の私が修煉を始めたきっかけは病気治療ではなく、大法修煉をした妻の変化を見て感動したからです。妻は、煉功する前は体が弱くて家事をする気力も無いようでした。しかし修煉後、妻は心が優しくなり、体が健康になって、家事もしっかりこなせるようになりました。ある日、私は無意識になんとなく『轉法輪』を開き、読んで見ました。当時、一部の同修が覚えた感動と興奮はなかったのですが、本の中に書かれたいくつかの道理が、私の心に響きました。人生の苦しみには、それなりの理由と原因もあることが分かりました。そして、師父が「苦去りて甘来たる 是れ真の福なり」[1] とおっしゃいましたので、私はそれを信じて、修煉を始めました。

 体調が悪い時、例えば腰の筋を痛めたりすると、私は慌てて病院には行かず、心を静めて大法の本を読みました。最初の頃、珍しいこともあって、毎朝煉功拠点に行って功を煉り、時間があれば本を読みました。ある日、椎間板ヘルニアの症状が現れました。腰が痛くて眠れず、足まで痛くなり、数日間はほとんど浅い睡眠しか取れませんでした。師父は「本当に修煉をしようとする人の身体に、病気があっては修煉できるわけがありません。ですからわたしは身体を浄化してあげなければなりません」[2] と説かれました。この腰痛には理由があると悟り、私は心を落ち着かせ、病院に行かず、足を引きずって出勤しました。1カ月後、腰や足の痛みが消えてなくなりました。

 二、修煉して器を大きくする

 大法は私に健康な体と大きな心を下さいました。以前の私は何かに遇えば我慢することができず、すぐに怒りを爆発していました。大学にいた頃、友達は「お前は異なる意見をまったく聞き入れてくれず、自分の意見と合わないとすぐに反撃する!」と文句を言いました。家で親と話をしても、耳の痛い言葉や忠告を聞きたくありませんでした。それに、私はよく不平不満をこぼし、「怨恨心」もありました。修煉をしてから、私は心を修め、次第に他人を許すようになり、相手のことを理解するようになりました。

 2000年、私は不当に留置場に拘禁されました。甥は親戚を誘って留置場に来てくれ、私と面会しようとしましたが、一番上の姉の息子は「僕にはあんな叔父はいません!」と、私との面会を断りました。解放後、彼の家は民事訴訟を起こされ、彼は私に有名な弁護士に依頼してほしいと頼んできました。彼が当時言った心にぐさりと刺さった言葉を思い出すと、彼の頼みを断ろうと思いました。しかし、師父の教えである「常人の苦楽を記さざれば  乃ち修煉者  世間の得失に執せざれば  羅漢なり」[3] を思い出し、私は「怨恨心」を放下して、彼に力を貸しました。

 勤務先の法輪功への迫害を担当する幹部の娘は、ある日、修士論文を持って来て、添削してほしいと頼まれました。私は一瞬、躊躇しましたが、修煉者の要求に基づいて考えれば「修煉者には敵はいないはずだ。彼女の父親は法輪功への迫害に参与したが、娘の彼女には罪はない。大法弟子は『善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです』[4] でなければならない」と思うと、私は彼女のために難しい修士論文を添削しました。当時、私は学校の教職から外され、新聞や雑誌を管理する雑用をしていました。

 三、大法を修め、欲を無くす

 新聞や雑誌を管理する仕事は、事務室に大量に溜まった古い新聞、雑誌、答案用紙などを処理しなければなりません。古紙回収者から代金をもらうと、それを自分のものにしても誰もチェックしません。それはちょっとした儲けになるのですが、修煉者としての私は毎回古紙回収者からもらった代金をコツコツと貯金し、事務用品、例えば、ペンチ、やかん、電気ドリル、生花(新聞紙は臭いがするため、室内の空気清浄化用)、辞書、電気ストーブ、ミネラルウォーターなどを購入しました。

 「桃李(とうり)もの言わざれど 下自ら蹊(こみち)を成す」と言われるように、大法弟子の公明正大な姿は世間の人の目に留まりました。私は江沢民を告訴した後、勤務先は上からの厳しい圧力に屈して、私に懲戒処分を与え、私を転向させる会議を開きました。そこで私は自分が今までやってきたことは間違いではなく全て正しいことだと皆に話すと、皆は理解してくれ、転向などの言葉は一言も出なくなりました。

 四、損得を見やぶり、悠々自適の生活をする

 19年間、私は極めて不公平な扱いを受けました。しかし、私の心には光が満ちていました。

 今の中国では、道徳水準が著しく低下し、学術の世界でも不正行為が横行しています。しかし、私が指導する修士は皆真面目でコツコツと研究し、発表した論文もすべて実力作で、高く評価されました。経済的な迫害を受ける中、私は勤勉な態度と健康な体で、困難に耐え苦労をいとわない修煉者の精神で、今日まで歩んできました。そして、生活上、他人が持っているものは、私も持っているといったような一般的な普通の生活が出来ていました。

 息子は家庭のことで悩み、不登校になり、性格も悪くなりました。周りの人は「この子はもうだめだ」と嘆きました。しかし、大法のご加護の下、その後、息子は体が健康になり、学業も優れ、私達と共にもっと苦しい時期を乗り越えました。彼は順調に一流高校、一流大学に進学し、そして一流大学の修士課程を経て、いい就職が出来ました。

 「人はあなたから借りができたら、神様は返してくださる」と言う人もいます。確かにその通りでした。私達がやるべきことをやれば、大法は私たちにあるべきものをすべて下さいました。大法の「失うものがあれば得るものがある」との法理が再度実証されました。

 大法は私に人生の真理を分からせてくださいました。大法は私に新たな命を下さり、私の心を昇華させ、浄化してくださいました。人間は決して物質的な豊さを求めるために生きているわけではありません! 返本帰真するには、大法は正に羅針盤のようなものです。

 心から師父に感謝いたします!

注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「迷いの中で修める」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の詩:『洪吟』「三界を跳び出る」
[4] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「境界」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/4/29/375197.html)
 
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