自分を見つめ直し 家族に真相を伝え憎しみから善へ
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文/中国の大法弟子    

 【明慧日本2020年4月16日】師父は「修煉する人 自らの過ちを探し 各種の人心取り去ること多し 大なる関小なる関、落さんと想ふべからず 正しきは彼 過ちは私 何を争ふものか」[1] と説かれました。

    私は師父の大法を学んで、心性が大幅に向上し、執着心も多く取り除くことができました!

 以前の私は随分せっかちで、他人への不満を強く感じていました。人に法輪功真相を伝える時など、上手く言えず行き詰った時など、すぐイライラして焦る気持ちを抑えられなくなりました。

 特にこの悪い癖は、家族と関わるときにもっと酷くなりました。私は一家の主人として、二言三言、言ってはすぐに怒り出し、大声で強く「私たちは家族だろう? 私がお前たちをを傷つける訳がないではないか! 師父は私達に真・善・忍に基づき、良い人になるように教えて下さったのに、私のどこが間違っているのか?」と、いつも言っていました。家族の皆が黙って聞けば、まだ何も起らないのですが、もし口答えでもしようものなら、もう自分の感情が高ぶって抑えられなくなりました。

 争う心(闘争心)もよく現われ、自分は正しいと思い、絶対に人に譲ることがなく、皮肉を言ったり人の欠点を指摘したりして、凄い剣幕で怒ったり、とにかく思いっきり文句を言い、その闘争心は耐え難いもので、家族の前では自分が修煉者であることを完全に忘れていました。また時には、私の言葉で相手を逆上させ、業力を作ることを恐れてそれ以上何も言えなくなり、自然の流れに任せてしまうときもありました。時には人を恨んで無視し愚痴ばかり言って、自分自身の非を探すことはなかったのです。

 いつも師父の「真・善・忍」を念じていましたが、私の口から出た言葉の中に「真・善・忍」はどこにもなく、微塵も感じられませんでした。それは、私が師父の弟子である事に相応しくなく、ましてや自分の家族さえ救う事も出来なかったのです。それでも私は大法の弟子でしょうか? 本当に恥ずかしいことでした!

 あるとき、私の息子が運動していたときに呼吸がとても辛そうでした。そんな息子を見て、突然私に慈悲心が湧き、彼に声を掛けました「こんなにほんの少しの運動で疲れてしまうの? 師父は私達に五式の煉功を教えてくださったよ。毎日煉功を3時間、ずっと続けていくと身体が全然疲れないし、煉功すればするほど身体が軽くなり健康になるよ。大法は本当に素晴らしく、師父は私達に大法を与えて下さった。こんなチャンスは二度とないと思う。君も煉功を試しにやってみたら、大法を一緒に勉強してみない?」

 息子は何も言いませんでしたが、態度はいつもと違いました。晩御飯のあと、驚いた事に彼は私に「父さん、リビングルームで待ってるよ。皆に大法のことを話してね」と言いました。私はすぐに立ち上がって「いいよ」と言い、『轉法輪』を持ってリビングルームに行きました。そこにはなんと家族みんながソファーに座って待っていたのです。私は嬉しさのあまり身体が震えました。家族には今まで悔し涙を流していましたが、今日はとても嬉しい涙でした!

 家には色んな通信手段がありますが、安全のためにあまり利用していません。息子たちにまず本を読んでみるように伝え『轉法輪』を渡しました。皆、本を受け取って黙々と勉強を始めました。

 最近、感染症の影響で環境が大きく変わり、家族は学法の機会が以前より少なくなりましたが、確かな変化がありました。

 自分でも、焦る気持ちやすぐ文句を言うなどの執着心が修煉によって少しずつ取り除かれ気分が落ち着きました。真相などを伝える気持ちが湧いて来て、心が広くなると考え方も変わり、心性も向上しました。

 これらすべては大法が私に与えて下さった力です、心から大法は素晴らしいと思います! 師父に感謝を申し上げます。ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪師父の詩:『洪吟三』「誰が是 誰が非」
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/3/28/403070.html)
 
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