観念を変えれば 全てのトラブルは良い事になる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年5月24日】師父は『ニュージーランド法会での説法』で、弟子の質問に次のように回答されました。

 弟子:「魔性がとても強く、周囲の環境も良くないのですが、どう対処すればいいでしょうか?」 [1]

 師:「これは全てあなたの修煉と関係があると思います。あなたの業を滅しているか、或いはあなたの心性を高めるためです。ですから、あなたは正しく対処しなければなりません。困難な情況におかれた人もいますが、あなた達は修煉者ですから、それは皆さんにとって良いことなのです。自分にとって何も良いところがないと思っているのは、常人の考え方で、他人のせいにし、不公平だと思い、自分はそのように扱われるべきではなく、もっと良くされるべきだと思っているからです。しかし、煉功者の立場でみた場合、誰もがみな良くしてくれるのであれば、どのように修煉するのですか? あなたの心はどのように暴露されるのですか? どのように向上するのですか? どのように業を滅するのですか? こういう問題ではありませんか? ですから、出遭った全ての魔難に対して、嫌がる心を抱かず、正しく対処すべきです。あなた達は修煉者ですから、私とは違います。もし、誰かが私や大法にこのようなことをしたら、それは法を正すことを阻む邪悪な破壊なのです」 [1]

 長い間、私は質問している弟子と同じ状態でした。法に則って法を認識できず、周りの人は皆魔性が強いと思い込み、自分の原因を探しませんでした。今、「如何なるトラブルも良いことで、自らを探さなければならない」とやっと分かりました。

 父親は短気で怒りっぽい人です。個人修煉の立場から見れば、父親とのトラブルは、自らの業力を転化させ、心性を高める良い契機と見なさなければならないのですが、観念に妨げられ、私はいつも常人の「父慈子孝」(父は子を慈しみ、子は父に孝養を尽す)という基準で親子関係を評価していました。したがって、父親が怒ると、父親に慈しみがない、父親が悪いと思い、父親を許せませんでした。

 実は修煉者としてトラブルに遇うことは良い事で、それによって心性を高め、業力を転化することができ、常人の立場から見ても、親が怒ることは子供のための場合が多く、その上、年を取ると体力が衰えて怒りっぽくなるのも理解ができることで、親ばかり責めてはいけないと思いました。

 師父は「魔難がやってくるとき、本性の一面から認識することができず、完全に人間の一面から理解しているため、魔はこれを利用して尽きることのない妨害と破壊を行ない、学習者は長期にわたり魔難に陥っています。本当のところ、これは人間の一面の法に対する認識不足から起こったことで、人為的に皆さんの神の一面を抑制し、つまり皆さんが修めてできあがったその部分を抑制し、法を正すのを阻んでいるのです」 [2] と説かれました。

 毎回、トラブルが起きる時、私はいつも悩んで親のせいにし、それを良い事と見なさず、自分の修煉を妨げました。「すべてのトラブルにはそれなりの理由があり、それは衆生が我々の救い済度を待っており、それらを良いことと見なさなければならず、それらを通して心性を高め、自分の業力を転化しなければならないのだ」と、やっと分かりました。

 家庭の中でも、仕事の中でも、いつでもどこでもそうですが、すべてのトラブルは我々を向上させるためにあるのです。すべての生命、周りのすべての人が私達の救い済度を待っています。自分をしっかり修め、この歴史的な使命を果たさなければならないと思いました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『ニュージーランド法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「道法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/4/20/403944.html)
 
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