根本的な観念が変わらなければ 真の修煉者ではない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年11 月2日】外地に住む叔母(同修)が突然亡くなり、考えもしなかったことが急に発生しました。叔母は長年病業の中にいて両足の痛みで力が入らず、最近になって外出することも出来なくなりました。しかし精神状態はよくて、楽観的な人でした。数年来、叔母は三つのことを行なっており、電話を通して交流する中で、法に対して固く信じていると感じていました。

 しかし、叔母の長女の話によると痛みに耐えきれない時は、痛みを緩和するために薬を飲んでいたそうです。叔母が亡くなった原因は、従姉妹が叔父に痴呆の予防薬を買い、叔母は自分の病状にも合う薬だと思い、2回ほど薬を飲んだところ、突然、心筋梗塞で亡くなりました。

 大法に対して好感を持っていた家族は叔母が亡くなった後、無理解になり、見方がすっかり変わってしまいました。家族は叔母が大法を固く信じて、あのように苦しみを嘗め尽くしても、病業の中で頑張っていたのにこのような結果になったのを見て、他の宗教を信じた方が良かったとまで思っているようです。私は従姉妹と交流しようとしましたが、電話で説明できる話ではありません。そこで私は多くの苦しみを嘗めたことは、それほど価値のないものなのかと思いました。

 また最近、1人の同修と出会いました。彼は二度の迫害を受け、表向きは同修の供述により9年間に渡り、刑務所に収容され酷い迫害を受けました。彼は同修に会うと自分は同修の供述で迫害を受けたと、いつも不満を言い、信じられる同修が誰もおらず、自分こそが真の修煉者であり、誰よりも修煉がよく出来ていると、他の人達を見下していました。そのために心の扉を閉ざして外出もせず、人と接触しなくなり、体に異常な状態が現れ始めたのです。

 この二つの出来事について、私は真剣に考えてみました。彼らにはなぜ不満があるのか? 私達は修煉を始めた時から、師父が「世上の苦に堪え得れば、世を出ずれば是れ仏陀」[1] 説かれているように、修煉とは苦を舐めることなのです。

 迫害がすでに発生している中で、師父は邪悪の計略を逆手に取りって大法弟子を鍛え上げ、魔難の中で大法の法理を悟らせ、大法修煉の中で成熟させ、試練を乗り越えさせて、円満成就に向かわせておられるのです。

 師父はこうおしゃいました。「皆さんが行なった法を実証することの中で、どのような具体的なことに遭っても、皆さんに教えたことがありますが、それはいずれも良いことで、それはあなたが修煉したから現れたことです。あなたが思っている如何に大きな魔難にしても、苦痛にしても、いずれも良いことです。それはあなたが修煉したから現れたことです。魔難の中で業力を消すことができ、魔難の中で人心を取り除くことができ、魔難の中であなたを向上させることができます」[2]

 長年修煉してきましたが、もし心の底から修煉の本質を認識できなければ、表向きではどんなによく出来ているように見えても、心の深くに常人の観念を抱いて放さず、常人の安逸、幸福や健康を追求しています。そして、それらを得ることが出来なければ怨み、やる気を無くしてしまいます。それは根本から自分を修煉者として見なしていないからです。

 魔難において内に向けて自分の原因を探さず、自分の不足や隙を探さず、目を外に向けて、他の人が自分を不公平に扱っていると思います。引いては、師父には出来ないことはないし、行なえないことはないのに、なぜ、その同修を救えなかったのかと、師父と大法に対して動揺し、疑い始めるのです。これでは真に修める弟子と言えますか? これらは常人の起点からの考えで、求める心を抱いて大法を学んでいるため、得ることが出来なければ、怨恨心や失望が生じるのです。

 この二つのことを通して私が認識したことは、根本的に観念が変わらなければ、真の修煉者にはなれないのです。人心を用いて法に対処し、常人の観念を用いて超常的なことを考え、それでは木に登って魚を捕るようなもので、永遠に達成することは出来ず、修煉の路からますます遠ざかってしまいます。

 師父はこうおっしゃいました。「二人の間にトラブルがあって、第三者がそれを見たら、この第三者まで自分のどこに間違いがあるのか、なぜ私がこれを見たのかと考えるべきです。ましてトラブルの当事者はなおさら自分を見るべきです」[3]  。このような問題を私が見たからには、私も常に注意して自分の奥深く隠れている常人の観念を見つけ出し、それを取り除き、真に修める大法弟子にならなければいけません。

 これは一個人の悟りであり、法に符合していないところがあれば、ご指摘してください。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法八』「二〇〇八年ニューヨーク法会での説法」
 [3] 李洪志師父の経文:『美国東部法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/9/11/383406.html)
 
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