文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年5月7日】私は2015年から法を書き写し始め、すでに2回書き写しました。1回目は漏らした文字や文言が多かったのです。法を書き写すことの厳粛さについて重視せず、書き写すために書き写していました。2回目は1回目より漏らした文字や文言が遥かに少なくなり、文字をさらに真面目にきちんと書きました。3回目は法を暗唱してから、書き写しました。つまり1、2センテンスを暗唱しては、その内容を書き写しました。こうすることで、とても良い効果を収めました。師父は絶えず、法理を悟らせてくださいました。法の暗唱と書き写しを通して、ますます大法弟子として心を静めて学法し、心を修めて内に向かって探し、絶えず人心や人間の観念、欲望、執着を捨ててこそ、初めて絶えず向上できると分かってきました。師父は「修は己にありて、功は師にあり」[1] と説かれています。
一、法を暗唱し、書き写す中で、絶えず人心と執着を捨てる
1、捨てられなかった大きな執着を修める
一度夢の中で師父は私を悟らせてくださいました。夢の中で私は、古い敷き布団や掛け布団をいっぱい積んだ大型トラックの後ろに乗り、そして、四季に着替える服の上に座って、これらの服を守っていました。トラックは走っていましたが運転手はおらず、トラックは頭のない蠅(はえ)のようにやたらと走り回っていました。そして緑地帯に突っ込んだところで、私は目が覚めました。そこで私はこれらのモノをすぐに処分し、再び執着してはならない、これらが真の自分の家に帰ることを妨げていると悟りました。そして3回ほど処分しましたが、まだまだたくさん残っています。
一度夢の中で私は野原にいましたが、師父は私から300メートル以上離れた所にいらっしゃり、大声で私の名前を呼んでおられました。見てみると師父とたくさんの衆生がみな私の方を見ていました。私はすぐ歩いて行こうとしましたが、古着など要らないものをたくさん抱えているため、一生懸命に師父のおられる方向へ歩こうとしましたが、なかなか前へ進めません。少し歩くと、人間の背の高さの半分くらいの高い土崖(どがけ)に阻まれました。いくら頑張ってもその上に登ることが出来ず、誰かに引っ張ってくれと叫んでも、誰一人として手伝ってくれる者がいませんでした。
修煉の道は自分で歩まなければいけない、誰も手伝うことが出来ないことを私は知っています。師父と一緒にいた衆生は、私が救うべき衆生であると私は悟りました。私は速く自分を修めないといけないし、また一層向上しないといけません。私が上へ修めていけなくなったら、私が救った衆生をどうすればよいでしょうか。私はすぐにこれらのいらないモノを処分しました。
昨年の夏休みの間、私は長女と一緒に普段使用しない部屋を整理しました。親族が置いていった長年使っていない掛け布団や敷ふとん、それに四季に着替える新しい服やら、古い服のすべてを数回に分けて整理し、処分しました。大型トラック1台分はゆうにあったと思います。一部は寄付し、一部は生活が厳しい家庭に差し上げました。
これらの大きないらない物を処分すると、私の心は軽やかになり、部屋も広く、キレイになりました。
2、心を静めて学法し、煉功、発正念をする
師父は私達にこのように説かれました。「煉功するには、徳を重んじなければなりません。良いことを考えることができないにしても、悪いことは考えてはなりません。いちばん良いのは、何も考えないことです」[1] しかし、私はあれこれくだらないことを考え、考えることがないと物語まで作って考えていましたので、どうして心が静かになりましょうか。内に向かって探してみると人間のもの、執着するものが多すぎることがわかりました。
修煉するのにも全く緊迫感がなく、焦らず、慌てず、ゆっくりとしていて、自分の主意識を緩めたため、邪悪に隙きに乗じられてしまいました。邪悪に制御されてしまい、よくサタンの顔や邪なものが見えていました。咳が出たり、喘(あえ)いだり、痰を吐いたりして、学法と煉功、発正念の時も心を静めてやることが出来ず、この虚像は非常に長い間持続しました。旧勢力の按排された道を歩んでしまい、数年間この次元から抜け出すことが出来ませんでした。
師父は説かれました。「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[2] 法を暗証し、書き写してから、師父は絶えず私に法の内涵を現してくださいました。その後、ただ暗唱だけをし、書き写すのをやめました。夢の中で、師父は私を悟らせてくださいました。私はオートバイに乗り、後ろには娘の子供を2人乗せて、大きな坂道を走っていました。すばやく上まで走って行きましたが、突然目の前の道がなくなりました。下を見ると、隣に平らな道がありましたが、私達はその道から非常に高い所にいて、どうやって下へ飛んでそこまで降りられるのか焦っていたところで、目が覚めました。
娘の子供2人は私が連れて修煉るすべきだと、私はすぐに悟りました。また以前のように暗唱してから書き写した方が法をはっきり認識でき、記憶がしっかりするため、法が私の修煉を指導してさらに速く向上させることが出来ることがわかりました。私はまた1センテンスを暗唱しては、それを書き写しました。今は2回目に暗唱後、書き写すようにしています。いま第三講を暗唱し、書き写しています。この学法方法をずっと続ける予定です。
法を暗唱してから書き写すことを通して、たくさんの法理が分かり、外に向かって探す状態から、完全に自分を修めるようになりました。相手の現れから自分を探しました。自分が変わったら、相手もますますよい方向へ変わりました。例えば、弟と弟の嫁との間のトラブルや、連れ合いとのトラブルもなくなり、自分の修煉環境が緩やかになりました。偶(たま)に現れたらすぐ正し、邪悪な要素に自分の場を提供しません。主意識を自分が制御することが出来るようになりましたが、この過程は非常に長い期間かかりましたが、少しずつ是正できました。
二、法を暗証し、書き写す中で、人間の観念を取り除く
朝遅い時間に起きても水を飲まないといけず、座禅が終わった時も、疲れを感じるとしばらく横になりました。発正念後にもしばらく横になりましたので、学法すべき時間を無駄にしました。これらは習慣ですが、何の習慣でしょうか。人間の観念にほかならず、観念は私を阻み、修煉に対して厳しく対処せず、修煉を緩め、緊迫感がなく、高い基準で自分を要求しませんでした。
師父は私達のために時間を伸ばすために巨大な代価を支払われました。すべては私達をなるべく速く向上させ、法を正す進展に追いつかせ、圓満成就させるためです。しかし、私は時間を大切にせず、自分を緩めて安逸を求め、少しの苦をも舐めようとしなかったため、師父の説かれた「苦の中の苦に耐え」[3] にはまったく及びません。
師父はこう説かれました。「何かを行なうとき、大法で自らを量ることができなければ、正念で問題を考えることができず、問題にぶつかったら法に則っていなければ、あなたは常人にほかなりません。何の区別もありません」[4]
修煉して22年が過ぎましたが、人間の観念を少しずつ取り除いて、やっと本当に自分を修めることが出来るようになりました。
今後、小さなことから自分を修めるようにし、自分のすべての考えをしっかり修めます。修煉には基準があります。基準を満たさなければ、絶対に上へ修めていけません。師父は私達を大切にされています。師父の法を正されることを手伝う神々も、私達を大切にしていますので、私達はさらに自分たちを大切にすべきです。なぜなら、私達が救った衆生には、また彼らにも自分の衆生がいて、救われるのを待っているからです。私達の責任はどれほど重く、大きいのでしょうか! 考えれば考えるほど責任は重大で、果たすべき使命であり、責任を負い、師父の要求される基準、法の基準を満たしてこそ、速く向上できると感じました。緩めず絶えず三つのことをしっかり行い、法を正す進展に追いつき、基準を満たしてこそ、やっと師父に迎えられ、自分の本当の家に帰ることが出来ます。これからは、絶対に倍くらい頑張ります!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
[3] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「一、功法の特徴」
[4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」