文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年4月10日】師父は「これを自分で取り仕切れますか? とても無理なことです。それらすべてを師が段取りをして、やってくれるので、『修は己にありて、功は師にあり』と言われるのです。 あなた自身はそういう願望を抱いて、そう思うだけで、実際のことは師がやってくれるのです」[1] と説かれました。師父が説かれたこの説法に私は深く感銘しました。
娘は博士課程を学んでいた頃に結婚し、娘婿は他の省の人でした。親戚同士が孫をせかして再三に催促され、2016年に娘は女の子を出産しました。娘の姑が休みを取って、遠く離れた所から赤ん坊の世話をしにやって来ました。夏休みが始まると娘は仕事を一つ見つけ、一方、姑も家に帰って仕事を再開しました。ちょうどこの頃に私も退職しました。娘の仕事場がある都市へ行くには2時間も離れているので、普通に考えると赤ん坊を私の所で預かれば最適でした。
そして娘が学校を休んでいる時に、私の家で休暇を取りながら、この時期に娘も正式に大法修煉に入りました。私は娘と交流しました。私がもし赤ん坊の世話をすれば、三つのことが何も出来なくなることを娘に告げました。これは旧勢力の按排ではありませんか? しかし、乳飲み子を遠く離れた娘の姑の家に送るのは、娘の方が別れ難いかもしれません。私はどちらを取ることもできず、板挟みになりました。娘が仕事に行く時間が日一日と迫ってきて、どうしたらいいのでしょうか? 私は娘と再度交流しました。師父がどのように按排されても、そのように行いましょう。師父が按排されるのは必ず最良の方法だから、私たちは心を放下し、絶対に旧勢力の按排の道を歩まないようにすることにしました。
翌日、娘は「お母さん、姑が明日にでも赤ん坊を故郷に連れて来なさいだって。舅が世話をしてくれるそうよ」。突然のことでした。師父に感謝いたします。私は「師父の按排はこんなにも良いのだから、私たちはただ良く行いさえすればいいわ。師父に申し訳が立つように、なるべく最大限に努力して、三つのことを良く行いましょう!」と娘に言いました。
ある日のこと、夫が純な無垢材(むくざい)で作られた手の込んだ卓上カレンダーを持って帰って来ました。私が発見したのは、ステンレスの小さな旗ざおに中国共産党旗が掛けられていました。私は夫に「私たちの家にどうしてこのようなものを置けますか。それを廃棄しましょう」と言うと、夫はすぐに烈火のごとく怒り出し、ヒステリックに叫びました。「もしお前がこれを捨てたら許さんぞ!」。しかし私の心はいつも仕事が終わり、テーブルの上にかけられた中国共産党旗を見ると、気持ちよくありませんでした。
ある日のお昼頃、私はまた夫とこの事について話しました。案の定、夫はすぐに顔を真っ赤にして烈火のごとく怒り狂いました。この時、私は突然に悟りました。大法弟子の正念には威力があり、この旗が家に来たのは私がそれを一掃するためであると悟り、すぐに中国共産党旗に向かって言いました。「お前が私の家に来たのは、一掃されるためです」。そして12時になると、私は部屋に入って強大な正念を発しました。邪悪を一掃し、絶対にこの旗を家に留まらせることはしません。この時ドアが開いて、夫が手にその旗をもって、満面の笑みで言いました。「見てみろ、俺は旗をごみ収集車に投げるからな」。大法弟子の正念は本当に威力がありました。
またある時、自分の正しくない一念によって厄介なことを招いてしまいました。私の母親は高齢で気管支炎を患っていて、いったん風邪を引くと肺炎に移行して、すぐさま生命の危険に直面します。もしも、私たち娘の家族の誰かが風邪を引いたら、全員、母親の家へ行くことは許されません、という思いが湧いてきました。
するとある日のこと、私が受け持っている学生が風邪を引きました。私は彼女から少しでも離れようとしました。もしウイルスに感染したら、どうやって母親の家にご飯を作りに行けるだろうか。このように正しくない一念が出てしまい、案の定すぐに風邪のような症状が出てしまいました。夜ご飯を食べる時に全身寒気がして、学法の時間になるとさらに2枚の綿入れの上着を着ましたが、着てもまだ寒くて全身ぶるぶる震え、身体を触るとものすごい熱さでした。
学法が終わってから、1人の同修が言いました。「私たち煉功者は軽はずみな事を言ってはいけません」。それなのに私はつい、三番目の娘が交通事故に遭って、何日も介抱したことを無意識に話してしまいました。それを聞いて子供のおばは(訳注:私から見たら夫の妹)「お義姉さん、私たちは何を言ってもいいのですが、しかしあなたは大法弟子なので好き勝手に喋ってはいけません。あなたは神なのですから」と注意されました。私はこれを聞いて、心にずしんとこたえました。そうです、私も神なのです。神がどうして風邪なんか引くでしょうか!? そう思った瞬間、寒気が無くなり、身体を触ってみると熱くなく、正常に戻りました。
私の体得は、大法弟子の「一思一念」は、必ず法に則っていなければならない、ということでした。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』