文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年3月9日】私は法輪大法を修煉する前には胃腸が悪く、何を食べても駄目で食べると苦しくなり、いつも元気がなく横になっていました。1日中ふらふらして注射も点滴も効かず、漢方薬や西洋薬をいくら飲んだか分かりませんが、やはり相変わらず苦しかったのです。私の夫は村でも有名なほど怒りっぽい気性で、ちょっと話すだけでも怒り出し、怒るとすぐ殴ろうとします。毎日働いて帰ってくる私の元気のない姿を見るだけで怒り出してしまい、「お前が1日中、辛そうにしているのを見るだけでイライラする」と言います。
一、長患いの窮地から法を得て 生まれ変わる
その頃は収入が少なく、私は毎日薬を飲み、夫が苦労して稼いだお金は全部私の薬代に消えていました。しかし私は何もできず、家でやっとご飯だけを作れる状況でした。夫も毎日機嫌が悪く、病気の私をいつも責めました。2人の間にいざこざが絶えず、夫が罵る時、罵れば罵るほど怒ってしまい、いつも怒りが爆発していました。私は罵られても声を出せず、もしも口答えをしようものなら、夫は私を殴ろうとしました。子供達も父親を見て話す勇気がなく、誰かがいさめようとすれば、逆に相手を罵りました。理に欠けているのを私は知っていましたが、話すことも泣くこともできずただ我慢するだけで、うっぷんをため、腹が煮えくり返るほど辛くなりました。
ある時、夫が私を連れて病院に行くと、大門の警備員が入ることが出来ないと告げました。夫は出入口の大きい鉄の塊を持ち上げて、立っている警備員を叩こうとしました。警備員は驚いて室内に隠れて出ようとしませんでした。私も驚いてすぐに「病院はいいので、家に帰ろう」と言いました。その後は病院に通院しても意義を感じず、どうにでもなれと思うようになりました。ある時、生きたくなくなり、取り敢えず、どこでもいいから死のうと考えました。真夜中に私は家を出て死のうとしましたが、村人に発見されて強制的に家に返され、失敗しました。死ぬことすらも出来ず、少し口惜しく思いました。生きているのも苦しみだけで辛く、本当に当時は生き地獄でした。
1996年、私は法輪大法を修煉し始めました。本を読む初日にすぐこの『轉法輪』の本はどうしてこんなに良い本なのか、この世にこれだけの良書があるものなのかと思いました。読めば読むほどもっと読みたくなり、一気に読み終えました。こんなにも素晴らしい『轉法輪』の本や偉大な師父、法輪功に出会いました。これこそ正に私がずっと探していたものです。
煉功した1日目に私は家にある薬を全部捨てました。これから二度と薬を飲むまいと思いました。煉功して数日間で私の体はみるみる良くなり、約半年間修煉すると腸からぶどうより大きく、杏子(あんず)より小さい肉腫が出てきました。それ以後は完全に良くなり、他の人がお湯を飲む時でも、私は冷たい水を飲んでも平気で、生モノでも硬いモノでも何でも食べられるようになりました。体が良くなってからは家事を全部こなすことが出来るようになり、夫も私を見ても怒らなくなり家庭が円満になりました。
二、病業が消え 奇跡が現れる
中国共産党が大法を迫害する以前には、私達は村にある舞台の前で集団煉功をしていました。真冬なのに私は手袋もせず指の10本が全部ひどい凍傷になり、カチカチに硬くなりました。家に帰って一息ついてから、10本の指の爪が全部剥がれ落ちてしまいました。私は家族に何も言わず、心配させたくなかったのでやるべきことをそのまま行い、洗濯と食事作りを普段通りにしました。不思議なことに昼間働く時は痛くないのに、夜になると骨身にこたえるほど痛くなり、10本の指は赤く腫れズキズキと痛み、爪がないところの肉が全部腐ってしまいました。痛い時は密かに忍び、学法して半年過ぎると指に新しい爪が生えてきました。両手の指はもと通りに正常になり、ひどい凍傷だったのに何の傷あとも残りませんでした。
修煉する前に私は深刻な低血糖を患い、ちょっと疲れただけでも、また、太陽に晒されただけでも倒れていました。ある日、修煉後に家で突然倒れてしまい呼吸困難になりましたが、いつも師父の邪魔をしてはいけないと思い、自力で外に這って行き、這い出て人を探そうとしました。しかし這う力さえなく、まるで今にも息が止まりそうでした。私はそのため直ちに「師父、助けて下さい!」と叫びました。叫んだ後はすぐに良くなり、本当に不思議でした。私を救ってくださった師父は、あまりにも偉大です。
ある日私が座禅をしている時、突然腰が痛くなり、その痛みはすさまじく、続けて全身が痛くなり起き上がることさえ出来ませんでした。私はベッドの上に横になって、痛くて髪の毛まで逆立ち、顔色は緑色でした。私は同修が来て助けてくれたらいいのに、と思いました。そう思っていると同修がやって来ました。彼女に横にならずに起き上がって煉功をするべきだと言われ、頑張って起き上がって煉功をしましたが、ちょっと煉るだけで辛くなり、すぐに横になりました。同修はまた厳しく言いました。「横になってはいけません。起きて煉功をしなさい。痛くても煉るべきです」。同修が私のためを思って言ってくれているのがわかり、また忙しい中、私を助けに来てくれたのは容易ではないと思い直し、同修の言う通りに煉りました。
彼女が起きなさいと言えば起き上がり、起きて続けて煉りました。私は歯を食いしばって頑張りました。痛くて全身に冷や汗が出ました。全身の痛みからあちこちが痛くなりました。同修は私が怠けるのを心配して、立ち去る時に夫に「あなたの奥さんを叩いてあげなさい。奥さんに痛い所を聞いて、そこを叩いてあげなさい」と言って帰りました。夫は私が痛くて歯を食いしばっているのを見ると、「どこが痛いのか?」と聞くので、どこそこが痛いと伝えると、夫は直ちに麺棒でそこを叩きました。私は打たれて痛くて痛くて、両目から涙が出ました。私は「あなた本気で打つの!」と言うと、確かに本気で打ちました。そして、私にどこがまだ痛いかと聞いてから、そこをまた容赦なく叩きました。
私には師父がいらっしゃり、大法があり、病気もなく、これはすべて私の押し出された業力であり、私に関を越えさせるものです。少し元気が出ると、私は煉功をし学法をしました。私は3日間食事もせずに学法と煉功だけやり続けました。すると突然、身体が良くなりました。その時夫は「お前が駄目になったら、病院に送ろうと準備していたよ」と言いました。私が突然一気に良くなったのを見て、とても不思議に感じていた夫の目の前で、大法の素晴らしさと不思議さを夫は実際に体験しました。すると夫は外で人々に「法輪大法はとにかく良いものだ。家内が耐えきれないほど痛かったのに、薬をちっとも飲まず、法輪功をして3日で一気に良くなった」と伝えました。
三、夫が強い正義感をもって 対処する
迫害が開始されると、村役場の人員が絶えず家にやって来ては、嫌がらせをして迫害をしました。私は数回不当に連行され、家があっても帰ることが出来ず、毎度、夫は村役場に行って私を釈放するようにと要求しました。
2008年のオリンピック期間中にも、村の同修たち9人が全員強制連行され、私達は薬物中毒治療センターに監禁され、家に帰されず、家族にも通知しませんでした。夫は家に帰って私がいないので、周りの者や親戚、友人の全員に聞いても私を見た者がおらず、夫は同修の家族の所に行って、やっと我々が全員強制連行されたことが分かりました。
夫は先頭に立って他の8人の家族を探し出し、一緒に釈放を求めに行こうとしました。最初は行く勇気のない人がいました。夫は「我々は法律に違反した訳でもなく、村役場の人員らが家族を連行したのだから探し出そう。もしも釈放されなかったら北京に行き、彼らを告発しよう。あなた達は行きますか?」と尋ねました。2人の家族が「行こう。我々の家族が連行されても探しに行かないのか? 毎日彼らを攻めて、釈放させよう」と言いました。
まず村の大隊に行って探しました。大隊の人は関わる勇気がなく、村役場の人員がやった事だと言いました。夫と他の家族は村に行って釈放を要求しました。朝起きてからすぐに行き、夕食後も行き、毎日行って連行した全員を釈放するよう求めました。中国共産党の村役場の官吏らはやはりああだこうだと言って、遅らせながら解決してくれませんでした。
夫は村の書記に聞きました。オリンピックも終わったのにまだ釈放しないのか。中国共産党の書記はとても横暴にテーブルを叩きながら、「お前が釈放しろと言っても、釈放するか」と怒鳴りました。夫は相手がテーブルを叩くのを見て怒り出し、次のように話しました。煉功するのが何が間違ってるのか! お前らは人を連行して家族にも教えず、これは何だ! 家族が心配しているのを知らないのか。お前は国家幹部として庶民の前でテーブルを叩き、怖い目付きをしているが、お前なんか怖がるか!
談判しながら、夫はテーブルの上にある大きな灰皿を持ち上げて、投げ付けました。灰皿の中にいっぱいあった灰が部屋中に飛び散り、そこにいた警察らはみな驚き恐れて誰も返答できませんでした。他の家族は夫の投げ付ける様子を見て、他の家族達もみならい談判し、やっつけました。夫は「ここで食べさせるのは何だ? 妻は歯がよくないので、お前俺の女房にラーメンを1箱送れ」と怒鳴り付けると、今度は書記が大人しくなり、警官にラーメンを1箱送るように手配させました。警官が「×××、書記がお前にラーメン1箱送ったよ」と言う声が聞こえてきました。中で一緒に監禁されていた同修は「あなたの夫は大したもんだね」と言いました。
この前、見張っている警官らの会話が聞こえたことがあります。「まずい、これはまずいぞ、××村の家族が攻めて来て大変だよ、防げない。連行した者達を釈放しよう」。夫の怒りっぽい性格は今回正しく使われ、私はまず最初に釈放されました。
四、妻の修煉を支持し 夫にも恩恵
修煉してから私は「真・善・忍」に基づいて自分に要求し、生活の中で夫の世話を出来るだけし、優しくしてあげました。夫は少しずつですが変化を感じ取り、私の大法修煉をとても支持してくれました。家に学法用の部屋を作り、同修達が学法できるようにしてくれました。冬になると夫は石炭を買って来て、そこにストーブを置き、同修であれば誰でも何人でも学法できるようになりました。
アンテナを設置して新唐人テレビが見られるようになると、夫は毎日見ていました。新年を迎え、テレビの中で師父に新年の挨拶をしているのを見て、夫も拱手の礼をし、拝礼し、師父に新年の挨拶をし、「法輪大法は素晴らしい!」と言いました。周囲の人々にもこの法輪功がどれほど素晴らしいかを知らせるために、夫は毎日川の傍に行って身体を鍛え、私に「川の傍で自分は毎日『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と叫んでいる」と言いました。私が「声を出さずに心で念じてもいいのよ」と言うと、夫は「とにかく俺は叫ぶ」と答えました。
夫は師父の恩恵を受けて今年で75歳ですが、耳もよく聞こえ、目もよく見え、体は丈夫で元気いっぱいで、何の病気もありません。今では彼も怒らなくなり、人も罵らなくなりました。「よく以前は、俺が言ってよしとしたが、今はお前が一番だ、何でも言うことを聞くから、自分で何事も決めればいい」と言ってくれます。私は「私が決めるのではなく、大法の教え通りにすれば、何もかも皆正しいからだよ」と言いました。
大法は私を変え、夫をも変え、この家をも皆素晴らしく変えてくれました!!