人を救う道は孤独でなく 師父の法身がそばに
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文/中国の大法弟子

 明慧日本2019年4月29日】ある日、学法チームで「その点は大丈夫です。皆さんにお話ししたように、すべての学習者にわたしの法身が付いており、しかも一つにとどまらないので、わたしの法身がそれらのことをすることになります」 [1]と、師父の法を読んでいた時、私は心がぱっと開け「この法の意味がやっと分かった」と思いました。そこで私は、この部分を繰り返し読みました。

 翌日、同修・Aさんと一緒に真相を伝えに出かけました。途中、Aさんから「昨日、何かを悟ったのですか?」と聞かれて、私は「毎日法を学んでいますが、この部分をよく考えたこともなければ、意味あいを悟ろうともしませんでした。でも、昨日、この段落を読んだ時、分かったような気がしました。しかし、何を悟ったかと聞かれても、きちんと言葉では言い表せません」と言いました。師父は法の中で「古代の人は『心領神会(しんりょうしんかい・心の中で深く理解すること)』と言っていますが、つまり自分の頭の中で分かったけれども、人間の言葉で言い表すことができないということです。言ってしまうと、それが普通のものとなり、常人の理と同じになると気づくのです。人間の言葉で話すと、味が違ってきます」 [2]と説かれました。

 今日の午前中、私は1人で15キロ離れた定期市に法輪功の真相を伝えに行きました。面と向かって真相を伝える時、私はまず発正念をし、妨害する邪悪の要素を一掃し、そして、師父に相手の人を助けてくださるようにとお願いして、それから真相を伝えました。その日は、真相をすんなり受け入れてくれる人ばかりで、とても効果がよかったのです。私は心が落ち着いて、穏やかな態度で、笑顔で全ての人に対応しました。相手の人が三退に賛成してくれても、してくれなくても、私は心が動じませんでした。このことをお話しするのは、自分がよく修めていると自慢しているのではなく、ここで言いたいのは、師父の法身が私のそばにおられることを切実に感じたということです。ですから、私の頭の中には雑念がなく、ただ人を救おうとする思いが一杯で、私は「人を救う道は孤独ではない」ことを切に感じました。

 帰り道に、修煉の中で遭遇したすべての艱難辛苦を思い出し、どの一歩も師父のご加護と師父に見守られていなければ、乗り越えることができなかっただろうと改めて思いました。私は思わず歌を歌い始めました。「私の隣に座りなさい、静かに両目を閉じて、私達の心の底の叫びを上げよう。残虐な刑罰を制止するため、狂気な殺戮を終わらせるため、全ての迫害を停止させるため、慈悲深さと優しさを持って苦しみに耐えよう。沈黙の中で、私達は歴史を変えよう、私達は衆生を救おう」。私は心の中には師父に対する感謝の気持ちと衆生を救う責任感で満ち溢れていました。

 世間の損得なんてちっぽけなものではありませんか?! 私達は大法弟子です。衆生を救い済度する責任を担っています。「あなたの敵を含む個人修煉の中の全ての人を許すまで心を広くすべきです」 [2]との師父の法が頭に浮かびました。

 現段階での体得です。法に則っていないところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の経文:『オーストラリア法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/4/18/385185.html)
 
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