文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年4月9日】私の周りに知っている同修は数人しかいません。皆がまだ一体になっておらず、私はほぼ独自で修煉していますが、明慧ネットが私の支える力になっています。私も自分の体験を皆さんと交流したいと思います。
修煉の前には私は怒りっぽい人で、修煉後もあまり変わっていませんでした。時々自分も後悔して、怒りの心を正念で除去したことがありますが、まだまだ足りないと思っています。
師父は、「天とは何か 地とは何か 人の目は人の理を知る」[1] と説かれました。最近、この経文を見る度に、自分の好き嫌いの観念からこれらが飛び出してくると認識しました。「怒る」ということは別の次元の生き物です。その物は私の身にへばり付いて私をコントロールし、修煉者としてやってはいけないことをやらせます。師父は、「一部の人は直接功能を求め、あるいは偽物の気功を習ってしまったため、気功を練習すると、いつも何もかも分からなくなるまで自分の主意識を緩め、身体を人に預けてしまい、副意識あるいは他からの信息に身体を牛耳(ぎゅうじ)られてしまって、錯乱状態に陥り、わけの分からない行動をします。『ビルから飛び降りろ』と言われれば、飛び降りるし、『水に飛び込め』と言われれば、飛び込んでしまうのです。生きつづける意志がないかのように、自分の身体まで人に預けてしまいます」[2] と説かれました。
もしその怒る時点で、私たちは怒ることを自分だと見なすと、この難関を乗り越えることはできません。時間が立つにつれて、修煉の意志が徐々に弱くなり、後天的に形成した観念が自分の身をコントロールするようになりました。だから、この観念は先天的な私ではないことをはっきりと認識し、すぐに除去するべき物質で、発正念で取り除くべきです。
以前、私は発正念をする時に、目標を明確にしてそれについて発正念しました。しかし目標が多ければ、完全に除去できていないのに、既に時間になりました。今は完全に師父の教えの通りに「意念の中で自分の思想の中の良くない念、業力と良くない観念、或いは外来の邪魔を根絶します。これらは死ねと念じれば、根絶されるのです。5分間で利きます」[3]
発正念についてしっかりと理解したのは、今年(2019年)の新年の間です。今年の新年まで、私は病業の関が約1年間ぐらい続いていました。新年の頃、私は集中して発正念をした時に、正念の巨大な威力をはっきりと感じました。その後、病業の関も乗り越えられましたし、心を静めて学法できるようになりました。「怒る」ことも私から遠く離れていきました。
現在、私は常に自分を浄化し、体が際限なくマクロから際限なくミクロまで、含まれないものはなく、漏れなく、全ての次元で良くない思想や観念を取り除くようにしています。師父が「一つ例を挙げましょう。あなたのその良くない考えは、はっきり言うと一本の糸と同じです。私たちは絶えずそれを切り、それを取り除き、取り除き、取り除き、取り除いているのです。完全に取り除かれるまでまだ残っていますので、なぜ修めることができなくなると言えますか? それを切って取り除いていくことが修煉ではないでしょうか? 実際、あなたは既にかなり向上しています」[4] と、おっしゃる通りでした。
だから、私達は良くない考えや観念があれば恐れず、気落ちしないで、絶えず法を勉強して、しっかり発正念すればよいのです。全ての旧勢力の按排を認めず、師父だけの教えの通りに行なっていれば、正しい道を歩めます。私達は常に自分の言動に注意し、全てのことを大法で測り、清らかな心でしっかりと三つのことを行うべきです。
以上は、私自身の体験です。皆さんと交流して、皆さんにお役に立てれば幸いに思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『洪吟四』「随筆」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『導航』「二〇〇一年カナダ法会での説法」
[4] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会での説法』