文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年7月27日】『洪吟(五)』が発表された後、繰り返して拝読しました。口を酸っぱくして衆生を呼び覚ましてくださった、師父の慈悲深さに感動させられ、涙を流しました。弟子として、最後の時間を切り詰め、着実に修め、法を正す師に手伝い、衆生を救い済度し、しっかりと行なわなければならないと強く思いました。
『洪吟(五)』を学びながら、数えて見ました。師父は23箇所で現代の観念、行為、19箇所で無神論、進化論に言及されました。それは現代人の観念、行為や無神論、進化論が衆生に極めて深い毒害を与えたことを意味します。師父の弟子として、私たちは人を救うことにおいてもっと知恵を使い、もっと身を入れて行なう責任があると思いました。そして、「決して現代の変異した人間の基準で、自分に要求してはならず、必ず師父が与えてくださった法の基準で、また、修煉者の基準で自らに要求し、着実に修め、トラブルの前で内に向けて探し、正念を持って自分を主宰しなければならない」とも思いました。
それでは、変異した観念とは何でしょうか? 私の次元から見れば、つまり良いものを悪いものに、美しいものを醜いものに、だらしないものを流行とすること、そして、自己的で、利己的で、奪い取り、快楽を求め、凶暴で残虐な行為を悪とも思わず、優劣や善悪を区別せず、是と非を転倒することである、と理解しています。
修煉者は観念を取り除かなければなりません。師父は「ある種の観念が形成されると、人の一生を支配し、その人の考え、ないしその人の喜怒哀楽を左右します。これは後天的に形成されたものです。時間が経つにつれ、この観念は人の思想に溶け込み、本当の自分の脳に溶け込み、人間の性格を形成してしまいます」[1] 、「もし本当に後天的に形成された観念を破り、人間の本性からの見方が戻ってくれば、それがあなたが来たところです。初期に形成された観念は初期にあなたを造成したところの観念です。しかし後天の意識や観念を破ることは非常に難しいのです。なぜなら、これが修煉だからです」[1] と説かれました。
自分の身に現れた観念を探して見ました。さらに様々な観念に基づいて形成した個人的な好き嫌いや執着心、習慣、欲求、認識、振る舞い等もあり、これらのものはまるで土ぼこりのように私の体を覆っていました。私たちはその中から這い上がらなければならず、これらの土ぼこりをきれいに落とさなければなりません。さもなければ、真の自分が現れないのです。
師父は前々から「思想の枠を取り外せば、人間の善良な性格、人柄、特性、特徴などが現れやすくなり、それこそ本当の自分です」 [1] と説かれました。
法を正すのはすでに終盤になりました。大法の中で23年も修煉をして来た私ですが、どう修めればいいかが、やっと分かったような気がしました。
少しの体得です。法に則っていない所があれば、慈悲なるご叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪(巻二)』