(明慧日本)湖南師範大学の教師・楊軍良さん、妻・蒋徳英さん夫婦は法輪功を学んでいる。2人は中共(中国共産党)当局の迫害により、楊さんが2003年1月に、蒋さんは2010年8月18日午前に死亡した。蒋さんは享年59歳。
楊さんは湖南師範大学の化学工業学院の助教授だった。楊さんはかつて、脊髄空洞症を患い、便を失禁し、いろいろな病院を訪ねて治療したが、治療効果はまったく現れなかった。1997年に楊さん夫婦は法輪功の修煉を始め、多くの恩恵を受けた。楊さんは修煉してまもなく、非常に治りにくいと言われていた脊髄空洞症が奇跡的に治った。楊さんの健康が回復したことで、とても幸せな家庭生活を送った。
しかし、その幸せは長くは続かなかった。1999年7.20、中共は法輪功に対する弾圧を開始し、マスコミは法輪功に対して一斉に誹謗中傷を始めた。楊さん夫婦は勤務先や住民委員会から面談され、重圧をかけられた。しかし、楊さん夫婦は法輪功の修煉を通じて健康を取り戻した事実や、『転法輪』「真・善・忍」の原則に従い良い人になることの道理を信奉し、法輪功は正しいと信じ続けた。そのため、夫婦は長い間嫌がらせを受け続けた。楊さんはその重圧で心身ともに疲れ果て、脊髄空洞症が再発し、2003年1月に死亡した。
蒋さんは湖南師範大学・文学院の国語の教師だった。蒋さんは夫を亡くした後、娘と2人で生活していた。蒋さんは、法輪功の修煉を放棄しないという理由で、当局に6回不当に連行され、2回、労働教養所に拘禁されたことがある。文人として蒋さんは、共産党の残酷さがよく分かったという。
2005年12月20日夜、岳麓公安支局の警官が、蒋さんの自宅に不法に侵入しようとしたが、蒋さんは懸命に抵抗し、ドアを開けなかった。610弁公室の責任者は蒋さんに電話をし、「おまえのことをよく知っている。ドアを開けなければ、1カ月でもおまえの家の前で見張ってやる」と脅迫した。大学側も、蒋さんにドアを開けさせるため、蒋さんに電話をし「学校の仕事が忙しいので、早く来るように」と言って騙そうとした。しかし、蒋さんはドアを開けなかった。
21日午後5時頃、7~8人の警官が蒋さんの家に不法に押し入った。蒋さんは身体検査をされて、手錠をかけられ、不当に身柄を拘束された。その日の夜6時、蒋さんは公安局岳麓支局に拘禁された。家には娘1人が残された。その後、蒋さんは不当に懲役1年の労働教養を宣告され、株州白馬リュウ女子労働教養所に移送された。
労働教養所で蒋さんは、暴力で法輪功修煉者を「転向」させる特別な「部屋」に入れられた。その部屋では、隣の部屋から法輪功修煉者が拷問を受けるときの叫び声が聞こえてきた。警官は、蒋さんにわざと「おまえにも聞こえただろう」と脅迫し、蒋さんを蹴ったり殴ったりした。
その部屋で、蒋さんはいつも猛烈に殴打され、しゃがむ姿勢を長時間強要された。また、寝ること、顔を洗うこと、トイレへ行くことも許されず、殴られて嘔吐したものを飲み込むよう強要された。ある日、警官は蒋さんを殴りながら「三書を書かなければ殺してやるぞ」と叫んだ。蒋さんの口や鼻から血が流れ出ているにもかかわらず、警官は蒋さんの下着をはぎ取って、体に法輪功を貶す文を書き、タオルで蒋さんの口を封じた。そして、警官ら5人は、蒋さんの手を掴んで「三書」にサインを強要した。
蒋さんは、労働教養所で1年間迫害され、2006年に釈放された。
しかし、2008年4月、蒋さんは人々に法輪功の真相を伝えた際、再び警官に身柄を拘束され、公安局に拘禁された。その後、警官は蒋さんの家宅捜索を行い、法輪功の関連書籍、私物、現金などを没収した。
公安局に拘禁された蒋さんは、夜中の1時頃、公安局から出られた。蒋さんは迫害を避けるため、放浪生活を余儀なくされた。その後、当局は蒋さんの年金支給を停止した。
2009年4月、蒋さんは1年間の放浪生活の末、再び警官に不当に身柄を拘束された。4月27日、蒋さんは長沙市左家糖留置場に拘禁された。その後、不当に懲役2年の労働教養を宣告され、5月11日に株州白馬リュウ女子労働教養所に移送された。
蒋さんは労働教養所で迫害を受け、下半身が腫れあがり、腹部も膨らんでいた。
施設側は、深刻な病状が現れた蒋さんを家に帰らせたが、蒋さんの病状は一向に好転せず、2010年8月18日午前、蒋さんは死亡した。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)