(明慧日本2011年12月25日)私は1998年6月に法輪大法の修煉を始めました。修煉してから、法を学んで精進し、堅く師を信じ法を信じました。法輪大法に興味を持つ人には積極的に大法の本をプレゼントし、煉功の動作も教えました。当時、人に煉功動作を教えてあげたとき心から嬉しく思いました。十数年の修煉の中で楽しみもあれば、苦しみもありましたが、本当に充実し、元気でした。
一、何が楽しいか
修煉を通じて全身の病気が治りました。修煉する前は関節炎で歩行が不自由でした。老年性白内障で常に目薬をさしていましたが、修煉してからこれらの病気は全部治りました。
修煉は心を修めることで、他人を先に考えることも分かり、人間としての道理も分かりました。夫は私の変化を見て、私が修煉することを支持してくれました。私を煉功や学法に参加させるために、彼は積極的に朝ごはんを作ってくれました。これらのことは、私の修煉をさらに励まし、いっそう精進するようになりました。私は常に内に向かって探し、法の中から心性を向上させました。私の家に寄る人に私は必ず彼らに大法を紹介し、真相を伝え、三退を勧めています。
二、何が苦しいか
苦しいのはトラブルに遭って、心性の関を乗り越えられないときです。心から苦しいと感じ、外に向かってばかり探してやりきれない気持ちでいっぱいで、腹が立ってムカムカします。心を修めてよい人間になることは間違っていないのに、なぜいつもこのようなことに巻き込まれなければいけないのかと思いました。
1999年7.20以降、大勢の人は中共(中国共産党)の嘘偽りにだまされて法輪功を敵視し、夫も影響を受けて、常にあら探しをしていました。私はやり切れず我慢しましたが、それは表面上の忍で、心はちっとも落ち着きませんでした。後に師父の各地での説法を学んで分かりました。私は修煉者であり、誰かの間違いを追及するのは常人の観念で、誰が正しいと言い争って何になるでしょうか。修煉者は善を修めるべきで、善を修めてこそ、人を救うことができます。
ある日、私がおかずを作っていたら夫が傍らで指示し始めました。私は言われたとおりに作らなかったので、彼は機嫌が悪くなり「もう食べない」と言いました。以前なら必ず言い争ったはずですが、今回は内に向かって探し、善を修めてこそ人を救えると思い、私はほほ笑みながら「今度は言われたとおりに作りますから、早く食べてくださいね」と言いました。夫も怒らず、食卓に戻りました。それから彼に真相を伝えるとき、彼に聞いてもらえるようになりました。ひとりの修煉者として自我を放下し、人心を捨て、自分をよく修めて、着実に衆生を救うことこそが、根本なのです。
三、師を信じ、法を信じることが一番安全
最初、真相資料を配布するとき恐怖心があり、ポストに資料を入れるときは胸がドキドキして、オロオロしていました。アパートの階段に光がついているともう上がらず、降りてしまいました。
ある日、私が真相資料を全部ポストに入れて戻るとき、突然後ろから、人が私を追いかけてきているようでした。当時は夜中の3時ごろで、私は慌てました。心から「師父、助けてください!」と叫びました。私は走りながら後ろを向いて見たら、その人は逆方向に走っていました。私は家について、電気を消してベランダから外を見たら、その人はいつの間にか、私のアパートの下まで来ていて、うろついていました。夜中で電気は全部消しており、その人はやむなく帰ってしまいました。師父が護ってくださったと分かりました。
学法を通じて、後になって怖がる心はどんどん弱まっていきました。私は廊下に電気がついていても、最上階まで上がって真相資料を配布して帰ります。夜中に資料を配布するとき、何回も人と出会い、誰だと聞かれた時もありましたが、私が落ち着いて自分のことを話すと、相手も別に多く話さず行ってしまいました。本当に師父がおっしゃった「一つの心が動かなければ、全ての変動を制することができる」(『二〇〇五年カナダ法会での説法』)のとおりでした。
初めて文章を書きました。不足の部分は同修の慈悲なるご指摘をお願いします。