主流社会に神韻を広めた体験(四)
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文/日本の大法弟子

明慧日本20111230日】

全体が協力して主流社会に神韻を広める

 私は女性の同修2人と一緒に、主流社会に神韻を広めています。そのうちの1人はとても内向的で、社交的ではありませんが、常に私を手伝って協力してくれ、人と付き合いながら自分自身を突破しようとしています。もう1人の同修は落ち着いていて、私にどのような漏れがあっても責めず恨まず、足りない部分を補ってくれます。2人とも注意深く、私のようによく物忘れをしません。私が何か忘れ物をして悪いと思うと、同修はいつもそれを持っており、私に足りないところがあれば同修は常に補ってくれます。ここで本当に、2人の同修に感謝の気持ちを表したいと思います。また、私の地域の年配の同修たちにも感謝します。私は真相を伝える前に、よく年配の同修発正念を頼みます。同修たちはいくら忙しくても、何も文句を言いません。皆、神韻は最も重要なプロジェクトだと知っており、自分を最大限に放下して全体に協力しています。

 それに反して、私の名利心はますます大きくなりました。師父は「若者が自分を制御するのは、なおさら難しいことです。日頃はなかなか良い人で、常人社会で大した能力を持たない時は、名利心にも淡泊でした。いったんまわりから抜きん出ると、名利に惑わされやすいのです」(『転法輪』)とおっしゃいました。

 私は地域社会の中で神韻を広める経験をしてから、他の同修を見下す心があり、他人指示しようとし、自分を顕示しようとしました。この強烈な名利心は知らず知らずのうちに膨張し、自分でも意識しないうちに噴き出してしまいます。名を求める心が強くなり、人嫉妬したり、自分は何もかもよく分かっていると思い、他の人からの指摘や指示を快く思いませんでした。

 神韻2年目の時、私は神韻を宣伝し、チケット販売を代わりにしてくれるところを見つけました。私はそこの責任者と面談してから同修と帰る途中、無意識に「やっぱり自分はできる」という一念が噴き出してきました。その結果、まだ喜んでもいないのに、私は石段を踏み外し足首をひねってしまいました。痛みが強く、長いこと立ち上がることができませんでした。私はすぐ、顕示心が生じ名を求めている自分が間違っているのが分かりました。足が痛くて神韻活動の期間中、私はずっと結跏趺坐ができませんでした。これは私に対する教訓であると認識していましたが、時間が経つとまた自分を修めることを忘れてしまいました。

 今年の神韻チケットの販売はすでに始まりました。私たちはお互いに協力して救うべき衆生を全て探し出そうとしています。実は、一人一人の同修は皆それぞれ貴重であり、自分の果たすべき役割を全うしています。認識や考えに違いはありますが、私たちは歴史上縁があって結ばれ、今日、同じ宇宙大法を修煉し、大法を実証しています。これ以上貴重な繋がりがあるでしょうか。私たちが協調する上で、まだ捨てられない心があるでしょうか。お互いに支え合い、先史の大願を果たしましょう。

 皆さんありがとうございました。

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/24/250960.html)     更新日:2011年12月31日
 
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