【明慧日本2012年1月26日】遼寧省大連市中山区裁判所は2012年1月9日午前9時半頃、法輪功修煉者・劉栄華さんに対して、不当な裁判を行った。法廷では、劉さんの2人の弁護士が劉さんの全面無罪を主張し、劉さんに対する起訴が重複していることを指摘した。裁判は11時半に終わったが、判決は下されなかった。また、劉さんの家族と親友は裁判所に駆けつけ、傍聴を求めたが、裁判所側は劉さんの80歳過ぎの両親しか傍聴を許さなかった。
劉さんが法廷から出た際、外で待っていたある親友は思わず、「劉栄華さんは無罪です! 直ちに釈放してください。法を執行する者でありながら、法を犯す者を懲罰しなさい」と叫んだ。ほかの親友も「信仰は無罪です。法輪功を信仰する者は無罪です」と叫び、劉さんの両親も「娘は良い人で、無罪です。刑期満了になっても、釈放しないことは犯罪です」と叫んだ。劉さんがパトカーに乗せられたとき、家族と親友たちは一斉に「劉栄華は無罪です! 無条件で釈放してください」と叫び、抗議を行った。
劉栄華さん |
劉栄華さん(47歳女性)は、修士を修了後、大連水産大学の教師となり、現在は準教授である。劉さんの論文は『中国百科全書』に収録された。しかし、教育の仕事に熱心で、人に優しい劉さんは、「真・善・忍」を信仰し、法輪功を修煉しているという理由で、数回にわたって中共(中国共産党)当局から迫害を受けた。
2009年9月、劉さんは青泥洼派出所の警官によって、身柄を拘束された。その後、劉さんは労働教養2年を宣告され、瀋陽市にある馬三家労働教養所に収容された。労働教養所でも劉さんは信仰を堅持し続け、「引っ張り刑」など、さまざまな拷問を受けた。
拷問の実演:引っ張り刑 |
劉さんは労働教養所で暴力を振るわれ、唇が青くなり、歩くこともできず、食事をすることもできない状態になったことがある。その後、極度に衰弱した劉さんに対し、警官らは悪意をもって階段の登り下りを繰り返し行わせた。ある日、劉さんが部屋に戻るとき、隊長に挨拶をしなかったという理由で刑期を延長された。
労働教養所で行われた精神面と肉体面への迫害の下で、劉さんは数回心臓病を発症した。ある日、心臓発作を起こした劉さんは病院に運ばれたが、医師に「もう少し遅れていたら、命はなかった」と言われた。劉さんは迫害により、痩せこけ、歩くことも困難になったにもかかわらず、強制重労働を強いられた。
2011年9月、劉さんが労働教養期間を満了する数日前、大連610弁公室の指示により、桃源街派出所の警官らは劉さんを馬三家労働教養所から、大連姚家留置場に移送し、拘禁し続けた。劉さんに実刑判決を下すことを画策していたためである。
娘の釈放を求めるため、劉さんの両親は様々なところを訪ね、奔走した。劉さんの16歳の息子も、母を早く釈放するようにと手紙で呼びかけた。劉さんの母は、派出所の所長に「派出所にもう来るな。また来ると、娘に重罪を着せるぞ」と恐喝された。
2011年12月25日夜7時頃、劉さんの母は中山区裁判所から「26日午前9時半に劉栄華を審判する」との通知を電話でもらった。
この緊急事態に、劉さんの母と親友は26日午前、中山区裁判所に駆けつけ、劉さんに対する裁判を延期するよう強く要求した。裁判は1月9日に決まった。その後、劉さんの家族と親友は、劉さんの弁護を2人の弁護士に依頼した。弁護士は劉さんの件に関する資料を読む時間がほしいと、開廷を延期するよう裁判所に申請したが、裁判所側は応じなかった。
1月8日午後2時頃、劉さんの父は裁判所側から「1月9日午前9時に劉栄華に対する裁判を行う」という電話をもらった。しかし弁護士の1人は弁護士の資格証明書を不当に中共当局に没収されたため、弁護士として弁護ができず、傍聴人として法廷に入るしかなかった。
1月9日、出廷した劉さんは痩せこけ、手錠をかけられた。衰弱した劉さんは三階の法廷に入るのに、辛そうに階段を上り、数回休みを取った。
9時半に劉さんに対する裁判が始まった。弁護士は劉さんの全面無罪を主張し、今の案件は重複起訴だと指摘した。つまり、劉さんは労働教養中に新たな罪を起こしておらず、今回の劉さんに対する公訴事実は当初、劉さんに労働教養を下した事実と同じである。弁護士の指摘に対して、その場にいた人は皆無言だった。結局、裁判は11時半に早々に終わらせたという。
劉さんの夫・尹宝軍さんも、法輪功を修煉しているという理由で、2011年6月に拘束され、労働教養2年を宣告され、大連労働教養所に収容された。その後、尹さんは労働教養所で受けた迫害により、脳梗塞の症状が現れ、治療のため一時出所の手続きをして2011年12月23日に帰宅したという。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)