【明慧日本2012年6月12日】黒竜江省ハルビン医科大学第2付属病院の小児科の看護士・賈麗清さん(55歳)は、2011年11月5日、警官により不当に身柄を拘束され、同市の第2留置場に拘禁された。賈さんの拘禁を知った賈さんの母(80歳)は、娘と会うため面会に訪れたが、許可されなかった。賈さんが拘禁されて以降、面会は弁護士との2回だけで、それ以外は誰とも面会を許されなかった。
賈さんは専門学校を卒業後、ハルビン医科大学第2付属病院に就職した。賈さんはかつて、頸椎症を患い、身体の状態は悪くなる一方だったが、1995年に法輪功を修煉し始めると、頚椎骨棘が消えて元気を取り戻した。その後、賈さんは「真・善・忍」に従い自分を律し、仕事にも熱心で、若い看護士に優しく接して指導し、患者の立場を立って物事を考え、上司や同僚、患者から、良い看護士だと評価されていた。
また、賈さんは良き妻、良き母、良き娘でもある。賈さんは重い骨粗鬆症を患う母の看病のため、実家に住み込み、母の介護をしていた。
1999年7.20以降、中共(中国共産党)は法輪功への弾圧を開始した。賈さんは法輪功の真相を政府に伝えるため、北京に行った。北京駅で、賈さんは私服警官に「法輪功か?」と聞かれた際、「はい」と答えたため、身柄を拘束された。その後、賈さんは地元に送還されて市の第2留置場に拘禁されたが、数日後に釈放された。
2000年の初期、賈さんは政府を信じて、再び法輪功の真相を伝えに北京に行った。しかし、賈さんは以前と同じように身柄を拘束されて地元に送還され、留置場に拘禁された。留置場で賈さんは拷問を受け、心身ともに傷つけられ、6カ月後に釈放された。
2001年の初め、賈さんは家族や勤め先に被害が及ばないようにと考え、身分証明書を持たず、北京へ3度目の陳情に訪れた。賈さんは北京で再度、警官によって身柄を拘束され、持っていたお金も全て没収された。賈さんは自分の名前を言わず、出身地も言わなかったため、警官に河南省の辺りに連れていかれ、辺鄙な所に捨てられた。その後、1元も持たない賈さんは、苦労をなめ尽くして、転々と1カ月を経て、ようやく家にたどり着いた。
2006年9月29日、賈さんは地元派出所の警官に理由なく身柄を拘束され、11時間拘禁された。
2011年11月5日午後2時頃、賈さんはハルビン市松北公安分局の警官に勤め先で連行され、自宅の鍵を強行に奪われた。警官らは、賈さんの家に不法に侵入し、パソコン3台、プリンター、テレビ、USBメモリ、MP5プレーヤー、銀行カード、現金1万元(母の病気の治療費)、法輪功の関連書籍、法輪功の真相チラシなどを没収した。
その日の夜、賈さんはハルビン市第2留置場に送られ、拘禁された。翌日、賈さんの家族は松北公安分局を訪ね、ハルビン市公安局局長、松北公安分局局長、松北公安分局治安大隊長などが、賈さんの案件に関わっていることを知った。
その後、賈さんの家族は数回にわたって、留置場へ賈さんと面会に行ったが、面会は1度も許されなかった。家族は弁護士に依頼するため、ハルビン市の弁護士事務所に訪ねた。しかし法輪功に関する案件を引き受けないようにとの指示があるらしく、弁護士は誰1人として賈さんの案件を引き受けなかった。ある弁護士は家族に、自分なら賈さんと面会できると言い、11月末に賈さんと面会したが、面会のとき、この弁護士は「法輪功の修煉を放棄しなさい。自分の罪を認めなさい」と勧めたという。賈さんは固く断った。2011年12月9日、賈さんの家族の元に、ハルビン市公安局から「逮捕状」が届いた。2012年2月14日、賈さんの案件は南崗裁判所に移され、裁判所は賈さんに対する裁判を行おうとした。家族は様々なつてを頼って、北京の弁護士を雇い、賈さんの無罪弁護を依頼したとい う。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)