明慧法会|勇猛邁進し 師が法を正すことを手伝う(四)
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文/中国広東省 浄蓮口述、同修整理

 【明慧日本2012713日】

 初めて北京へ行く

 今思えば当時、1999年「4.25」(中南海陳情事件)を知っていたら私も参加していはずです。1999年「7.20」後の市と省政府への請願に私は漏れなく参加しました。7.20当日は広州に帰っていましたが、事態が起きた翌日直ちに北京へ向かいました。広東でも請願が受けられない状況にあり、当局は津々浦々にわたって法輪功修煉者を捕まえていました。私は法輪バッチを胸につけて北京へ向かいました。大法が罪もなく迫害されており、師父が残された集団煉功の環境も壊されているのを見て、許せないというのは、当時の精一杯の思いでした。私は大法の為に手紙を書いて各政府部門に投函していたため、自宅の固定電話は盗聴されるようになり、次第に「有名人」になりました。

 今回は1人で北京に着いてもすぐに天安門広場に行きませんでした。同修の皆と一緒にいたいと思い、探しましたが見つかりませんでした。私は全く恐れることなく公園で堂々と煉功を始めました。もし大法弟子が私を見たらきっと声を掛けてくれると期待していました。しかし同修も現れなければ不思議な事に邪魔に来る人もいませんでした。仕方なくたくさんの都市を歩き回って法を実証することにしました。当時は深センの住宅を売却していたので、手元に少々持ち合わせがありました。

 初めて連行される

 しばらくして広州に戻った後たくさんの同修を探して交流しました。ある日、同修達と一緒に白雲山に登った時「全ての人の目の前に広い道が広がっています。とにかく外へ出て法を実証しなければなりません。必ず世間の人々に『法輪大法は素晴らしい』と分かってもらわなければなりません」と語りました。

 集団煉功をするために同修を集めようと自宅の電話を使って連絡を取っていましたが、自宅の電話は7.20後に盗聴されていたすぐに交番に連行されました。修煉をやめるという「保証書」を書くように言われました。私は「法輪大法は必ず勝ちます! 書きません」と言いました。当時、私にはまだ闘争心がありました。「それなら何を書きたいの?」という警察の質問に「もうちょっと高い椅子を持ってきてください。椅子が低くて都合が悪いです。法輪大法の素晴らしさを書くのに高い椅子に取り替えてもらわなくちゃ」と答えました。彼らは交代で私を見張っていました。一晩中寝なくても元気な私を見て「法輪功の修煉者は素晴らしいね。私達既に何人も交代しているのに、なぜかあなたは全然眠そうにないね」と皮肉を言いました。「大法の素晴らしさを広める資料を書くのに、眠くなるわけがありません」と答えました。

 私が連行された後、母は私が連絡した全ての同修に煉功しないよう電話をしました。警察が、1人でも集団煉功の場所に現れたら私を捕まえると言いふらしたからです。結果的に翌日煉功者は1人も来ませんでした。交番は私を無条件に釈放しました。

 北京に江沢民を訪ねて行く

 法輪功を迫害する元凶が江沢民だと19998月に分かった(以前は全く認識できなかった)、再び北京に行くことにしました。中南海に行って江沢民を告訴しようと考え、北京に向かう汽車の中で江沢民宛に手紙を書きました。汽車から降りてすぐタクシーをとめ、運転手に目的地の中南海を伝えたところ、運転手は「法輪功だね」と言いました。そして「だめだ! だめだ! そこは監視カメラが設置されているので、もし私が撮られたら罪になるよ」と運転手は乗車を拒もうとしました。「あまり近寄らなければいいのよ」という私のアドバイスを聞いて、運転手はホッとした様子でした。運転手は目的地に近づくと「真っ直ぐ行ったところだよ」と念を押しながら、正門から離れ場所で私を降ろしました。

 広い道路沿いにある中南海正門の前に軍人が立ち、厳重な警備がされているのが見えました。近くまで行って「私は大法弟子です。江沢民を訪ねて来ました」と話を切り出しました。軍人はまず驚いて指示を待つかのように私服警官を見ました。警察に手で合図された後「江沢民はいない」と軍人が答えました。「では来るまでここで待ちます。いずれ来るでしょう」という私の言葉に軍人は再び警官を見て次の指示を確認しました。そうすると軍人が「待っている間に応対してくれる人がいると言って手で場所を指示しました。何の疑いなく「ありがとう」と言い残して示されたところに行きました。「どこから来たの」「深センだなんて随分遠方からだね。きっとまだ食事をとっていないでしょうからどこかに食べに行きましょうか。食べたら江沢民に会いに行けるように案内する」と、相手は一方的に言いながら、私を車に押し込んでその場を去りましたが、着いたところは交番でした。

 警察官は怒って私の手を縛りあげ、私持ってきた大法の書籍を全部取り上げました。私は号泣してなかなか泣き止まなかったので他の収容所に移送されました。到着したのはバスケットのグランド場よりも広い収容所でした。そこに1人の知的障害者が収容されていました。普段、聞こえてくるのは騒がしい音楽と「冤罪だ! 冤罪だ!」という叫び声でした。「ここは大法弟子の居場所ではない」と思いながら「師父、私は間違えました。悪人の言いなりになるべきではなかったです」と師父に語りました。その時からもう二度と泣かないと決めました。

 収容されている一部の人は出稼ぎに来ている地方の人で、法輪功の修煉者も少なくありませんでした。中に入った途端「法輪功! こっちに来い」という叫び声が聞こえてきました。私は同修達と一緒にいられると大変嬉しく思いました。ここなら集団煉功もできるし、団結して一緒に江沢民を告訴することもできると思っていると、間もなく私は深セン駐北京事務所所長に駐北京事務所に連れ出されて軟禁されました。

 不思議な力で深セン駐北京事務所を脱出する

 駐北京事務所の部屋に閉じ込められてい時、見張りの人がちょっと離れた時、脱出方法を考えました。「私は江沢民を探して法輪功を迫害する事実を告訴しなければならない。絶対にこのままこの場所にいてはいけない」と思いました。ある日階段から「ドン、ドン、ドン」と下に降りて行く途中、足音から気付かれて再び捕まえられました。「逃げちゃだめだよ。私達の立場もよく考えてね。逃げられたら減給されてしまうじゃないか」と見張りの人が言って、私を元の部屋に戻しました。ある日私が夜に結跏趺坐していた、見張りの人達が帰った後、外は静かでした。私は手探りで下に降りて行こうと思っていると、回りは真っ暗で全く道がわからず、また部屋に戻ってしまいました。

 「師父、全然出口が見えません。私は請願にいかなければいけないのに、このままここに居ることはできません」とお願いしたところ、突然窓が見えました。しかも開いたままでした。自分は3階にいるらしく、窓の縁に掴まりながらエアコンの室外機に足をつけて「師父、降りますよ」と言うと「ゴン」という音と同時に、手を離して1秒足らずで地面に着きました。しかしまだ敷地内にいると分かりました。見渡すと大きな鍵がかかっている門が見つかり、周囲の壁も高く「しまった! まだ出られない、どうしよう」と悩んでいる内に椅子が見えました。椅子でも使って壁を乗り越えようと思ったところ、鍵が「ゴン」と音がして開きました。「師父、どうもありがとうございます」と感謝しながら急いで外に出て大急ぎで脱出しました。

 それから五つ星ホテルに到着しました。法輪バッチを胸に付けて、大勢の人の前で外国人宿泊客に法輪功の素晴らしさを伝えながら「ここに泊まりたいのです。私は法輪功修煉者ですが、身分証明書を持っていません。すべて取り上げられました。江沢民を探して大法の本を返してもらいます。彼らは私の大法の本を全部取り上げました」とフロントに話しました。ホテル側はそれ以上騒がないようにと一つの部屋を案内してくれました。部屋に入ってお風呂に入ろうとした時、着ていた洋服が全く汚れておらず、とてもきれいだと初めて気づきました。恐らく他の空間を走っていたので汚れなかったのです(中南海に行くと決めた時、わざと白のズボンを穿いてお洒落をして出かけました)。

 旅館の部屋を借りる

 私はまた天安門を訪れました。大法弟子を探して江沢民を告訴するつもりでしたが、どこにも同修の姿が見当たりませんでした。そこで、北京まで来てもらうようにたくさんの地方の同修に電話をしました。五つ星ホテルだとお金が続かないので「師父、もうちょっと安い旅館に移りたいのです」と思っていると、圓明園あたりで宿泊先が見つかりました。旅館に着いた時「私は法輪功修煉者で身分証明書を持っていません。身分証明書を含むすべてを私は迫害している人に取り上げられました」と五つ星ホテルの時と同じように経過を話しました。旅館側は「いいですよ。泊めてあげます」と同意しました。私は続いて「これからたくさんの人が来る予定なのでワンフロアをとっておいてください」と予約しました。私は、さらに電話をかけ続けてたくさんの同修を誘いました。結局ワンフロアだけでは泊まりきれなくなって、またワンフロアを借りました。もっと電話をして更にたくさんの同修を呼びました。恐れる心がなかったので、すべては順調でした。

 私はポケベルを持っていましたが、番号は同修の間に広く伝えられていたようで、地方からどんどん同修が北京に来ました。ポケベルを鳴らしてくれたらすぐ駅まで迎えに行くと繰り返しました。しかも地方の同修は皆グループ単位で来ました。中には数カ月の赤ちゃんを連れてきた同修もいました。お座りはできますが、まだ歩けない赤ちゃんでした。煉功時は皆が真ん中に座っている赤ちゃんを囲んで輪になって煉功しました。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/10/248890.html)
 
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