【明慧日本2012年9月23日】ハルビン市郵政局の機電一体化のシステムエンジニアである李洪奎さんは、ハルビン市にある法輪功の煉功場の責任者でもあった。李さんは大慶市刑務所で不法な判決を下され、さらに、9年間も服役し、迫害を受け続けた。刑期を満了する直前、李さんは脳出血の治療のため、大慶市第四病院に搬送された。術後は順調だったが、退院間際に突然死亡した。李さんの不慮の死亡原因について、家族が主治医の仲玉民に詰問したところ、仲玉民は「わからない!…」、「医者になって以来初めてだ・・・・・・」、「私も不思議で仕方がない!・・・・・・」と叫んだ。李さんの死は正常なものではない可能性がある。
李洪奎さんの生前の写真
無実の優秀エンジニア、刑務所で残忍な迫害を受け続けた
李洪奎さんはハルビン市郵政局で機電一体化システムの優秀なエンジニアであり、ハルビン市煉功場の責任者でもあった。1978年~1991年にかけて14年間、連続してチチハル市郵政局先進労働者として表彰された。1994年5月に、「真・善・忍」に基づく佛家修煉大法・法輪功の修煉を始めて以来、以前にもまして真面目に仕事に取り込み、同僚との人間関係を大切にするようになった。李さんは周囲の人々から信頼され、数年連続で市省部級労働模範、「先進労働者」などの高い名誉を与えられた。1996年のある日、郵政センターの識別設備が稼動しているとき、制御機能に故障が起きた。長時間経っても解決することができず、この難問に現場の皆が頭を抱えていた。ある人が「今日出張から戻ってくるはずの李洪奎さんに聞いてみよう」と提案し、皆が賛成した。事情を聞いた李洪奎さんは、出張から帰宅したばかりにもかかわらず、現場まで駆けつけてただちに問題解決に取り込んだ。
1999年7月中共(中国共産党)が法輪功迫害を始めて以来、李洪奎さんが3回も不法に連行され、内2回は懲役刑を言い渡された。非人道的な手段による残忍な迫害を、李さんは合わせて十年間も受け続けた。中共が国を挙げて法輪功迫害を開始する前日、1999年7月19日に李洪奎さんはハルビン市公安局により不法に逮捕され、35日間拘禁された。同年10月、李洪奎さんは再び不当に連行され、懲役3年6カ月の不当判決を言い渡された。2000年6月19日~2003年12月18日までの服役期間中、李さんはチチハル市第三刑務所で残忍な迫害を受け続けた。
その後2005年9月23日から、ハルビン公安局「610弁公室」は法輪功修煉者に対する大規模な逮捕活動を始め、李洪奎さんをはじめとする数十名の法輪功修煉者が拘束され、全員が不当判決を言い渡された。李洪奎さんはハルビン市道里区裁判所から再び懲役7年の不当判決を言い渡され、2007年旧正月の前日(2月15日)に、大慶市刑務所第4監区に拘禁され、残忍な迫害を受け続けた。囚人服の着用を拒んだという理由で、李洪奎さんは頻繁に刑務所の警官から暴行を受け、自力で立ち上がることもできなくなるほど警棒でめった打ちにされ、数日間ベッドで寝たきりになることがしばしばあった。
拷問の実演:めった打ち
2009年2月17日から大慶市刑務所の刑務官で副監区長の褚忠信、教導員の劉国強、李金浩は、手に警棒を握りしめ、5日間にわたって9回も李さんに暴行を加えた。李さんは数日間ベッドで寝たきりになり、さらに自力で立ち上がることすらできなくなった。それを知った李さんの妻、白群さんは数回にわたって黒竜江省刑務所管理局、省司法庁に陳情し、最終的に、大慶市司法局局長鄭志新局にもう二度と李さんを殴らないことを承諾してもらい、さらに、慰謝料として三千元を受け取り、ようやく一定のけじめがついた。
ところが同年9月18日、第4監区第8隊の劉国強は、囚人服の着用を拒んだという理由で強制的に李さんの服を脱がせて暴力を加えた。また10月17日、李さんは強制労働に服従しなかったという理由で、刑務官の陸国飛に「もし敷物の編み手作業(迫害的な強制労働)をしないなら、体罰用の鉄檻に閉じ込めるぞ」と脅迫された。また、不法な拘禁期間中に、ハルビン郵区中心局の関係者が、労働契約を解除する為に刑務所まで李さんを訪ねて来た。李さんはそれを認めず、関係資料に一切署名をしなかった。しかしハルビン郵区中心局は一方的に労働契約を解除し、しかも書面で各関係機関や企業に伝達した。
出所直前の死に主治医が悲鳴をあげる
ベッドの上で横になっている意識不明の李洪奎さん
二度目の不法判決により、李さんが言い渡された出所予定日は2012年9月21日だった。しかし8月13日夜9時頃、突然家族は大慶市刑務所第四監区の長朱任山から「李洪奎さんが脳出血の為、大慶市第四病院に搬送され脳手術を受けた」という電話連絡を受けた。翌日午前、家族が大慶市第四病院の緊急救助室まで駆けつけた時、李さんの血圧は260mmHGで脳出血量は50mlだった。李さんの妻は、七年間待ち続けてきた夫との対面が、このように極めて残酷な対面になるとは思いもしなかっただろう。その時の李さんは、頭を分厚い包帯に巻かれ、意識不明の状態だった。憤りを抑えきれない家族が「あんなに元気だったのにどうしてこのような有様になってしまったの?」と詰問した。
李洪奎さんの左脛に青紫色のあざが見つかった
人間性の失った朱任山監区長は「生老病死は正常な生理現象ではないか」と答えた。李さんの妻はすぐに、李さんの左脛に残っていた掌くらいの大きさの古い青紫色のあざを見つけ、「これはどういうこと?」と質問した。「もともとあったのではないかな」と、朱任山の答えに李さんの妻は「主人のあざを私が知らない訳がないでしょう」と怒りを示した。
李洪奎さんの右耳付け根には、長さ約3センチの縦方向の切り傷があった
また、家族は李さんの右耳の付け根の部分に長さ3センチの切り傷を見つけた。「人間の耳をここまで裂くなんて!」と家族が叫ぶと、刑務官は慌てた。まさか耳の傷が見つけられるとは思わず、どう答えたらいいのか分からず沈黙していた。
家族が思い切って掛け布団をめくり上げると、更に驚きの光景が目に飛び込んだ。李さんの半身不随の右脚は手錠でベッドに固定されていた。家族はやりきれなく思い、「脳手術を受けてからずっと昏睡状態が続き、いつ何が起きるのか分からない人に、残酷にも手錠を掛けるなんて人間性がないにも程がある! 早く開錠して!」と朱任山に叫んだ。
足が手錠に掛けられている
(続く)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/9/15/135430.html)