【明慧日本2012年9月7日】チチハル市郵政局のシステムエンジニアで、ハルビン市煉功場の責任者でもあった李洪奎さんは、不法に懲役7年を宣告され服役していたが、刑期を満了する20数日前の8月18日、大慶市刑務所で長期にわたる迫害の末に死亡した。享年61歳。家族は李洪奎さんの訃報を聞き、驚きの様子を隠せなかった。
李洪奎さんの出所予定日は2012年9月21日だった。しかし李さんの家族は出所まで20数日を残した8月13日夜、大慶市刑務所から「脳出血の手術と治療をする為に李洪奎さんは大慶市第四病院に搬送された」と連絡を受けた。李洪奎さんはその二週間後の8月28日朝5時14分に死亡した。
李洪奎さんは1951年7月生まれ。黒竜江省ハルビン市郵電学校、ハルビン工業大学を経てハルビン市郵電管理局に機電一体化システムエンジニアとして勤務していた。1976年からハルビン市郵電局道外区郵政支局で技術更新に携わり、二年間研究開発に努めた結果、郵便物自動受け取りシステムが採用され、大変な好評を受けた。1978年、動力郵政支局で再び郵便物自動受け取りシステムの開発に携わり、その実力が認められ同年ハルビン市郵電局へ異動となった。李洪奎さんは仕事に対して責任感が強く、残業をしても決して不満をもらすことがなかった。人当たりの良い性格で、1978年~1991年にかけて14年間、連続してチチハル市郵政局先進労働者、市局工会(労働組合)勤労者として表彰された。李さんは他にも、マグネチック式スライド公告、郵便物転送監視システム、無線対話システム、郵便物識別機等の技術改良などに携わった。
李洪奎さんは1994年5月に、「真・善・忍」に基づく佛家修煉大法・法輪功の修煉を始めて以来、以前にもまして真面目に仕事に取り込み、同僚との人間関係を大切にするようになった。李さんは周囲の人々から信頼され、数年連続で市省部級労働模範、「先進労働者」などの高い名誉を与えられた。1996年のある日、郵政センターの識別設備が稼動中、制御機能に故障が起きた。長時間が経っても解決することができず、この難問に現場の皆が頭を抱えていた。ある人が「今日出張から戻ってくるはずの李洪奎さんに聞いてみよう」と提案し、皆が賛成した。事情を聞いた李洪奎さんは、出張から帰宅したばかりにもかかわらず、現場まで駆けつけてただちに問題解決に取り込んだ。
1994年8月5日、李洪奎さんはチチハル市で開催された法輪功創始者・李洪志氏の勉強会に参加した。李さんは1999年初めから、チチハル市内の煉功場の責任者を務めるようになった。
中共(中国共産党)が国を挙げて法輪功迫害を開始する前日、1999年7月19日に李洪奎さんはチチハル市公安局により不法に逮捕され、35日間不法に拘禁された。同年10月、李洪奎さんは再び不当に連行され、懲役3年6カ月の不当判決を言い渡された。2000年6月19日~2003年12月18日までの服役期間中、李さんはチチハル市第三刑務所で残忍な迫害を受け続けた。
その後2005年9月23日から、ハルビン公安局「610弁公室」は法輪功修煉者に対する大規模な逮捕行動を始め、李洪奎さんをはじめ数十名の法輪功修煉者が拘束され、全員が不当判決を言い渡された。
李洪奎さんはハルビン市道里区裁判所から再び懲役7年の不当判決を言い渡され、2007年旧正月の前日(2月15日)に、大慶市刑務所第四監区に拘禁され、残忍な迫害を受け続けた。囚人服の着用を拒んだという理由だけで、李洪奎さんは頻繁に非人道的な迫害を受けた。
大慶市刑務所第四監区の褚忠信副監区長は2009年2月17日、いわゆる「整頓」を始めた。そのターゲットは刑務所の第四監区に収監されていた法輪功修煉者:翟志彬さん、李超さん、李洪奎さん、劉貴福さんだった。彼らは毎日午前と午後の訓練に強制的に参加させられ(実質は体罰)、この迫害に抵抗した法輪功修煉者に対して、第四監区の迫害担当者・褚忠信、劉国強、李金浩の三人が拷問を加えた。翟志彬さんの頭部は大きく腫れ上がって出血が止まらなくなり、李洪奎さんを含む三人の法輪功修煉者は腕、足、臀部などに重傷を負った。
2009年、刑務所側は囚人服の着用を拒む修煉者に迫害を続けていた。李洪奎さんは頻繁に刑務所の警官から暴行を受け、自力で立ち上がることもできなくなるほど警棒でめった打ちにされ、数日間ベッドで寝たきりになる事がしばしばあった。李洪奎さんの妻は、夫が大慶市刑務所で5日間に三人の警官から9回も殴られたと聞いて、病弱な体をおして息子と数回にわたって刑務所と大慶市司法局に面会要請と殴打事件の陳情に行ったが、大慶市刑務所側は口実をつけて要求を拒んだ。
大慶市刑務所は良い人を悪い人に変え、悪い人を更に悪くする場所として、地元では大慶地獄と呼ばれているという。当局の厳重な封鎖を突破して、民間ルートを通じて伝わってきた情報によると、大慶市刑務所で虐殺された法輪功修煉者の中で、実名が分かっている人だけでも十数名に上るという。41歳の許基善さんは2005年6月7日、板に縛りつけられたまま、大隊長・李鳳江と指導員・張徳志の指示のもとで、同刑務所の受刑者に便所に運ばれて拷問を受けた。病院に搬送され応急処置を受けた時には既に死亡していた。40歳の袁清江さんは、長期にわたって大慶市刑務所の警察長から残忍な迫害を受けた結果、体はガリガリに痩せてしまい、しかし腹部だけが異常に膨れていた。2005年7月23日夜、袁さんは冤罪を着せられたまま他界した。大慶石油管理局の採油七厰に勤めていた法輪功修煉者・朱洪兵さんは7年間、刑務所で迫害を受けて続けた。朱さんは大慶市紅衛星刑務所で危篤状態に陥るまで迫害され、2008年12月29日に外部へ運び出された。そして2009年6月18日、冤罪を着せられたまま他界した。火葬された後の朱さんの頭蓋骨は、外側が白く内側は真っ黒だった。骨は深刻な骨粗鬆症が進んでいて、何らかの薬物が使用されたとみられている。
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/9/5/135292.html)