正々堂々と修煉する
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

明慧日本2015年5月24日】私は1997年から修煉し始めた古い学習者です。師父は説法の中で何回も「正々堂々と修煉すべきです」[1]と私たちに教えて下さいました。これから私はこの面での修煉体験をもって師父に報告し、同修の皆さんと交流したいと思います。

 99年7月20日以前、その頃の私の修煉は本当に正々堂々としており、法の勉強も煉功もとても精進していました。時間があれば、多くの人が法輪功を修煉するよう、法を広め、誰かに会っても、必ず法輪功のことを伝えました。いつも自分が法輪功を修煉してから、身体がどんなに元気か、精神がどんなに穏やかか、家庭がどんなに幸せか、仕事がどんなに順調になったかを言いました。そして皆が大法がよいと言いました。

 7・20により迫害が始まってから、まわりの状況が一変して、私は以前のように精進しませんでした。師父は私たちに「真・善・忍」を教えて下さいました。また大法は本当に素晴らしく、でたらめな嘘で騙された人に会えば、私は彼らに真相を分かってほしいと思いました。しかし、正々堂々としていないとこれらの事もうまくいかないと感じて、それから徐々に正々堂々とできるようになってきました。会社の上司の前でも、迫害が行なわれている警察の前でも、また日常でいろんな人と接する中、他人に聞かれても、自ら言うにしても、私はいつも本当の事を伝え、言えない事は「言えないと」と伝えます。それは言えば相手にとって良くないからです。言える事であれば、私は正直に、淡々とはっきり伝えます。

 十数年修煉してきて、私は正々堂々と修煉するのが本当にいいと感じました。

 一、 恐れているのは邪悪のほう

 2014年4・25の二日前、書類カバンを持つ三人が家を覗いているのが窓から見えたので、すぐに玄関にいって、鍵をかけ「あなたたちは何者ですか」と聞きました。するとその中の一人が「私は今度ここに新しく来た警察署の所長です。こちらは新しくきた局長、そちらは国保の隊長です。今日私は、あなたと話したいと思ってきたのです。ドアを開けて中に入れて下さい」と言いました。私は心の中で「師父は邪悪に協力しないと教えて下さっている。この人たちの言う、どんな命令にも従わない」と考え、「それはいけない。あなたたちは法輪功を迫害している。あなたたちを入れたら、かえってあなたたちを害することになります。帰って下さい」と言いました。しかし彼らは帰りません。それで私は邪悪が自分と家族を迫害した経験を話して、彼らにご家族と自分の命を大事にして、迫害を停止してくださいと言いました。彼らは「われわれと友達になりませんか。何かの困難があったら話して下さい。解決するように助けてあげますよ」などなどと話しました。

 しかし数分間対峙した後、国保隊長は我慢できなくなって、怒りだし「お前も今どんな時期かを分かっているだろう。ここ数日はお前をどこへも行かせないぞ」と言いました。私は「私は合法的公民です、だから自由に行動する権利があります、それをあなたは否認できますか? あなたがどこへも行かせないというのは、これは違法であり、つまりあなたは法律を執行する立場にありながら、故意に法律に違反することになります。あなたが行けないと言う所は、私が行かなければならない所です」と言いました。国保隊長はぎょっとして、何かを言おうとしましたが、何も言えませんでした。私は、この時自分のエネルギーの場をとても強く感じていました。邪悪は完全に制御されました。私は国保隊長に「出て行って下さい、すぐに出て行って下さい」と言うと、彼はやむを得ず家の庭から出て行きました。そのあと代わりの警官をよこしてきて家の写真を撮りました。私はその警官にも「カメラは下して下さい。写真を撮らないで下さい」と言うと、その警官も仕方がなく出て行きました。

 その後、真相を分かっている幹部が私に、「今回、市、区、町の迫害を遂行する幹部たちが一緒にあなたの家にたくさん来ました。十台の車が道路の半分を占めていたのですよ」と教えてくれました。邪悪は人を動員し、本来この地区で大きな迫害を計画しようとしたのですが、この地区の全体の修煉環境が比較的にいいので、邪悪は一番先に我が家に来て解体されました。そしてほかの大法弟子を妨害する事もできず帰っていきました。

 二、「師父のご加持」について更なる深い理解をできた

 修煉の中で関を乗り越える時、多くの同修が、特に病業の関に直面している同修は、往々にして師父に加持をいただけるよう願いますが、それは時に効きますが、時に効かないと私は感じます。少なくない人がこの事を理解できず、また一部の心性のよくない学習者はわずかながら師父を怨む気持ちを生じさせてしまいました。下記の事を経験して、私は「師父のご加持」について更なる深い理解ができました。

 以前、私が道の北側から東に向かって大法の真相を伝えるチラシを電柱に貼って行って、しばらく貼っているうちに、他の場所へ貼りに行こうと思い、ちょうど北から流れてきた川が私の行く道を遮りました。月あかりに照らされたその川は、少し幅が広く、飛び越えられそうにないので、私は師父に川を飛び越えられるようご加持を願い向こう岸へ飛びました。しかし「ドボン」と音を立て川に落ちてしまい、私は胸のあたりまで水に浸かってしまいました。私はびっくりしました。「師父は加持して下さらなかったのだろうか?」と理解できないまま岸に上りました。その時はちょうど12月と、一年で最も寒い時期で、全身ビショビショにぬれ、「どうしよう? このままで、どうやってチラシを貼っていこうか」と途方に暮れ、帰ろうとも思いましたが、すぐに私はそれを否定しました。「帰ってはならない、真相チラシを全部貼ってから帰らなければならない」、心の中でそう思うと私の脚はすでに前へ進んでいました。この時、先程まで寒かった体は、直ちに温かく感じられ、かちかちに凍った服は、歩くと「カサカサ」と音を立てて、まるで鎧を着ているようでした。服は体にぴったりくっついていましたが、冷たくはなく、私はすぐに師父に加持されていることを意識しました。こんな真冬の寒い夜に、ビショビショに濡れた綿入れの服を着て、もし師父がそばで守って下さらなかったら、すぐに凍えて、この野原に倒れていたかもしれません。

 「川を飛び越える時は、師父にご加持を願って加持して下さらず、今度は師父にご加持を願っていなかったのに、かえって加持して下さるとは、これはどういう事だろうか?」 と私は考えました。しかし私はふと悟りました。川を渡る時、もし師父が加持して下さったら、その後の思想の昇華がなくなります。旧勢力は私が川に落ちるよう按排しました。それは続けて真相を伝える事ができないようにするためです。師父は、ここで私の心性を高めるべきと見て、このような按排して下さいました。師父が弟子を高めるための心遣いは、常人の心では永遠に理解できません。私は法理を悟って、思想が本当に高まったと感じました。そして大法の真相資料を抱えて、私は心の中で「大覚は苦を畏れず 意思は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正法の路」[2]を暗記しながら、確実な足取りで、真冬の野原を歩いていきました。ですから私たちは師父に加持を願って、加持して下さらなかった時も内に向けて自分を探すべきです。なぜなら師父が何をしても、それは私たちのためだからです。

 三、 真相を伝える中で私は「被告」から「原告」へ変わった

 私は一度邪悪に連行され、610弁公室の責任者は、私に労働教養させようとしました。しかし私は師父のご加持の下で、邪悪を解体しました。しかし彼らは諦めきれず、再び私を洗脳班に一生閉じこめようと考えました。しかし1週間後、私は洗脳班から出ました。彼らはそれでも諦めきれず、検察庁は上の政府の規定を根拠にし、私の3件の行為が犯罪にあたると言いました。しかし私は検察庁で、疑いを挟む余地のない口調で、この国保隊長の訴えに反論しました。まず1件目、国保隊長は、多くの名前をリストにして、私が誰々を誘って法輪功をやらせたと言いました。それに対して私は「もしこの人が天安門へ行きたくなければ、私がその人の腕を引っ張って、腕の骨を折ってしまっても、その人は行くわけもありません。天安門にいく事は法輪功を修煉するぐらいの厳粛な問題であって、また迫害もこんなに残酷なのに、人が修煉するか否かは私に決められるものなのでしょうか?」と言いました。検察の人は「そうだね」と認めました。そして2件目、私が7、8月に法会を企画したと言う訴えに対しては、私は「邪悪が私を迫害したことによって、7、8月とその前のしばらくの間、私は家にも帰れませんでした。そんな状態でどうして公に法会を企画できるのでしょうか? また7月6日にあなたたちが言う法会に参加した人たちがみなすでに看守所に連行されているのに、その人たちを私が看守所まで追いかけ、法会を企画できるのでしょうか?」と答えました。検察の人は「できない」と言いました。そして3件目、私が洗脳班で法を広めたと言われたことに対して、私は「洗脳班では本当のことを話してはいけないとは法によって決められていません。しかも本当のことを話すのも犯罪ではありません。私が洗脳班の責任者に『奥さんに法輪大法が素晴らしいと念じさせればよいのに』と言ったのは、彼の方から先に『妻が病気に罹っていて、どの医者が診ても治らない』と私に言ったからです。私は好意から彼にこの素晴らしい方法を教えたのです。私は彼のために行い、言った事もすべて本当のことです。私はその人のためにやったのです。自分の考えを言う事も有罪ですか?」と答えました。すると検察の人は私の言う事に同意して、「上司に報告してから決定する」と言いました。

 私は続けて「国保が私を訴えるすべてが成立し得ません。しかし、彼らが犯罪を起こした事実は沢山あります。私は彼らを訴えることができますか」と聞きました。すると彼は少し沈黙し「訴えてもいいでしょう、そして彼らを調査する事もできる」と言いました。私が「国保隊長は詐欺の手段で私を連行して、調査もせず、事前に3つの罪状を作り上げました。これは案件を処理する順序をひっくり返すことになりますので、法律を執行する立場にありながら故意に法律に違反することであります。彼らの問題はまだたくさんあります、私が書面を持って整理して渡します」と言うと、彼は同意しました。

 検察院から出てきて、私は「私が被告から原告にいれ変わって、国保隊長を立件するかどうかはまず置いておこう。真相をはっきり伝え、検察院の人に大法に対して犯罪を犯させないのが目的だ」と思いました。

 私は検察院に三通の手紙を書きました。手紙の中で、法輪大法の素晴らしさ、大法が人と社会にもたらした福音、法律の角度から見た迫害の違法性、江沢民の様々な悪行を述べました。結局、検察院は再び私を呼ぶことはなく、国保の私への訴えも、うやむやに終わりました。

 四、 基点を正し、経済的な迫害を否定

 罰俸というのは旧勢力が按排した大法弟子への経済的な迫害です。師父は旧勢力のすべての按排を認めないので、弟子としても当然に認めてはいけません。私は会社と上の管理部門へ行き、罰俸された給料を取り戻し、邪悪がしでかした私への経済的な迫害を否定しようと決めました。

 初めて上の管理部門へ行った時、部門の幹部に会いましたが、彼は給料の事に一切触れず、ただ「法輪功をやるなと言っているんだからやるな」と言いました。私は「これは『憲法』で定められた信仰の自由です」と言いました。彼は「各級の党委員会が法輪功をやらせないと決めたのにまだやるのか?」と言うので、私が「何が党委員会ですか、江沢民の一言で決めただけではないですか」と言うと、彼は「江沢民が決めた事ならなおさら聞かなければならない」と言いました。私が「あなたたちは法に従って行政を行なうべきです」と言うと、しまいに彼は「それなら私を訴えたらいいじゃないか」と言うのです。この人は少しの法律的意識もなく、私の給料を取り返す道も彼に阻まれてしました。

 帰って来て法の勉強を通して、私は内に向けて探し、「給料を取り戻すのは目的ではない、この過程を利用して真相を伝えて人を救い済度すべきだ」と認識できました。基点に問題があったから前へ進めなくなったのです。師父は「皆さんは往々にして結果を重視しており、この過程の中で伝えるべき真相を十分に伝えなければならないということを軽視してしまいました」[3]、また「どこかに問題が現れたら、そこに行って真相を伝えるべきです。ただ単に訴訟を進めるために行なうのではなく、真相を伝えるためです」[3]と教えて下さりました。私は自分の思想が法の中で正され、どう行うべきかを分かって、心の中もすっきりしました。

 私は給料を取り戻す心を放下して、真相を伝える手紙を書き、直接会社の上司と上の幹部に渡しました。地域の幹部にも、警察署の所長にも、町の幹部にも直接手紙を渡しました。手紙に詳しく大法を修煉する素晴らしさ、迫害の不法と邪悪を書いて、自分が罰俸された状況も紹介して、給料を取り戻して欲しい旨を書きました。それからは給料をいつ返してくれるか、どういうふうに返してくれるかを考えずに、自然に任せました。

 ある日、町の政府の会議室でこの件に関わる幹部らと話して、全面的に真相を伝えました。その場にいる皆が聞いて、違う意見を言う人は一人もいませんでした。真相を伝え終わると、皆がとても喜んでいるのが見えました。会社の上司はお金を持ってきて「これは今月の給料です。数えてみて下さい。来月の分から振込みます」と言いました。上の幹部も「以前払っていなかった給料はこれから全部返してあげます」と言いました。下から上へ真相を伝えた中で、師父のご加持の下で、私は邪悪の経済的な迫害を否定しました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「正念正行」
 [3] 李洪志師父の経文:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/9/堂堂正正修炼-308814.html)