文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年8月27日】私は東北出身で今年69歳になりました。96年に大法を修煉しはじめました。現在は中学校の国語の教師です。
私は同年代の多くの人々と同様に、少女時代に大躍進(1958年から1960年にかけて、中国共産党が農業・工業の大増産政策を施行し、結果的に経済の大混乱を招き、推計2,000万人から5,000万人の餓死者を出す)を経験し、ちょうど成長期の体に大きな影響を受けました。そのために3、40歳の時からすでに多くの病があり、年のわりには老けていました。大学へ進学する時期には「文化大革命」に遭遇しました。数多くの政治運動の中、中国共産党が人々を迫害する色々な手段を見てきた私は、臆病になり、よけいな心配をするようになりました。いつも自分を守ろうとし、弱っていた体も精神も疲れ果ていました。修煉してから、私は心身とも浄化され健康になり、心もだんだん寛大で穏やかになりました。
職場環境を変える
修煉し始めて間も無く、私は国語の教育を研究するグループのリーダになりました。私の学校では国語、数学、外国語は、最もトラブルが多いグループだと言われています。一部の人は他人の問題を見つけると、直接指摘するのではなく、密かに上司に報告し、少しの利益のために争っていました。自分がミスを犯した時は隠し、自分の上げた成績だけを言いふらし、人と比べあうのでした。
私がリーダになってから、二つのことを要求しました。一つはトラブルをグループ内で解決し、他人に隠れて是非を議論しないこと。もう一つは真実だけを言い、良い行いをすること。そして、毎週の定例会で、私に1週間で、でてきたトラブルと不足を隠さずに、誠実に話すことを求めました。同僚たちの不足に対して、批判するのではなく、善意を持って注意することにしました。
私はしっかりと師父が『精進要旨』の「はっきりと目覚めよ」の中で説かれた「わたしがいつも言っているように、ある人が他人のためだけを思って、しかも、自己の目的と認識を少しも抱かなければ、語る話は相手に涙を流させるのです」を心に銘じました。一度私はある同僚の不足を指摘した時、彼女は私の善意と彼女を思う心を感じとり、感動してくれました。「私は数年前から、ずっとこの欠点を抱えてきました。私の両親すらそれについて何も言えませんでした」と言いました。
だんだんとグループ内のトラブルが少なくなり、笑い声が増えました。同僚たちもお互いに、心を開いて話せるようになりました。多くの同僚が「轉法輪」を読みました。若い同僚たちは私と親しくになり、自分の悩みを相談するまでになりました。中には大法の本を買って自分の両親に見せる人もいました。
インフルエンザが流行った時、校内の多くの教師と学生たちが感染し倒れましたが、私たちのグループだけは、大法のおかげで一人も倒れませんでした。ある日、ある同僚は嬉しそうに「今年あなたと向き合うようになってから、例年より病気が少なく、体の調子がよいのです」と言いました。彼女も大法のおかげだと分かっていました。もし法輪功への迫害がなければ、大法を修煉する同僚がもっと多くいたかもしれません。
修練し、ますます若くなった
私の手元に97年に写した一枚の写真があります。同じ学校の数人の大法弟子たちと撮った記念写真でした。写真の中の私たちは自信に溢れ、健康的な笑顔で、同年代の人より皆ずっと若々しく見えました。中の一人の大法弟子は、修煉する前に重い中耳炎を患い、耳の肉が腐り、とても見にくいものでした。しかしその人は、大法を修煉してから中耳炎が治り、しかも煉功すると、自然に煉功の音楽が聞こえるようになり、音楽を流す必要もなくなりました。
修煉してから、私はほぼ欠かさず煉功を続けてきました。体もほとんど老けていません。ある人は大法弟子の事を「見た目が若々しく、元気に溢れ、人にも親切で、そこに居るだけで真相を証明できます」と言ってくれました。
一度内モンゴルのある町へ、十数年ぶりに親友に会いに行きました。親友と彼女の夫が駅の入口で待っていました。私が彼女を呼ぶと、彼女はびっくりして「本当にあなたなの、信じられないわ、十数年も会っていないのに、相変わらず若くて、本当にあなたなのか信じられなかったわ」と言いました。彼女の夫も「私たちと同年代の人に見えません。私たち夫婦を見れば分かりますが、白髪だらけで、あちこち病気を患っています。しかしあなたは白髪すら見えず、体もとても元気そうですね。だけど学生時代はいつも病気がちで、仕事をしてからもいつも病院に通院していましたよね。どういうわけでこうなったのですか」と不思議そうに聞きました。
私は「法輪功を修煉しているからよ」と答えました。大法を修煉してから元気になり、「4・25」中南海の陳情、そして「天安門焼身自殺」など、真相を伝えることができました。親友は「そんなに元気になって!」と驚き、彼女の疑問が解けたようです。また「私は修煉してから、正直者になり、視野もずーっと広くなったのよ」と友人に伝えました。彼女もかつて一度『轉法輪』を読んだことがあり、今もその本を大切にまだ持っていました。私は彼女に煉功の動作を教え、修煉を始めるよう勧めました。考えてみれば、私たちが今生で友達になったのは、もしかして彼女と大法との縁を結ぶためだったのかもしれません。
私は年寄ではない、修煉者だ!
「老ける」問題において、私も一念の違いで邪悪に隙を乗じられた教訓がありました。2009年の8月、私は長女と孫と一緒に外地へ行きました。その翌日大きく転んでしまい、足に数か所の怪我をして、目の周りも青くなりました。娘が病院へ連れて行こうとしましたが、私はそれを断り「家に帰る」と言いました。娘が「今までお母さんは金剛不壊だと思っていましたが、今見れば、お母さんも年を取ったなあーと思いました」と言いました。
自分が怪我したのは、きっと漏れがあるからと分かっていました。家に帰っていつも通りに、法を勉強し、煉功して、間も無く治りました。怪我に至った原因も、孫への情が深いからだと分かりました。情を放下するようにしましたが、「老けた」との思いを否定しませんでした。それに時々「自分も年を取ったなあー、物忘れも多くなり」と思っていました。自分が認めれば、本当に老け始めました。みるみるうちに白髪が増え、皺も多くなりました。顔色が暗くなり、体も重くて、長く歩くと足を挫いたりすることもありました。
ある日、同修と交流したとき、つい「老けた」と口にしました。同修は「われわれは性命双修の功法を修煉しているから、修煉すればするほど体に蓄えた高エネルギーの物質も多くなります。どうして老けるのでしょうか。老病死は常人の理です。常人を制約するもので、修煉者を制約するものではありません」と言いました。同修の話を聞いて、私は老けていると認めていることは、つまり旧勢力の按配を認めたことではないかと思いました。
絶えず法を勉強し、明慧ネットの体験文を読み、私の老けることへの認識もますますはっきりしました。大法弟子は心性を高めると同時に、表面の体も心性の高まりにしたがって、ますます若く、綺麗になる。これこそ師父が求められていることです。心の底から師父を信じ、法を信じ、旧勢力が按配した私たちの肉体を老衰させる要素を取り除き、自分の体と身の回りのすべてを良い方向へ運びます。私たちを通して、大法の超常さと素晴らしさを、世の人に分かるようにするべきです。
今年の3月、私は嵩山(河南省の洛陽の東にある名山)へ行ってきました。三皇寨側から登り、少林寺から降りました。大きな荷物を背負いながら、歩いて完走しました。ほとんどの若者が三分の一までしか歩けず、引き返しました。終点までたどり着いた人でも「疲れたー」と言いました。元気な私をみて、歩いていた途中で、絶えず私の年齢を聞く人がいました。「そろそろ70歳を迎えます」と答えたら、皆びっくりしました。親指を立てて、私の健康な体を羨ましがっていました。私はこの機会に真相を伝えました。真相が分かった人は心から「法輪功はこんなに素晴らしいものでしたか」と感銘を受けていました。
この末劫の時期に、幸いにも大法に出会えたことは、師父への感謝の気持ちで一杯です。 修煉において、まだまだたくさんの不足があり、時には緩んで精進しないこともありますが、修煉当初の気持ちに立ち返り、同修たちと共に、師が法を正すことを手伝う道を、邁進するようこれからも努めてまいります。