明慧法会|江沢民告訴の大潮流の中で向上する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年12月9日】今年の春以来、長い間、私は俗世間の包囲の中から抜け出すのが難しく、心の中では自分がすでに大きな妨害を受けたことは理解できたのですが、脱する方法が見つからず、まるで悪い夢の中に身を置いているかのようでした。私はこの地区で主要な協調の重責を引き受けており、多くの同修が日常の仕事の悪循環の中で行き詰っていることに気づいていました。

 江沢民告訴の大潮流を正確に認識し、妨害されている窮地から抜け出す

 7月初旬になった時、非常にはっきりとした夢を見ました。その夢の中で私は若く、必ず参加しなければならない、非常に重要な試験に臨んでいました。そしてその試験がすでに始まっていることを知っていましたが、家から試験会場までは相当な距離がありました。自転車に乗って急いで試験会場まで行かなければならないと思ったのですが、焦れば焦るほど自転車が見つかりませんでした。やっと見つけたと思ったら前輪がパンクしており、非常に慌てている時に夢から覚め、その時、心臓はまだドキドキしていました。

 私が明慧ネットを開いて見た時、同修たちの江沢民告訴という特定のテーマについての交流文章に心を揺り動かされ、そしてはっと悟ったのでした。名利心に駆り立てられて常人の雑務に追われていたため、学法しても心が入らず、法理もはっきりわかりませんでした。おごり高ぶりや自己満足、独りよがりな心が膨らんだために、長い間、明慧ネット上の同修たちの交流文章をまじめに読んでおらず、師父が法を正す進展に追いつけなくなってしまったのでした。

 まず私は明慧ネット上にある同修たちが書いた江沢民告訴に関する資料や本、文章をまじめに精読し、詳細に研究しました。それから、市内や農村の同修たちと集まってみんなで交流し、切磋琢磨し、法理上での認識を高めました。みんなを励まし、恐怖心を放下し、常人から脱しました。ある同修はすでに江沢民に対する告訴状の草案を練っていました。またある同修は「ずっと前からこの日が来るのを待っていたんだ。告訴状を書かずにいられようか?」と言いました。90%以上の同修が江沢民に対する告訴状を書くことに同意しました。

 郵便局、村役場、警察署へ行き真相を伝え

 江沢民に対する告訴状は続々と発送を終え、7月分はもうなくなろうとしていました。一部分は順調に配達されましたが、一部分は北京空港で止められてしまいました。そして、大部分は地元の地級市(中国の地方行政単位の一つ)の「610弁公室」によって押収されてしまいました。

 このような楽観できない局面に直面し、私たちは無条件に内に向けて探し、同時に、発正念の密度を高め、集中して正念を発しました。一方で、コンピューターのわかる同修が受け取りのサインをもらえなかった全ての告訴状をインターネットを利用して順調に目的地に送り届けました。また一方で、告訴状がきちんと配達されていなかったため、告訴状を配達した郵便局を手分けして探し、関係者に問い合わせました。公の場所で、大法が迫害されている真相と、江沢民告訴の世界的な勢いを述べました。郵便局員は謝り、私たちのために問い合わせてくれました。多くの関係者とその場にいた人々が大法の真相を理解しました。これこそが私たちの主要な目的であり、真実の意義がここにあったのです。

 8月中旬、地元の村の政府の役人が地元の公安局や警察と協力して江沢民告訴の手紙を出した大法修煉者をしらみつぶしに探しました。江沢民告訴に参加していた大部分の同修が嫌がらせや取り調べを受けました。全体に人心が浮かび上がって来たので、私はそれぞれの学法点でみんなと交流しました。同修たちは自分の不足と漏れを探し、各々がそれを認識し、正念で解体し、それを正しました。

 ある日の晩、家に帰った後、午後に警察が私を探していたことを知りました。私は「これはまさに警察の人たちに真相を伝える良い機会で、これは江沢民告訴の大潮流がもたらした契機だ。いつもならこのような警察の人たちに真相を伝えるよい口実は本当に見つからないのだ」と思いました。さらに、江沢民を告訴するときに本名を名乗って進み出ることを決心しました。こう決めたからには、生死を放下することになるでしょう。私の心の中には「警察の人たちに真相をわからせ、大法に対して犯罪を犯させないようにし、警察の人たちが救い済度されることを希望する。真相をはっきり伝えるという神通力で、他の同修への妨害を排除し、環境が切り開かれることを希望する」というただ一つの念だけがありました。

 私はオートバイに乗ってまず村役場に行き書記を探しました、書記は私から真相を聞いたことがありました。真相を理解した後、生命のあるべき選択をしたのでした。この時、書記は江沢民告訴の情況に従いました。書記に会うと私は少しほっとして、多くの国民が江沢民を告訴する意義とその勢いをはっきりと伝えると、書記の賛成と理解を得られました。警察所の警官が私を困らせるのではないかと書記は心配し、書記自ら警察所へ送って行き、私に対する親近感と配慮を表しました。

 警察署の署長が不在だったので、私は指導員に会い、「私は大法修煉者の○○です。遅くにお邪魔してすみません。本当はもっと早くあなたたちとお互にコミュニケーションを取り、理解していただきたかったのです。なかなかこの一歩を歩み出すことができずにいました。というのも、私の修煉が不足していたからです。まず、あなたたちは法輪大法が正法修煉であることをはっきり知るべきです。法輪大法は、ニュースメディアで捻じ曲げられて伝えられています。危険思想や人に害をなす悪ではありません。ですから、法輪功と聞いて恐がったりしないでください」と第一声を発しました。

 指導員と一人の若い警官が私を警察署内のパソコンの横に連れて行きました。空はすでに暗くなっていました。さらに、どのように真相を伝え法を実証すればいいのかをずっと考えていたために、その部屋に入った時、その部屋が何の事務室なのか、私はまったく気にしませんでした。警官が訊問口調で私に質問し始めた時、私は「私は厳粛に声明しますが、私は法を犯していないし、犯罪も冒していません。あなたたちがこのように尋問するのならば、私が協力しないことを私のせいにしないでください。もし私に話してほしいなら、言いたいことを言わせ、自分から話したことに対しては、もちろん私は責任を負いますが、そうでなければ、協力しません」と言いました。指導員は慌てて、「いやいや、適当におしゃべりしましょう。あなたに話があるならどうぞ話してください」と言いました。

 そこで私はきちんと次のことを伝えました。私がどうやって人生の中で苦しみながら真理と人生の本当の意味を探求し追い求めて来たのか。なぜキリスト教や仏教の門をくぐらなかったのか。それどころか中国共産党の邪党文化の洗脳を受け愚かにも盲目的に中国共産党に加入してしまい、中国共産党の空前絶後のひどい腐敗の染物がめの中でばくちが病み付きになり、家の財産を使い果たしてしまったこと。どのようにして絶体絶命の状態から大法に出会い、大法に出会ったことをうれしく思ったか。どのようにして大法の中で心を入れ替えて真人間に生まれ変わり、改心し、新しい人生を獲得できたのか。どのようにして大法の修煉を通じて自分がかつて患っていた難病がいつの間にかなくなってしまったのか。それは法輪大法が私を救い、私の家族全体を救ってくださったからだ、ということを伝えました。

 私は引き続き「法輪大法は世界にあまねく伝えられ、江沢民はそれを嫉妬し、独断専行で中国共産党政権を利用して法輪功に残酷な迫害を加えました。天安門焼身自殺のうそをでっちあげ法輪功にぬれぎぬを着せ陥れただけでなく、人体臓器狩りで暴利を得たために、その極悪非道の仕業がすべての人から恨まれるようになってしまいました」と伝えました。私自らが恩恵を受けたはっきりとした事実を例に出して、法輪大法のこの上ない美しさと素晴らしさを実証し、江沢民のグループが法輪功を迫害するという大それた罪を犯していることをゆるぎない証拠によってはっきりと説明し、「江沢民を厳罰に処さなければ、民衆の怒りは収まらず、人心も正されず、道義上も許されません!」と説明しました。

 指導員は口を挟んで「法輪功がそんなに良いのであれば、中南海を包囲攻撃すべきではなかった」と言いました。私は指導員たちの話を引き継いで、指導員たちに「4.25」の原因と結果の真相を伝えました。私は指導員たちに「私が江沢民を告訴するのは憲法が一人一人の国民に与えた基本的権利と義務を果たしているだけです。誰も私と組織を組んでおらず、私は本名を用い、身分証のコピーとサインと拇印で済ませたいというのが私の希望であり、他の人はまったく関係ありません」と伝えました。

 私が真相を伝えている間、指導員は頭が痛くてたまらず、真相を伝えたことにより損害を受けた他の空間の生命が耐えられなくなったのだ、ということを私は悟り、そして指導員は予定よりも早く退場してしまいました。事務室を出て行く時、指導員は「この件がかたづいたら、私たちは二人でおしゃべりしましょう」と一言言いました。

 若い警官は私の話を聞いて整理した資料に目を通させてくれたのですが、基本的に原義はあっていましたが、いくつかの重要な部分を避けて書いていないと感じました、例えば、「法律の角度から説明した江沢民告訴の意義と合法性」「当局から提出された『法に基づく国家統治、憲法に基づく国家統治』と『案件があれば必ず立案しなければならず、告訴があれ必ず受理しなければならない』の新理念と新政策。現在の『江沢民告訴に対する逆流を阻止する』運動は江沢民グループの悪の残存勢力が死に物狂いでもがいていることを説明しており、それは周永康、薄煕来の流れの影響がまだ残っていることを説明しており、それは違法で違憲な犯罪行為であり、将来大清算が行われる時、すべてがスケープゴートとして見捨てられ、懲罰を受けること」などなど、これらのことが書かれていませんでした。

 その若い警官は私に「忙しくて疲れており、こんなに遅くなってしまっては休むこともできない」と許してくれるよう懇願しました。私は「すでに言ってある通りですが、私が言った通りに書いてくれなければ同意できず、決してサインはしません」と言いました。お互いに譲り合わない状態が続いたのですが、若い警官が指導員に電話して来てもらうと、指導員は「この資料の下の部分には余白がありますから、ここにあなたが話したいことをできるだけ補填しましょう」と言いました。

 私が言わなければならないこと、私が言いたいことを書いてもらった後、実名でサインし、拇印を押しました。警察の書類にサインし拇印を押すことは、ある意味では警察の仕事に協力していることになりますが、別の角度から言えば、これも真相資料であり、江沢民に対する告訴状に署名し拇印を押したことになるので、公明で正々堂々とした行動だ、と私は思いました。

 時間はすでに夜の10時に近づいており、同じ村の甲と乙の同修2名も長い時間待ち続けており、指導員にせかされる中、私は引き続き深く真相を伝えました。指導員は「今日はもう遅い、私は頭が痛くてたまらない、また明日来てください」と言いました。次の日、甲と乙の2名の同修が帰った後、指導員は「今日は尋問室に行かなくてもいい、ここで話しましょう」と言ったのですが、真相を伝えたことで新しい環境を切り開いたのでした。

 3日目、私は警察署へ行き、2回目にやっと指導員を見つけ、午後いっぱい話をし、指導員のために多くの謎を解きました。それはたとえば、私たちが中国共産党の悪行を指摘するのは政治を奪還したいためではないことであり、「三退するとなぜ平安が保たれるのか。どうして天が中国共産党を滅ぼすのか、その定めと原因」を説明しました。私は指導員に仮名を与え三退を勧めると、指導員は「うん、うん」と何度もうなずき承諾しました。

 「610弁公室」のボスに会って真相を伝える

 江沢民を実名で告訴し、公安局や警察署へ行って真相を伝えた後、私は自分でも気づかないほどの誇りの感情が心の底に湧き上がって来たので、「610弁公室」の主任に会って真相を伝えることにしました。「610弁公室」に行く路上で、できるだけ多くの時間正念を発していると、心の中に危険な場所に単身乗り込む勇壮な念が浮かびました。

 紆余曲折を経て、「610弁公室」のボスを探し当てました。私が名乗り出ると、ボスは杓子定規なことを言い始め、デマを流すメディアが発している法輪功を汚すうそを繰り返しました。私はボスと発言権を奪い合うしかなく、ボスの思考ロジックと機械的な話題の出し方を混乱させながら、真相を伝えうそを暴露しました。私の心の中に恐れはありませんでしたが、本当は少し急いでいました。そのうちに、ボスはボスが言いたいことを言い、私は私が伝えたいことを伝える状況になりました。因果応報を用いてボスの閉じている良知と善の心を啓発するのは難しいと気づいたので、私はボスに「今、取り除かれている『老虎(大規模な悪事を働いた者)』はみな、法輪功を迫害した主要な共犯者で、特に李東生は中央『610弁公室』の主任です。あなたたち、江沢民を告訴することを不当に妨害している人は、周永康の命令を執行している者であり、その人は『法に基づく国家統治』に反対を唱えていることになります」と伝えました。ボスは「あなたたちは政治に参与すべきではない。あなたたちは外国の反中国勢力に利用されており、あなたたちは深く迷っているので、私は専門家に来てもらう準備をし、あなたたちにきちんと話をしてあげましょう」と言いました。無意識のうちに、ボスは洗脳班を利用したいという陰謀を暴露したのでした。この情報を得てから、私たちは正念で中国共産党にとっての有利なチャンスを解体したのでした。

 結局喧嘩別れとなりました。私はひどく意気消沈し、歩きながら内に向けて探し、自分の歓喜心、顕示心、満足心、自分を英雄視して勝気で負けず嫌いな心が見つかりました。こんなにも多くの人心に駆り立てられているのに、どうやって慈悲心が生み出せるのでしょうか?同修と交流した時に自分の過ちを責めとがめました。同修は私を励まして「そんなに悲観的にならないで。この一歩を踏み出したことはとても素晴らしいことです。これもまた江沢民告訴の大潮流がもたらした進歩です。ボスが真相を受け入れなかったことを表面的に見てはならず、あなたの話にはエネルギーがあり、ボスの脳裏に入っているはずです。後になって思い返してみれば、ボスの体の良くない物質を解体し震え上がらせる作用を果たしたとわかるはずです。しかし、これからはこのような大事を行う時は、みんなと連絡を取らなければいけません。そうすれば、みんなは正念であなたを加持しますから」と言いました。同修たちが私を加持し、さらに精進するよう励ましてくれていることがわかりました。このことから、私は全体の力を重視しなければならないことを悟りました。

 不当に連行された後に真相を伝える

 8月も終わりに近づいたある日の朝、私と同修の甲と乙は騙されてパトカーに乗せられました。市の国保大隊の隊長の話によれば、国保大隊のリーダーが私たちに会いたがっている、ということでした。私は「江沢民はもう告訴したのだから、誰かに会う意味はないのではないか?しかし、どこに行こうとも正念と真相で天地を造らなければならない」と思いました。

 国保大隊に向かう途中、私はずっと大隊長に真相を伝え続けました。大隊長は、心の中ではわかっているが、大隊長自身は自由な行動が許されず、命令を守って行動しなければならないのでどうしようもない、ということを言いました。私は大隊長に「ベルリンの壁が倒される前、東ドイツの衛兵は命令通りに壁を越えようとした青年を銃で射殺したが、ベルリンの壁が倒された後、裁判官によって有罪判決を受けた」を話しました。私は大隊長に、良知と善の念を用いて、銃口を上に向けるようにと勧めました。大隊長は消極的ながらも同意しました。私は息子(同修)に「私は不当に連行されたので、部屋を片付けておくように」とショートメールを発信しました。

 私を不当に連行したその他2人の警官は臨時に他の町の警察署から転任して来た警官でした。私は2人とも知っており、以前はずっと2人に真相を伝えようとしましたが突破できなかったので、2人におわびをしました。大隊長は「それならこれからはちょくちょく彼らと会って、ちゃんと話をしてやればいい」と言いました。大法がいかに美しく素晴らしいかを私が話した時、大隊長は「それなら私も『轉法輪』をちゃんと読まなきゃならないな」と言いました。私は大隊長に厳粛に「大法の本を読むときには重視すべき注意事項があります。それは師と法を敬う心をもち、大法の本を読みたいのであれば、いかなる観念をも放棄し、一度に読み切らなければなりません」と伝えると大隊長は同意しました。

 2台のパトカーに乗って来た6人の警官は、私たちがサインを拒絶している状況下で、私と甲、乙2人の同修を有無を言わせず拘置所に拘禁しました。これは市の公安局が統一して計画したわなでした。しかし、真相を理解した警官が拘置所の所長に、私たちを良く扱うように言いつけてくれたので、警官たちの良心が悟り、これで過ちを償ったと言えるでしょう。

 拘置所の所長は最初に「法輪功をやるなんて、あなたたちは頭が悪いんですか?」と言いました。私は「私たちはちゃんと交流したのに、あなたはまだはっきりとわからないんですか?」と言いました。所長は「10日間あるので、時間はたっぷりある」と言いました。私は「大いに時間が必要です」と言いました。

 宿直の警官が私たちに囚人服を着させようとしたので、私たちは「私たちは違法なことをしていないし、犯罪も犯していないので、絶対に着替えません」と言いました。警官は困ってしまったので、所長と相談してもらうと、所長は許してくれました。所長は私たち3人が一つの部屋になるように手配しました。私たちはテレビは必要なかったので、宿直の警官は私たちにケーブルを切断させました。こうして、学法、煉功、発正念に影響を受けない環境を作り出しました。

 次の日の午後、所長は私たち3人を南棟の下に呼びました。私たちは所長と涼を取りながら話をしました。私たちは多方面にあらゆる角度から所長に真相を伝えたところ、所長は口では同意を表しませんでしたが、所長の心の中の防御線が瓦解し崩壊していくのが見て取れました。この人たちは本当にかわいそうです!しかし何と言っても所長は真相を聞いたのですから、所長にも縁があると言えるでしょう。

 私たち3人は切磋琢磨して交流し、真相を伝える方法を練り直し、利用できるすべての機会を利用して縁のある人に真相を伝え、三退を勧めることにしました。私たちは他の囚人たちと比べれば、学法、煉功、発正念を静かにできる環境が保障されているかわりに、拘禁されている他の人たちと一緒に生活することはできませんでした。私たちと他の囚人たちの庭は5メートルの鉄筋の柵で遮られていました。ここでは、食事と睡眠の時間には部屋の中に閉じ込められていますが、その他の時間は普通であれば庭に出て活動することができました。活動の時間に、拘置所の人たちが私たちを囲んで話しをしたので、拘置所の人たちに真相を伝える機会を私たちは失うことはありませんでした。5人の人が中国共産党の共青団と少年先鋒隊の組織を脱退し、生命の最も賢明な選択を行いました。

 執着を深く探り、悪いことを良いことに変える

 拘置所での部屋がちゃんと手配された後、私たちはまじめに切磋琢磨して交流し始めました。甲同修は修煉する前、ノイローゼとうつ病を患っていました。修煉の後、それらの症状は全部消えましたが、今は拘置所に入れられるという突然の刺激を受け、甲同修は耐えられなくなり、気持ちが落ち着かなくなってきました。私は「私たちは今日、拘置所に入ってきましたが、これは私たちに漏れがあったために旧勢力によってしっぽをつかまれたからです。私たちはまったく旧勢力の按配を認めておらず、旧勢力の按配を逆手にとって打破する法について師父が説かれたのを私は覚えています。私たちはこの悪いことを良いことに変えなければなりません。真相を伝え人を救う縁を放棄しないという前提の下、第一に、自分のどこが法からそれてしまっているのかをまじめに内に向けて探さなければなりません。第二に、私たち3人は普段はたいへん忙しい人間ですが、今は忙しいですか?私たちはこの時間を十分に利用し、心を静めて法を唱え、最低限、自分たちが暗記している法を互いに教え合ってしっかり暗記しなければなりません。第三に、高密度で高レベルにしっかりと正念を発して、徹底的に旧勢力の迫害を否定し、江沢民告訴の大潮流を妨害する邪悪要素を徹底的に取り除かなければなりません。第四に、毎日必ず5式の功法を全部煉功できなければなりません。私たちは今、『八卦炉(道家が丹薬を練るのに用いたという炉)』に投げ入れられた孫悟空よりははるかにましです。旧勢力は私たちを迫害できません。なぜなら、私たちが修煉すれば邪悪を見抜く眼力をもつからです。私たちは鉄扇公主の腹の中にもぐりこんだ孫悟空よりもずっと強く、正念と神通を用いて邪悪をかく乱しはらわたを引きちぎらなければなりません」と言いました。私の提案と意見にみんな賛同しました。

 師父の『真修』『悟』『修める者の忌』『堅定』『境界』『修める者はおのずとその中にいる』などの経文を繰り返し暗唱していた時、私は心を静めて自分が普段言っている言葉や行っている行動、思っていることを子細に法に照らしてみました。驚きを禁じ得なかったのですが、というのも、自分の利益心が常人の中での金儲けを重く見ており、それによって忙しくてさんざんな目に遭っていたのでした。ビジネスにおいては個人の損得にばかりこだわり、同業者と公然と闘争を繰り広げ、それは強烈な嫉妬心でした。同修との交流中も大言壮語し、弁舌がよどみなく、いつも交流の名の下に指導を行い、同修たちのお世辞や依頼などの盲目的崇拝に対して警戒を強めるどころか一人で得意になりました。それは強烈な顕示心に駆り立てられた、自己の名利を求める心を満足させようとするものでした。なんと、大法の中で名利を求めようとするとは、本当に危険極まりないではありませんか!協調の仕事の中でもいつも自分が中心で、一方的な意見で命令を無理強いし、独断専行していました。さらに、いつも常人の状態に符合し、家庭の調和を保つという言い訳で覆い隠し、今に至るまで徹底的な断欲ができていませんでした。江沢民告訴を始めた時、同修たちにできるだけ恐怖心を放下させるために、常人の「打虎(中国政府内部の汚職の幹部らを撲滅する政策)」の形勢の分析に偏りました。それは常人の形勢に自己の依頼を託すことであり、大法の方向性から逸脱していました。これらの極めて汚れた物の全ては、どちらにしても自分の渡し船を縛り付けて出帆できなくしているロープのようなものではありませんか?どれか一つでも天国へ持って行けるのでしょうか?

 私たちが隣の麻薬中毒者に、これからは徹底的に麻薬を放棄するように勧めた時、麻薬中毒者たちはなんと「今度外へ出たら、一回だけ吸ったらきっぱりと諦めます」と言いました。私たちは情けなくなりました。私たちが常人の中の執着を捨てきれず、心をえぐられ骨にまで突き刺さるように感じていた時、高い次元の高い境地にいる生命の目から見れば、麻薬を捨てられない麻薬中毒者と私たちは同じに見えたのではないでしょうか?

 甲同修は「自分が常人の幸福に夢中になり、お金を追求し、メンツを重んじ、大法の感性的認識で一定の所に留まり、ぬけ出せていないことに気づきました。煉功を通してただ病気治療と健康保持に到達したいと思っていただけで、常人の執着を放棄しようと思っていませんでした。普段友達を作るのも交際やリターンを得るためで、慈悲心から人を済度するためではありませんでした。心の中での心配事はいつも両親や兄弟、家族のことなどで、情のために疲れ果てていました。実際、常人の中の情そのものが『私』の属性でした」ということを見つけ出しました。特に恐れる心が重く、私心も妨害していました。以前は自分の修煉はよくできていると思っていましたが、今、試練と関を目の前にしてみると、自分の修煉は大きく遅れていると感じました。この魔難は自分の中にある執着の漏れが招き寄せたものだと思い、心の中はやましさでいっぱいになりました。

 乙同修も「自分はただ多く儲けて常人社会で楽に暮らしたいと思っていただけです。ただ大法の中で何かを手に入れたいと思っていただけです。大法のために貢献しようとは思いませんでした。ほめられたいと思うだけで、批判や意見を聞くことができませんでした。怒りっぽい性格で、何かを改めようとするときはいつもダラダラして、ちょっと何か言われるとすぐかっとなり、誰かに批判でもされようものなら爆発していました。長い時間にわたって、心を静めて学法することを保障できませんでした。集中せず、煉功を途切れ途切れに行っていました」などを見つけて話しました。

 各自が内に向けて執着を深く探った後、私たちは毎日、初日に決めた按配に従って繰り返し続けて法を暗唱し、高密度に正念を発し、煉功し、真相を伝えました。乙同修はここで多くの法をすらすらと暗唱できるようになりました。甲同修の恐怖心は日に日に減少し、気持ちも日に日に落ち着いてきました。以前、私たちの間にあった誤解と隔たりは全部、雲散霧消しました。

 私たち3人はみな「現在、江沢民告訴の大潮流の中で戦い、この鋭い一打ちを受けました。正念が迫害を打破する状況下では、かえって理性がとてもはっきりしました。正念がとても増強され、心性は明らかに向上しました」と思いました。これからは、学法に身を入れ、すべての人心の執着を放下します。完全に師父と法を信じ、師父がお与えになった三つのことを行い、史前の誓約を果たします。円満成就して師父に従って家に戻らなければなりません!

 私が法会の交流文章をちょうど書き始めたこの重大な時に、旧勢力は10日間にわたって私に対して妨害と迫害を押し付けました。本来なら充分な時間があったにもかかわらず、相当な緊張を強いられました。これは師父の慈悲なる恵みと私たちの貴重な縁であるので、私は連続30時間、まばたきもせず旧勢力の妨害を一掃しなければなりませんでした。最後の一刻になってやっとあたふたと文章が書きあがり、江沢民告訴の大潮流の中で自分が修煉の中で得た心の変化の過程を書き、自分の答案として提出したいと思います。師父に喜んでいただきたいと思っていますので、同修の皆さんの慈悲深いご教示をお願い申し上げます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 [2] 李洪志師父の詩:『赤い魔を燃やし 金剛を精錬する』

 [3] 李洪志師父の詩:『精進要旨』「聖者」

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/10/318637.html)
 
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