遼寧省:男性法輪功学習者 迫害されて死亡(写真)
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 【明慧日本2015年12月17日】遼寧省盤錦市の法輪功学習者・李尚詩さん(65歳男性)は2004年、不当に連行されて懲役14年を宣告され、撫順(ぶじゅん)市第二刑務所に拘禁された。2008年、瀋陽(しんよう)市第一刑務所に移送されて厳しく監視された。2013年11月22日、李さんは無念な思いを晴らせないまま死亡した。

 李さんは盤錦林産物会社の元マネジャーだった。2000年3月、李さんは法輪功を学んでいるとの理由で、強制労働3年6カ月を強いられた。

 李さんの娘・李鴻舒さんは盤錦第一人民病院の従業員だったが、法輪功を学んでいるとの理由で懲役10年を宣告された。

 不当連行と刑罰

 2004年4月20日午後5時過ぎ、李さんは自転車で出かけたとき、突然4人の青年が飛び出してきて、李さんを押し倒した。そして、李さんを双台子(そうだいし)区公安支局まで連行した。その後、盤錦第三留置場に移送した。

 李さんは留置場で独房に監禁された。3日後、盤錦公安局の連傑ともう1人の警官が李さんを尋問した。李さんが協力しないと、連は李さんにビンタを食わせ、李さんの胸部の真ん中を強く殴った。倒れた李さんは大声で叫んだ。そこで連はやっと手を止めた。痛みに苦しんでいた李さんはまた独房に監禁された。

 翌日、盤錦公安局からやってきた、李国華ともう1人の警官は、再度、李さんを尋問した。尋問の全過程において、李さんは一言だけ述べた。「政府は法輪功学習者に対して法律を論じたことがないので、私はいかなる質問にも答えることを拒否する」と。それから李さんは再び尋問されることはなかった。警官らは捏造した書類を検察院に渡した。

 9月上旬、李さんは興隆台(こうりゅうだい)区裁判官・馬力に懲役14年を宣告された。馬力は数年来、法輪功に対する迫害に加担していた。 

 拘禁から迫害死まで

 2004年9月28日、李さんは撫順(ぶじゅん)第二刑務所に送られた。その後、数カ所の刑務所に移送されて様々な拷問を受けた李さんは、強制労働を強いられた。李さんは迫害に抗議し、28日間断食をしたが、死人ベッドに縛られて灌食された。李さんの胃は挿入された管で傷つけられた。

拷問のイメージ図:灌食

 2010年6月、李さんは瀋陽(しんよう)第一刑務所に移送されてスタンガンで電撃され、独房に監禁された。第3監獄区の責任者・董賀軒は警官らに命じて、3人の法輪功学習者にほんの少しの食物を与え、独房に監禁させた。そこに李さんも含まれていた。理由は法輪功修煉を放棄することを拒否したからである。李さんは家族との面会も許されなかった。

 その後、李さんは厳管区域に移送された。2013年11月22日、李さんは吐血して刑務所の病院に送られた。それから、一般の病院に送られたが、その日に死亡したという。

 刑務所の警官は、「李は結核で死亡した」と言った。瀋陽第一刑務所の警官は李さんの死に責任を取らなければならない。

 李さんの娘が受けた迫害

 1999年、李さんの娘・李鴻舒さんは強制労働3年を宣告され、馬三家労働教養所に拘禁された。2002年、鴻舒さんは懲役10年を宣告され、瀋陽女子刑務所に拘禁された。鴻舒さんは心身共に残酷な拷問を受けた。母親が娘の面会に行く度に警官は許可しなかった。

 2007年11月20日、母親が娘に面会に行ったとき、警官は「鴻舒は厳しく監視されている。家族との面会は許可されない」と回答した。母親が娘に会うことが出来たのは2008年1月9日だった。しかし、驚いたことに、鴻舒さんの右側の顔は腫れていて、目も非常に小さくなっていた。左側の顔は窪んでいて、やつれていた。鴻舒さんは歩くことも、立つことも、座ることも難しい状態だった。

 2012年、鴻舒さんはやっと解放されたという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/26/283162.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/12/2/143466.html)
 
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