親子が数年前に迫害により死亡(写真)
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 【明慧日本2015年12月24日】法輪功学習者・譚延軍さんは10年前の2005年2月27日、警官に拷問されたのち、ふたりの幼い子供を取り残したまま、この世を去った。父親の譚国義さんはそれより数カ月前に、この世を去った。譚延軍さんの妹、譚延偉さんは2009年、警官により無断で住所を変えられた。当該件はいまだに解決されていない。

拷問を受け、身体が麻痺し、亡くなる

 譚延軍さんは2004年11月15日、鶴崗市第一留置場から開放された。同留置場の責任者・李迎晨、刑務所の医者・楊占軍、運転手・張強は譚延軍さんを、彼の母の自宅から100メートル離れている小路に突き落とした。彼は母親に助けられて、母親の自宅まで這って行った。彼は妹に「私はこの家を出るときは歩いていたが、いまは這って帰ってきた。これらはすべて中国共産党のせいだ」と言った。譚さんは帰宅したときには、座ることも、横たわることもできなかった。また食べることも、寝ることもできず、血を吐き、呼吸困難な状態だった。2005年2月27日、彼は40歳でこの世を去った。

譚延軍さん

 譚さんの家族は2004年9月14日、譚さんに身体検査を受けさせるため検査費用を支払った。譚さんは鼓膜が穿孔し、強直性せきつい炎、寛骨の関節炎、結核、洞性頻脈、リウマチなどを患っていて、下半身が麻痺していることが分かった。医者は直ちに入院すべきだと言ったが、警官は同意しなかった。

殴打され、拷問される

 2002年1月9日に、警官は不法に譚さんを連行し、新南公安局につれて行った。警官は彼の自宅に押し入り、2回隅々まで捜索した。彼らは法輪功書籍、銀行通帳、キャッシュ、家電など多数を没収した。派出所で、工農公安局支局の局長・李樹江などは譚さんを丸一日尋問し、拷問した。また彼の指をむりやり押えて、10数枚の白紙の資料に押印させた。譚さんは鶴崗第一留置場に移送された。そこで、李樹江は彼を毎日拷問した。李は「鶴崗市中国共産党書記の張興福は、私たちに法輪功学習者を犯罪者扱いすればよいと言った。私たちには権限があるから、あなたを殴って死なせてもよい。私達の上層部がすべての責任を取る」と言いはなった。

 2002年4月18日、警官の張志鵬は譚さんのことを聞き出すため、譚さんの二人の子供を鶴崗第一留置場へ連行した。そこで子どもたちは父親を認識することができなかった。父親の顔は青あざになるまで殴られて、化膿した水泡があった。譚さんは彼らに「家に帰り、お婆さん、お爺さん、おばさんに、お父さんが警官に殴れて、心臓の病気、鼓膜穿孔、関節に問題があると伝えなさい。市病院で鑑定した結果だから」と伝えた。その声を聞いて、子供たちはやっと彼が父親であることをしった。彼らは苦しそうに泣いていた。

強制連行と監禁の前

 譚延軍さんは龍炭鶴崗支社鶴鉱山建築隊の従業員だった。彼は原因はわからなかったが、身体が弱かった。1996年彼は法輪功を修煉してから、元気になった。1999年7月、譚さんは北京へ行き、法輪功を修煉する権利を守るため、請願に行った。北京から戻った時、強制連行され、3カ月間監禁された。警官は彼の自宅をくまなく探した。2000年3月1日、彼は強制連行され、鶴崗第一留置場に移送され、7カ月間監禁された。彼は残酷に拷問され、自分の面倒もみることもできなくなった。刑務所の医者は彼の血圧と脈が測れなくなり、解放された。

迫害を受け、父親が亡くなる

 譚延軍さんの父親の譚国義さんは警官に絶えず脅かされて、2004年7月3日になくなった。享年67歳。

譚国義さん

 1999年7月20日、法輪功に対する迫害がはじまった時、警官は譚さんの自宅に行き、不法に家宅捜査した。東山区新一派出所の警官・楊茂林、王才、肖春泉らは、譚さんの個人の所持品を没収し、2002年6月29日、鶴崗市第二刑務所に移送した。そこで譚国義さんは拷問された。一日に饅頭一つしか配給されなかった。彼は結核で倒れ、病院に送られた。彼の子供は全員法輪功を修煉していたため、刑務所に監禁されていた。彼の医療費用を支払える人がいないので、彼は解放された。しかし、彼は毎日近所の共産党の幹部・陳鳳蓮に苦しめられた。

 堪え間ないいやがらせを受け、彼は常に高熱になり、咳をし、血を吐いた。彼は子供たちが恋しくなってきた。彼の息子・譚延軍さんは9年の刑を言い渡された。4人目の娘は法輪功を修煉していたことを理由に3年の刑を言い渡され、強制労働教養所に監禁された。しかも、警官は彼の長女と末女を探しだし、法輪功を修煉していたことを理由に強制連行した。彼の健康状態はますます衰え、2004年7月3日にこの世を去った。

 彼は龍炭鶴崗支社鶴鉱山建築隊を退職し、建築現場で40余年間働いた。彼は腰の骨増殖症、猫背、十二指腸潰瘍をわずらっていて、2度胃から出血し、体はとても虚弱だった。1997年に法輪功を修煉しはじめ、まもなく元気になった。人々は「譚さんは元気になり、背中もまっすぐになって、背が高くなったように見えます」といった。彼は微笑みしながら「これらは私が法輪功を修煉したためです」と答えていた。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/2/4/287165.html)
 
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