幸せだった家庭が崩壊(写真)
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 【明慧日本2015年12月27日】2014年9月23日に15歳の女の子が放課後「ママ、ただいま!」と家のドアを開いた。彼女は母がいないのと、家の中がめちゃくちゃになっているのを目にした。法輪功関連の物品とパソコンがなくなっていた。彼女は「ママがまた強制連行された!」と叫んだ。

幸せだった一家

 これは劉新穎さんの夫の曲さんが2014年2月19日に亡くなってから、2回目の連行をされたことになる。曲さんは2001年に大連強制労働教養所で、長時間スタンガンで電撃されたため身体が不自由になった。劉さんは13年間、病床で過ごしていた夫のために献身的な看護をした。曲さんが亡くなってからまもない2014年3月21日、警官は不当に劉さんを逮捕した。彼女の身体が虚弱だったため、留置場は入所を拒否した。警官は仕方なく彼女を解放した。

 9月に逮捕された時も、彼女は身体検査で不合格になった。しかし、警官は彼女を解放せず、210病院に監禁した。中山区法廷は即座に彼女に対する裁判を按配した。裁判は彼女が逮捕されてから6日後の9月29日だった。

 劉さんの娘と高齢の父親は裁判に参加することを拒否された。法廷は二人に若すぎる、あるいは年を取り過ぎたという口実を述べた。劉さんの義理の妹(弟の妻)だけが法廷に入ることができた。義理の妹の話によると、劉さんは警官により法廷に連れられてきた。両手には手錠、両足には足かせがはめられていた。彼女は非常に弱っているような様子だった。彼女は最後の陳述以外は何も話さなかった。彼女は、夫と二人で法輪功を修煉して受けた恩恵、夫が拷問され身体が不随になり最近亡くなったこと、過去13年間家族が体験した苦労を述べた。

 劉さんは2014年に2回連行された。その前の2013年6月21日には、北京から大連へやってきた弁護士に付き添ったことを理由に逮捕された。その弁護士は、海外の中国語テレビ局の電波を受信するアンテナを設置したことを理由に逮捕された輪功学習者のため、弁護にきていた。劉さんは警官に尋問されたとき、2回心臓発作を起こした。警官は劉さんを解放したが、引き続き監視した。彼女は夫の葬儀の日にさえ彼らに妨害されていた。

 2014年の初洵、電波受信アンテナ事件で11名の法輪功学習者に刑を言い渡してから、法廷は劉さんも刑務所に入れようと企んだ。検察官は十分な証拠を提出することができず、唯一証拠として提出されたのが、劉さんが海外の無検閲のプログラムを見るために自宅に衛星電波受信アンテナを設置したことだけだった。

 裁判官は判決を言い渡さず、素早く裁判を中断した。劉さんは監禁されていた家留置場に連れ戻された。 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/10/4/298520.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/10/14/146373.html)
 
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