私はついに大法弟子になりました
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年1月7日】今年36歳の私は河北省の農婦で、父と周囲の大法弟子の影響を受けて大法の修煉を始めました。

 父は1994年に修煉を始めた古い弟子で、中国共産党による十数年の迫害の中で無数回の嫌がらせや拘禁、恐喝を経験しました。父が不当に拘禁された時、村の幹部は私たちを脅迫して父を跪かせ、彼に修煉を諦めさせようとしました。父は厳しい口調で「跪いてはいけません」と言いました。誰がどんな計略を用いても父の偉大な信仰を変えることはできませんでした。

 父は普段口数が少なく、ただ黙々と衆生を救うことを行い、毎日慌ただしかったです。時に、父は深い誠意を込めて「暇な時、大法の本を読んでみて。多くの事が分かるようになる。一生恩恵を受けるよ」と私に言いました。最初、家庭の事で忙しかった私は、修煉の好機を逃してしまい、その後、江沢民集団が引き起こした迫害に恐怖を覚え、どうしたらよいか分からず、躊躇っていました。

 その後、父は六一〇弁公室、国保大隊の警官によって労働教養所に拘禁され、非人道的な迫害を受けました。たとえば、睡眠をとらせない、電撃、閉所に閉じ込める、不明な薬物の強制注入などでした。わずか4カ月で、父は危篤状態に陥りました。労働教養所は責任を負いたくなく、私達に早く父を家に連れて帰るよう通知して来ました。4カ月後、父は迫害によって他界しました。

 父が迫害を受けていた間、周囲の大法弟子たちは老若男女を問わず、各種の圧力に抵抗しながら私と家族のことを気にかけて、ずっとさまざまな助けをしてくれました。私は彼らの目つきや言葉から、今まで感じたことのない誠実さと善良さを感じ、彼らが世の中で私の最も親しい身内だと思いました。私は彼らの言動に深く感動し、彼らと同じく、世の中の最も良い人になろうと決心しました。父が亡くなった後、私は残酷な迫害の環境の下で、大法の修煉を始めました。

 法を学び始めてから、私はやっと父の心が分かりました。私は自分の情けなさを恨み、これほど良い大法をどうして今になってやっと学び始めたのかと後悔しました。

 法を得てから、私はあまり話さず、顔がすぐに赤くなって、事なかれ主義で、自分の意見を持てなかった人から、別世界の人に生まれ変わりました。私は常に「真・善・忍」の基準に沿って自分を律し、他人のことを先に思いやり、思想境地が昇華し、明るくなりました。夫は私も迫害を受けるのではないかと心配し、何回も大法の本を隠しました。私は夫に「栄耀栄華、何でも捨てることができます。しかし、大法修煉は絶対に諦めません。大法がとても素晴らしいからです。あなたも本を読んでみれば、私を理解できると思います。私の変化はあなたが一番分かると思います。あなたは大法に感謝すべきです。大法を学んでいなければ私はあなたに譲ったりしませんよ」と泣きながら言いました。夫は何も言わず、その後、私の学法を妨害しなくなりました。今、夫と家族は私の修煉を支持し、私が江沢民を告訴することをも支持して、皆福報を得て、心身ともに健康を得ました。

 もっと多くの人に大法が迫害されている真相を知ってもらい、大法による保護を受けてもらうために、私はよく同修たちと一緒に外出して大法の真相資料を配り、人々に共産党の一切の組織から脱退するよう勧めています。私達はさまざまな人に出会いました。理解してくれる人、理解しない人、笑顔で見送ってくれる人、大声で罵声を浴びせてくる人、警察に通報する人、そして私たちの味方になって保護してくれる人もいました。

 ある日、私は年配の同修と一緒に出掛けて、100人あまりが集まっているのを見ました。私たちはチャンスを逃すまいと思って、まっすぐに向かいました。私たちは真相資料と光ディスクを彼らに渡しました。喜んで受け取る人もいれば、拒否する人もいました。その中に、村の幹部らしい人が私に「私が誰か知っていますか? こんな場所で配るとは勇気がありますね」と言って、横の人に「公安局に電話して、逮捕させよう」と言いました。私は心が動じず、「見て下さい。あなたのためになります」と言いました。その横の人が私に「あなたはまだこんなに若いですから、早く行きなさい」と言って、幹部に「通報はやめましょう」と言いました。私は突然その幹部に「忘れないでください。あなたも善良な人ですから」と言いました。私達の善がその村幹部の悪意を溶かしました。人々の敬服する目線を受けながら、私達はその場を去りました。

 3年余りの修煉過程を振り返り、私はとても喜ばしい気持ちになりました。私はついに法輪大法の弟子になったのです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/26/335859.html)