「ノック行動」をチャンスに大法の真相を伝える
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年7月6日】最近2カ月の間に、地元では様々な形の「ノック行動」による妨害が起きました。表面から見れば、これは確かに悪いことにしか見えません。法を正すことが今日になっても、どうして警察官やコミュニティー(都市部の基層行政組織)の人達がまだ家に来て、写真を撮ったり、法輪功煉功しているかと聞くのでしょうか。明慧ネットは「ノック行動」がいかに法律や条例に反しているかの情報をタイムリーに提供してくれました。このような人権と信仰を弾圧する不法な「迷惑行為、妨害行為」に対し、私達はどう対応すべきでしょうか。師父がおっしゃった「相手の策を逆手にとる」についての法を思い出しました。

 師父は今年のニューヨーク法会で「宇宙で法を正すことは今日まで至り、本当に最後の段階に進んだのです。しかも、すでに法がこの世を正す段階に移行しつつあります」[1]、「旧勢力の言葉を借りると、中国大陸は道徳天尊の煉丹炉のように、火が激しく燃えてはじめて真金を作り出すことができます」[1]とおっしゃいました。法から、「私達の修煉は法を正す進展と同じスピードで推進している」と分かっています。そのような観点から見れば、「ノック行動」は、世間の人を救済し、私達の正念を強め、次元を向上させる絶好のチャンスではないかと思いました。私達はしっかりこのチャンスを掴み、利用し、より良く真相を伝え、悪いことを良いことに変えて行かなければなりません。

 地元の協調人は「ノック行動」がどの法律や条例に違反しているかについて文章を印刷して、一人一人に配り、そして、真相を伝える時に引用し、暗唱できるようにと提言しました。暗唱の出来ない年配の同修は、家を訪ねて来る警察官やコミュニティーの人達に関連の法令を読み上げ、この機会を利用して、さらに真相を伝えました。私達は、「法輪功を煉功するのは合法であること」、そして「合法である理由」を説明し、警官達に「なぜまだ頑迷に悟らないのか」、「なぜ悪人を助けて悪事を働くのか」を問いただしました。そして、大法弟子を迫害してきたこの十数年間に、「警官達がどれだけ不法な行為をしてきたか、それに対して、大法弟子はあなた達と争わず、敵対せず、迫害される中で、ずっと真相を伝えてきか」を話しました。さらに、「私達より誠実で、善良で、辛抱強くて利他的な人々がいるかどうか」についても反論しました。

 大法弟子の質問に、彼らは答える言葉はありませんでした。同修のAさんは「写真撮影は『民法通則』第100条の規定に反している」と訴えると、妨害に来た人は自分が悪いことは百も承知で、口実を作って去って行きました。帰った後、彼らは互いに愚痴ったり責めたりして、慌てる中で、唐という警官は携帯電話を同修の家に忘れ、その後、恥ずかしそうに取りに来ました。

 また、ある派出所とコミュニティーの人達は同修が読み上げた「ノック行動」が法律や条例違反であることについての文章を聞いてから、恥ずかしそうに撤退しました。翌日、彼らは再び訪ねて来て、「あの文章が欲しい、他の人にも見せたい」と言って来たそうです。

 もっと面白いのは、ノックしてきた警官は街で同修と出会った時、進んで挨拶し、同修に「あの日、本当は行きたいと思わなかった。上からの命令だから、仕方なかった」とため息をつき、そして、「ここ数年、法輪功の学習者とのやり取りの中で、あなた達は確かに優しいと感じた。私達がどんなにひどいことをしても、あなた達は怨まず、悔やまず、いつも慈悲で、穏やかに、いつも法輪功の真相を話してくれた。そして、みんな口が達者です。あまり学校に行っていないおばあさんでさえ話がとても上手だ。私達も言えないようなことを筋道を立ててぺらぺらと喋ることができる」と言って、大法弟子に対し、心から敬意を払っているようでした。

 今回の「ノック行動」は表向きでは悪いことですが、しかし、最終的に良いことになりました。まず、同修達は「ノック行動」が法律違反であることを主張し、正義を守り、自分が受けた害を訴え、大法を実証しました。そして、警官やコミュニティーの人にも法輪功についてもっと理解をしてもらい、真相を知ってもらいました。次は、真相を伝える機縁を掴んで、普段、出会えない人に自然の流れで真相を伝えることが出来ました。さらに、家族達は「ノック行動」を通して、法輪功を修煉することは「憲法」に守られていることを理解し、法律に対する認識が強まりました。そのため、また不当に妨害される時、家族達も大法の立場に立って、大胆に正義の声をあげることが出来るようになりました。

 最後に、一緒に師父の法を復習しましょう。師父は「どのような具体的なことに遭っても、皆さんに教えたことがありますが、それはいずれも良いことで、それはあなたが修煉したから現れたことです。あなたが思っている如何に大きな魔難にしても、苦痛にしても、いずれも良いことです。それはあなたが修煉したから現れたことです。魔難の中で業力を消すことができ、魔難の中で人心を取り除くことができ、魔難の中であなたを向上させることができます」[2]と説かれました。

 自らを修煉者として見なしていれば、「ノック行動」のようなことは修煉する中で良いことになるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/6/30/350412.html)
 
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