お釣りを99元多く渡したストーリー
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年10月20日】この「お釣りを99元多く渡した」のストーリーを言う前に、先に日曜日のある出来事を話します。私と夫(同修)は一緒に従兄の孫の生後満1カ月の祝会に参加しに行く途中で、出会った事について、同修達と交流したいと思います。

 バスは次々通り過ぎていきましたが、私達の待っているバスは1台も来ませんでした。「三つのことをきちんと行なわなかったため、家に帰れない恐れがあると師父が私に悟らせておられる」と考えて心の中の気持ちが良くありませんでした。夜勤から帰って非常に眠く、すぐ家に戻って休みたいと思っているうちに正念までなくなりました。ある年配のおじさんに法輪功真相を伝えましたが、反応は良くありません。相手にされないと人心が湧いてきて、しゃべりたくなくなり、三退の話をしませんでした。おじさんは乗車してそこを去りました。

 中年男性がやってきたので、話しかけましたが、真相を伝えませんでした。男性はそこを去りました。

 また若い女の子がやってきて、イヤホンを聞いていて、とても上品そうに見えましたが、私は声をかけませんでした。

 その時、自転車に乗っている年配の女性が目の前を通って、私達を見て自転車から降りました。女性は自転車を止めて、かごの中のバッグを取り出し、少し考えてから私達に向かって来ました。女性は帽子とマスクをしていますが、とても疲れている様子でした。夫はこっそりと「同修だ」と言いました。私もそう思い、微笑んで女性を見ていました。女性は「三退の事を知っていますか?」と聞くので、私は微笑んで「同修です」と教えると、女性の同修は感激して握手をしながら、少し交流しました。同修は「今日は状態があまりよくないので、家で少し休んだが、いけないと思い、発正念してから出かけてきました」と話してくれました。私は同修に「その若い女の子に伝えたらいいと思います、私は発正念をしますから」と勧めました。同修は少し考えましたが、伝えに行きました。その若い女の子はただ口を覆って笑うだけで、頭を横に振りました。

 しばらくすると、あるおばあさんがやってきたので、同修はまたおばあさんに伝えました。周囲の騒音はとても大きいので、話がよく聞こえませんが、脱退したようです。

 それから、女の子はバス停の椅子に座り、同修は引き続き説明をし、私も加わりましたが、相手にしてくれませんでした。しばらくして、同修は離れました。あのおばあさんは女の子に何かをしゃべりました。話の内容が聞こえないのですが、同修に関する話のようでした。女の子は何も言わず沈黙し続け、私は思わず「これで、人を救ったことになるのだろうか」と考えました。夫は「あのおばあさんが嫌で話を受け入れないようだ! 虚言に騙されている生命は、災難が来たらどうなるのか」と心が辛そうで、これ以上口を開きませんでした。

 私達の待っていたバスがやっと来ました! 乗車して間もなく、突然気分が悪くなって、吐き気がしました。車に酔ってしまったと思いました。修煉する前の私は何かに悩んでいる時、車に乗ると必ず酔いました。しかし、その後すぐ否定しました。「私は大法弟子であり、車に酔うのは常人で、あの感覚は私ではありません」。そして、『論語』を2回暗唱すると、吐き気がだいぶ和らいできました。目を閉じて椅子に靠れて、同修の疲れきっている姿、冷たいおじいさん、嫌な顔をしているおばあさん、「私と関係ない」という表情をした若い女の子の姿が次々と私の頭の中に浮かんできて、なかなか消えませんでした。

 県内には同修が多くおり、表に出て真相を伝える同修も少なくありません。普段、知っている人や家族から、街で法輪功の修煉者に出会った話をよく耳にします。私の住んでいる地域では真相を伝える同修も多くおり、どの市場でも数人いて、一番多い時は、資料を配ったり真相を伝えたりする同修は十数人もいました。総じて言えば、この辺りの人々は大体真相を知っています。しかし、個人的な感覚として、本当に真相が分かって、大法弟子を理解をし、支持しあるいは感心する人は少なく、多くの大法弟子の家族でさえ認めてくれません。現地の人々の大法弟子に対する反応は「しっかり仕事をせず、毎日に市場へ行って法輪功の話をする。多くの常人は街の修煉者が嫌で仕方がない」様子で、なかなか理解されていません。

 街で大法弟子に出会った話を常人から何回も聞いたことがありますが、いきなり三退の話をし、後ろについてなかなか離れないそうです。義理の妹もこのようなことに出会ったことがあります。妹は恐れる心が強くて、自分の兄嫁が法輪功修煉者であることを言う勇気がありません。実際には妹はすでに三退しており、ただ後ろから追いかける同修に「もう分かった、離れてください」と言っただけでした。

 ある同修はバスの中からデパートまで、ずっと後ろについていきました。妹はむしゃくしゃして、その時に読んでいる最中の『轉法輪』を私に返し、反感を抱くような言葉を言いました。

 ある日、バスの中で2人の女性が、「駅でバスを待っている間、いつも若い奥さんやおばあさんが三退の話を勧めに来る。一体何のためか本当に分かりません」と話していました。その時、私は、親戚や友人が法輪功を学んで奇跡的に病気が治った話や、なぜ三退するかを話しました。私は大法弟子であると言っていませんが、2人は私の口ぶりを聞いて分かったようで、言わなくなりました。そして、私を相手にせず、ほかの話題を始めたのです。

 ずいぶん前から私はずっとこの問題を考えています。「あんなに多くの資料を配って、大勢の大法弟子が真相を伝えて、三退を勧めるのに、なぜ本当に真相が分かって受け入れる人はこんなに少ないのでしょうか?」。(これはもちろん個人的な認識に過ぎません)

 考えている最中、突然車体が揺れて、急に片側に傾いて、それから普通に走行するようになりました。乗客は驚いて叫んだ後、安定してから、「これほど窪んでいる大きな穴が、修復されていない! 誰が埋めてくれるのですか? 誰も関心を持たない!」と議論し始めました。私が窓の外を見てみると、家から最寄りの町に着きました。ここの市場はこの辺りでは最大規模で、同修が来る回数の最も多い地域で、人数の最も多い市場です。乗客が不満を漏らした話を聞いて、私は思わず頬が熱くなり、数年前の事を思い出しました。

 この市場に来る人はとても多くて、特に師走の時期になると、人がもっと盛んになり、それなりにトイレは重要な事になりました。こんなに大きな市場の中に公衆トイレが一つしかなく、しかも衛生状況が悪くて、めったに掃除をしません。その年の師走の時期に、トイレは長い間管理されていないようで、大小便があちこちに放置されていました。人々はトイレに行くのが大問題となり、怨嗟の声が満ちていました。「あなた方の法輪功修煉者はなぜ掃除しないのか」と同修の兄が同修に2回も言ったことがあります。よく市場で真相を伝える数人の同修は、公衆トイレをきれいにすれば、みんなの為にもなるし、大法を実証することもできると、話し合いました。残念なのは、様々な原因で私達も片付けず、結局、市場の管理者が片付けました。後になって耳に入った話ですが、多くの同修は汚れを嫌がり、それより資料を配って、人を救ったほうがましだといいます。この事を思い出す度に心が刺される思いがします。つい最近、ある同修は片付けようと呼びかけしましたが、協力する同修はいませんでした。

 私は大法弟子であり、師父は私達に良い人になるように、至る所で他人のために考えるようにと教えられています。私達はやり遂げましたか? 衆生はなぜ私達に対して理解せず、甚だしきに至っては嫌がるのか私は突然分かりました。衆生が頑迷すぎるのではなく、私達はきちんと行わず、真・善・忍の基準に達していないので、衆生は私たちを信じないのではありませんか! 常人は私たちを通して法輪大法の素晴らしさを感じていなかったのです。

 お釣りを99元多く渡した物語

 以前、市場で帽子を売る若者に出会ったことがあります。30歳の若者でした。1回目は、同修と一緒に市場へ行った時のことでした。真相を伝えるといっても、当時の私たちは、まだどういうふうに伝えるかを知らず、恐れる心とメンツを失いたくない心がとても強く、一応見てみようというような感じでした。時期的にはもうすぐ夏になるので、夏の帽子を売る露店はとても多いのです。私達の2人も帽子を買おうと思い、ある帽子の露店の前に来ましたが、真相を伝えたくても話の切り口が見つかりません。その時、同修は15元の帽子を買い、20元を渡してお釣りを待っていたところ、私が「お釣りを間違わないように」と言った途端、若者はとても感激な表情で大声で話しました。「間違わないようにだって? 去年私は1回間違ったことがあり、99元も多く渡しましたよ! その方はわざわざ返しに来ました。それは法輪功修煉者だからだそうです!」。同修は話を聞いて笑いながら「もし普通の人なら、返してくれないかも知れないですね」と言い、若者は「うん」とうなずいた。私は「お金を返すどころか、愚かものと笑われるかもしれません」と言ったところ、若者は「それは確かです。私は法輪功が素晴らしいと認めます!」と賛同しました。

 翌年の夏、同修と一緒にこの市場で真相を伝えた後、家に帰ろうとする時、小雨が降り出し、商売人は露店を片付け始めました。自分はやっと帽子を買いに来たことを思い出し、片付け中の帽子の露店の前まで走って、「帽子を買いたいです」と大声でしゃべりました。「何用の帽子ですか」と聞かれ、「農作業に使います」と答えました。二種類の帽子を勧められ、選んだ時に帽子を汚したような気がして、「安心して下さい、私は必ず買いますから、私は法輪功修煉者です」と言いました。「法輪功はすごいですね! 以前、私は帽子を売った時に、お釣りを99元も多く渡しましたが、その人はわざわざ返しに来ました。法輪功修煉者だそうです!」と彼は言いました。私はこの話を聞いて、昨年出会った帽子売りの若者だと思い出しました。

 私は若者に真相の小冊子をあげました。若者は「私は『明慧週刊』を読むのが好きで、それを数冊頂けますか? 家にある週刊は、中の1ページを子供が破ってしまって、惜しいと思いました」と話しました。私は次回に数冊を持ってきますと伝えました。同修が言動で大法を実証したおかげで、世間の人々は大法弟子の善と素晴らしさを目にしました。そうでなければ、この若者は今のように誠意をもって大法を認め、真相を受け入れ、真相を広めるまで至らなかったでしょう。

 ついでに自分の経験したことを少し話します。去年、初めてアルバイトをした時、まったく知らない環境で、いきなり真相を伝えるのも難しく、私と夫はまず良い人から始めました。毎回勤務の引き継ぎの時、前の番の同僚を手伝って、掃除したり廃棄物を片付けしたりします。学校へあまり通ったことがない同僚は、ものを書くのが苦手なので、私達は積極的に報告表を書いてあげました。同じ班の同僚に対してもできる限り手伝い、仕事の量が多かろうか少なかろうか、争ったことは一切なく、損得などを全く考えませんでした。同僚達に認められているため、私たちは大法の素晴らしさと迫害の真相を伝えたら、たとえ三退しなくても大法に対する態度がほとんど良くなりました。目の前の大法弟子はテレビで宣伝しているイメージと違うからです。ある河南省の同僚に、報告表を書きながら真相を伝えた時、同僚は「私は最初から、2人は他の人と違うと感じました」と言ってくれました。「私達は法輪功修煉者です。法輪功は人に良い人になるようにと師父が教えておられます。ただ私達はよくできていない部分もあり、師父の要求される基準に達していないため、あなた達はまだ大法の素晴らしさや不思議さを完全に感じ取れていないかもしれません」と私は話しました。同僚は少先隊を脱退しました。

 師父は「做すところ到るは是れ修なり」[1]と、説かれましたが。同修や私達はやり遂げたでしょうか?! 生活は修煉の一部ですが、修煉は生活の一部ではありません!

 師父は新経文の中に何度も「自らをしっかり修め」[2]と強調しておられ、それは私達の全体の不足を教えられています! 私はこれらの考えを書き出して、誰かを責めるのではなく、私もその中の1人です。ずっと前から、この方面について現地の同修と交流したかったのですが、自分はとてもできていないため、同修と全体の不足を目にしても言う勇気がなく、言う資格がないと感じていました! 今日、私はこの心を取り除きたいです。私の次元の高低に関わらず、私も大法の中の一粒子であり、この義務と責任をはたすべきです。しっかりと自分を修め、全体的に向上し、よりよく衆生を救い済度することは、スローガンのように口にするものではありません。師父は私達に、「着実に自らをしっかり修め、人を救う使命をきちんと果たしてください」[2]と要求しておられます。これが私達大法弟子がすべきことです!

 次元の限りがあるため、法に則っていない部分がありましたら、ご指摘をお願いします!

 合掌!

 注:
 [1] 李洪志先生の著作:『洪吟』「着実に修める」
 [2] 李洪志先生の経文:『フランス法会へ』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/10/10/355292.html)
 
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