美容室での出来事
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年4月8日】髪をカットする時期になり、ある同修の髪のスタイルがいいと思って、その美容室の名前を聞いていたのに、私はなぜか別の店に入ってしまいました。

 店に入るや否や失望しました。せせこましい部屋の中に古くて壊れかけた椅子が置かれ、テーブルも汚く、床も随分拭かれていない感じでした。女性の店主は表情が冷たくやつれていました。シャンプー台はうつ伏せ式で、上には一つの桶が置かれていました。彼女は魔法瓶の残りわずかなお湯を桶に入れて、たくさんの水を足してから冷たい水で髪を洗ってくれ、すすぎが十分でないうちに髪を乾かし始めました。ドライヤーの熱風が頭皮の一箇所にずっと当てられたり、耳に当てられたりしていたので、私は思わず頭と肩を縮めました。「どうなさいましたか?」と聞かれて、私は「ドライヤーの風が耳に熱いのです」と言いました。それを聞いても彼女はやり方を変えず、やり続けました。全ての過程において私は少しも良いサービスを受けなかったので、少し不快感を覚えました。

 同修がカットをしてもらいながら店員に忘れずに真相を伝えていたことを思い出して、私も正念を奮い立たせ、彼女に真相を伝えようと考えました。しかし、口を開こうとした途端、「私の話を聞きながらでは彼女はきちんとカットできないだろう。カットを終えてから話そう」と考え直し、会話をする中で彼女が昨夜、夜通し麻雀をしていたことを知り、「彼女はカットを終えてから急いで家に帰るだろう。でも、もしかして今、真相を聞こうとして待っていたのかもしれない」と思いました。

 そこで、私は全ての雑念を払い、法輪功が人々に「真・善・忍」に従って良い人になることを教えていること、病気治療と健康保持に効果があること、中国共産党が「天安門焼身自殺」の偽のニュースをでっちあげて法輪功を誹謗中傷していること、三退すれば平安が得られることを彼女に伝えました。彼女は真剣に聞き、真面目にカットしてくれました。不意に鏡に映った彼女の顔を見たとき、彼女は穏やかに笑っていました。「先ほど店に来た時、彼女はシャッターを下ろして家に帰ろうとしていたが、私を見てまたシャッターをあげた。一晩中麻雀をしていたが、ちゃんとカットをしてくれたではないか。もしかして彼女は本当に真相を聞こうとして、待っていたのかもしれない」と私は思いました。

 「獣の印を押されていることは本当ですか?」と彼女に聞かれて、私は「当初、私たちは中国共産党の旗に向かって命を捧げると誓いを立てた時、その一瞬に獣の印を押されました。その瞬間から、私たちはその人質になりました。中国共産党は政権を手にして多くの政治運動を起こし、8000万人もの中国人の命を奪いました。今は法輪功を迫害し、法輪功修煉者に対して臓器狩りを行ない、本当に罪深いことをやってきました。天は必ず罰を与えます。その時、中国共産党の組織に加入した人は皆劫難から逃れられません。その一切の組織から脱退する声明を発表すれば、獣の印を消され、やっと劫難を免れます。今、3億人が脱退声明を発表しました。あなたも自分の命と未来のために考えるべきです。別名で脱退しましょう」と言いました。

 「それなら、本名で脱退すればもっといいではありませんか。私は本名で脱退します」と彼女は言い、それを言い終えた途端、彼女の顔は白く輝く笑顔になりました。

 「今まで三退のことを聞いたことがありますか?」と聞くと、彼女は「あなたの話を聞いてやっと分かりました」と言いました。今まで多くの大法弟子が彼女に真相を伝えましたが、そろそろ彼女が分かる時期になったので、師父が私をここに来させられたと私には分かりました。しかも彼女がそろそろシャッターを下ろして家に帰ろうとした時でした。衆生を救うために、師父はどれほどの心血を注がれているのでしょう。

 帰りに、先ほどの出来事を思い出して、私は自分が一思一念を修めなかったことに気づきました。まず、店に入るや否や店内の良くない環境に嫌気がさしたのは、常人の高い品質と享受を欲しがる欲望ではありませんか? その欲望が満たされない時に失望し、ひいてはカットしてくれる人を嫌がり、彼女の表情や態度が気に入らなくなるのは情ではありませんか? 師父は「ある人について好印象をもち、悪印象をもつのも、何かをやりたいと思い、やりたくないと思うのも、すべてが情によるもので、常人とは情のために生きているものです」[1]とおっしゃっています。相は心から生じます。私に良くない考えがあったから、彼女も私に良い態度を見せず、カットするときに私の頭皮を火傷させるほど熱いドライヤーを当てました。自分に不真面目さ、いい加減に物事を行なう習慣があるから、彼女も適当に冷たい水で髪を洗ったり、すすぎもきちんとしませんでした。彼女の店内の汚さに嫌気がさした自分の家の中はごちゃごちゃで、台所を何日も掃除していないではありませんか。彼女のすべてはまさに私の鏡でした。カットする間、私は内に向けて探さず、相手の良くないところばかり考えていました。実は、すべては師父が按排して下さった内に向けて修める良い機会でした。

 師父の苦心なるご按排に感謝します。弟子は必ずこれらの人心を取り除き、自分をしっかり修め、純粋な心で三つのことをより良く行なっていきたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/4/3/363676.html)
 
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