私はついに楽しかった少年時代の感覚を取り戻した
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 【明慧日本2019年1月3日】私が中学校に上がった時に父親が交通事故で亡くなり、父親が財産を持っていたために、祖母の一家は例外なく財産争奪戦に参加してきました。母親はこの思わぬ出来事に気がボーッとしてしまいました。父親を亡くした心痛と、金銭のために家族が人間性を失い、隣近所があれこれとちょっかいを出してきたために、幼い私は性格が変わっていき極度の人間不信に陥り、変わり者と呼ばれるようになり、金銭を格別に崇拝するようになりました。

 そして中学3年の時に母親が再婚しました。継父はおとなしくてまじめな人で、私は継父の優しさを意気地がないととらえていました。また、継父が金銭を重く見ないことを無能だともみなしました。生活において多くを望まない継父を志を持たないためと解釈していたので、継父をお父さんと呼んだことはなく、一緒に生活していましたが心は遠くかけ離れ、十万8000里も隔たりがありました。母親は学校に通ったことがなく、何かを言葉にするのが下手で、体も弱く、私は小さい頃から母親とのコミュニケーションを取るのが難しい有様でした。なぜなら、母親のせいで自分が人に抜きんでることが出来ないのだと、私の強い虚栄心が思っていたからです。

 学校では、クラスメイトが自分の状況を理解し、クラスメイトに見下されていじめられるのを心配していたので、積極的に人とコミュニケーションを取ったことがありません。誰かが話しかけてきても本当の話はせず、毎日「仮面」をかぶった生活をしていました。世の中に自分の身内は誰もおらず、信用できる人は誰1人もいない、と私は感じていました。夜はいつも布団に潜り込んでは泣き、天を恨み人をとがめていました。いつも死にたいと思い、毎回どのようにしたらよいか自分の命を断つ方法を頭の中で考えていました。しかし、このまま死んでしまうのは悔しく、まだ恨みを晴らしておらず、祖母の一家に膝まずかせてやりたいと思い、以前の行為に対して許しを請わしてやりたいなどとズーッと思っていました。しかし、どのように実現すればいいのかわからず、そんな事を考えるとその思いがいつも私の邪魔をして、リラックスできない状態でした。楽しかった少年時代を何度も思い出しては、あの少年時代の楽しい日々が思い返され、憂いも心配もなかったあの頃をなつかしく思いました。

 ちょうどその頃、母親の方も前の父親のことを懐かしく思っていたために、継父との関係がぎくしゃくし、加えて双方にも子供がおり、その上、祖母の家がもろもろのことでしょっちゅう邪魔をしに来ることなども加わり、母親の体調が急に悪くなりました。

 医者に治療を求めても何の効果もない状況下で、母親は法輪功を学び始めました。母親が煉功を始めて3カ月が経った頃、母親の病気はすっかり良くなり完治しました。

 法輪功の病気治療の効果に驚き、好奇心から自分も『轉法輪』を読みました。それは本当に貴重な本で、埋もれてしまっていた私の心を大きく開き、世の中のすべては偶然ではないことがわかり、すべてに因縁関係があることがわかりました。「良いこと」に会っても「悪いこと」に遭っても、自分の心を正し「真・善・忍」の原則と指導に従って対処すれば、心は絶えず大きくなり寛容になっていきました。

 天を恨み人をとがめることもなくなり、私はすぐに家庭に溶け込んでいくようになりました。はっきりと覚えているのですが、私が初めて継父をお父さんと呼んだ時、継父の目には涙が光り、それからというもの私の家の中はいつも笑い声が絶えませんでした。私はもっと自由に、もっと真剣に人とコミュニケーションが取れるようになりました。周りにいる誰とでも心から向き合うことが出来るようになり、祖母の一家とも打ち解け合えるようになりました。私が自殺を計画することはなくなりました。体全体に生命力と活力に満ちあふれ、私はついに少年時代のあの楽しかった感覚を取り戻しました。

 しばらく会っていなかったクラスメイトは、私の変化を見て法輪功の奇跡に大変驚きました。ですから私はこの素晴らしさを経験談に書きあげました。この文章を読んだすべての友人達が、これらの奇跡を分かち合うことが出来ることを希望します。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/21/119129.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/2/2/69556.html)
 
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