「ネット封鎖」の虚像から考えたこと
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年1月15日】最近、中国本土の悪によって生み出された偽りの「ネット封鎖」はますます激化し、前例のないレベルに達しています。地元の多くの同修は明慧ネットにアクセスするのが困難です。長年にわたって、悪はこの種の「ネット封鎖」を続けてきました。ネットが「封鎖」されるたびに、私は無力な状態に陥り、海外の技術の同修がネットを突破するソフトウェアをアップグレードしてくれるのを待っていました。私はこの問題を修煉の観点から真剣に理解したことがなく、常に常人の理解で受動的に扱ってきました。

 師父は「長きにわたって大法の中にいる衆生、特に弟子には、心性を向上させることにおいてずっと法に対して異なる次元での誤解があります。魔難がやってくるとき、本性の一面から認識することができず、完全に人間の一面から理解しているため、魔はこれを利用して尽きることのない妨害と破壊を行ない、学習者は長期にわたり魔難に陥っています」(『精進要旨』「道法」)と説かれています。

 修煉者が遭遇するすべてのものは私たちの修煉に関連したものであり、常人の心で扱うことはできません。邪悪が「ネット封鎖」したらすぐに、海外の技術の同修がネットを突破するソフトウェアをアップグレードしてくれることを期待していました。修煉において、これは外に目を向け、外に求めることを意味します。悪の「ネット封鎖」は私たちの人心と認識不足を狙っています。私は自分の非を探さず、自分を修めるのではなく、ただ海外の同修に託すことは、修煉の道を正しく歩んでいないのではないでしょうか。私たちが本当に法に従えば、悪者は敢えて「ネット封鎖」することはありません。師父は「明慧ネットは今まで一度も封鎖されたことはありません」(『二〇〇三年元宵節での説法』)と仰いました。迫害の初期、ネットに接続せず、明慧ネットのウェブサイトにアクセスした同修がいたことを覚えています。したがって、邪悪の「ネット封鎖」に対して、私たちは修煉上で自分の不足を探し、自分の修煉状態を真剣に見直さなければなりません。

 ネットへのアクセスの難しさは、同修の修煉状況と大きな関係があることがわかりました。ここ数日、明慧ネットにアクセスできないのは、自分の顕示欲が関係していると分かりました。それは、少し前に「ネット封鎖」されたとき、明慧ネットにスムーズにアクセスできたので、無意識のうちに自己顕示や自我を実証する心が芽生えてしまったのです。それに最近あまり正念を発していないことも関係しています。また、邪悪の「ネット封鎖」の偽りを真に受けすぎました。「目で見た物こそ真実」という概念に影響され、問題を法で認識していなかったのです。私はまだ怨恨心を持っています。ネットが封鎖されてすぐ、これは長期に執着する同修が邪悪に隙につけられ、それによって、全体に問題をもたらしたのだと思いました。

 私は基本的に動態ネットを見ません。動態ネットの常人の記事には全く興味がないのですが、家族の同修がよく見ていました。そのたびに、悪者に隙を狙われ、ネットを封鎖されてしまうのではないかと心配していました。実際、この種の心配はネット封鎖を認める一因でもあり、一種の執着です。常に無視してきた問題を発見しました。それは、邪悪の「ネット封鎖」を迫害の一形態とみなしたことはなく、この種の迫害を無意識のうちに受け入れ、認めていました。

 以前、「ネット封鎖」をされたとき、内に向け非を探すのも、正念を発するのも、すべては封鎖を「突破する」ためでした。この「突破」自体が反迫害ではなく、迫害を認める要素でもあることに、今になって気づきました。悪が「ネット封鎖」をするたび、それを突破するつもりでした。「ネット封鎖」を突破して、明慧ネットにアクセスできるようになると、それ以上は何も考えませんでした。今後も他の同修やそして世界中の人々が、海外の真相解明サイトにアクセスできるようになるのかについて、関心もなかったのです。考えてみると、これはとても大きな私心で、取り除かないといけないものです。結局のところ、自分の認識では、「ネット封鎖」という悪の存在を依然として認めていることになります。これは真の反迫害ではなく、迫害と戦うことが大法弟子の修煉の最終目標ではなく、人々を救うことこそ、私たちの最終目標です。今日に至るまで、世界の人々の真実への理解と、大法弟子が全体となり、人々を救うために全力を尽くすことに深刻な影響を与えた、この「ネット封鎖」という邪悪な行為は、もはや存在すべきではありません。

 法を正す進展がここまで来たと私は認識しています。我々大法弟子全体がこのような強力な正念を発することができれば、「ネット封鎖」という邪悪なことはもう存在してはならないのです。この一連の邪悪なものは、我々の強力な正念によって解体されるはずです。数年前、迫害がまだ深刻で、大法弟子の修煉がまだ成熟しておらず、救われた人の数がまだ非常に限られていた頃、この認識は願望に過ぎなかったのですが、今日では必然となります。師父の法を正すことが進展しているので、正法の進展がこの段階に達し、それは必然だと思います。悪による狂気の「ネット封鎖」は、別の観点から見ると、「物極まりて必ず反転す」の時が来たことを示しており、この一連の邪悪な存在は瀕死にもがき、すでに滅びる時が来たのです。

 「ネット封鎖」の迫害から、邪悪な中共は旧勢力によって、大法弟子と世の人を24年以上続けている迫害を思い出させます。海外の同修がデモ中に掲げた真相横断幕の中に「迫害終結」という文字があったのですが、心の奥底で「邪悪な迫害は終結しなければならない」と法から本当に認識しているのかと自問しました。私は法でこの観点を真に認識していないことに気づきました。私は今でも、悪党による大法弟子への迫害は、世の人が未来へ行くのを阻むため、開始したと考え、この迫害環境の中で修煉し、人を救うことによってのみ、大法弟子は威徳を確立することができると考えています。または「壊滅」時期の旧宇宙生命の変異した観念で、この迫害を理解しています。

 かつて、同修が迫害を受けると、我々は全体で同時に正念を発し、真実を明らかにすることで迫害を否定し、人々を救っていました。毎回同様にやりました。しかし、大法弟子全体の立場から考えたことはありません。この迫害は絶対にあってはならず、この迫害は終結しなければなりません。

 師父は「このことを話したのはつまり、皆さんに教えていますが、私たちは今日、最後の一歩まで歩んできたのです。皆さんにはっきりと教えますが、師父は当初、今年迫害を終わらせると決めていたのです。(皆が熱烈に拍手する)前期と後期を合わせて20年です。結局、旧勢力が手を出していくつかのことを変えてしまったのですが、熔錬炉の石炭が底をつき、火力も弱まり、このことも間もなく終わろうとしています。ですから、皆さんは今まで以上にしっかり取り組むべきです」(『各地での説法十五』「二〇一九年ニューヨーク法会での説法」)と説かれました。

 今、この法の意味を理解しました。師父は旧勢力の取り決めを認めていないので、2019年に迫害を終わらせようと按排されました。しかし、なぜ迫害は終わらず、今も続いているのでしょうか?  それは大法弟子が法のなかで向上しておらず、師父の法を正すことの認識に対して、追いついていないためだと思います。大法弟子に継続的に修煉ができることと、事をよく行う機会を与えるために、師父は旧勢力の按排を継続させ、策略を講じました。

 師父はまた「実は時には思いますが、彼は中共邪党が自分の権力を守ってくれると思っています。今まではそうだったのですが、今もこの状況ですか? 」、「今、権力者が『中共邪党を放棄する』と一言を言えば、中共邪党は一日たりとも生き延びることができず、次の日に崩壊してしまいます。(皆が拍手する)なぜなら、人々はその日を待ち望んでいるからです」(『各地での説法十五』「二〇一九年ニューヨーク法会での説法」)と説かれています。

 今自分がいる階層で、師父のこの法は、当時の天体現象の変化についてのものだと悟りました。この時点で、私たち大法弟子はまだ「邪党の存在と迫害の継続」を心の中で黙認していますが、師父の法を正すことに追いついていないのでしょうか?  悟性がなさすぎではないでしょうか?  しかし、私たちは未だに悟性が上がっていません。

 師父は2021年に経文『目覚めよ』を発表されました。師父の説法から、悪がほぼ消滅した現在でも、迫害が続いている主な理由ですが、大法弟子の思想の中では、依然として「悪党と認める、迫害の存在を認める」というさまざまな人心、観念、執着などの悪い物質を持っているのです。修煉に追いつかず、人心が多すぎ、これらの腐敗物質が場を形成しており、少しの悪でも迫害状況を深刻にする可能性があります。悪党の政権を「維持」し、迫害を続けているのは、実は私たちの人心なのです。我々はそろそろ、目を覚まさなければなりません。

 現段階の少しばかりの認識を同修と共有し、法に符合しないところは慈悲なるご指摘をお願いします。

 編集者注:この記事は、修煉現状により、著者の個人的な認識を表すものであり、「学びと修めの比較」で、修煉者同士で議論していきたいと考えています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/1/1/470383.html)
 
関連文章