明慧法会|法を実証する中で法の内涵を悟る(上)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年8月11日】

 尊敬する師父、こんにちは!
 同修の皆さん、こんにちは!

 私が法輪大法の修煉に入った当初、自分が長く大変な20年間を経験するとは思ってもみませんでした。師父が伝えられた法は正しく、すべての生命に対してみな慈悲で、有益であり、最も悪い人でさえ少しの欠点も見つけることはできず「迫害された」という言葉はどこから来ているのでしょうか?!

 しかし残酷な迫害が起こり、自分が「善」と「悪」、「正」と「邪」の大戦の中にいることを初めて知りました。師父が教えてくださっているように、私はやっと「法を正す時期の大法弟子」の内涵が少しわかりました。これは宇宙で最も輝かしい称号です。私たちは師父に選ばれた生命であり、法を正す師父のお手伝いをし衆生を救い済度するという神聖な使命を引き受けているのです。

 自分の短い一生を振り返ると、つまり法のためにやってきたのです。この20年間、師父の慈悲深いご加護の下、私は一歩一歩無知から成熟へと少しずつ歩み、自己中心的で心が狭い状態から虚心坦懐になりました。その悠久の時を越えた歳月の中で、生々世々の輪廻の中で、私が今日の自分を成し遂げるために、師父は大小すべての事に多くの準備をしてくださいました。そうでなければ私は永遠に少しもわからなかったかもしれません。本当に広大な佛恩は言葉に表すことができず、師父への無限の感謝は言葉では語りつくせません。私は感謝の気持を込めて自分の出来事を話させていただきます。

 一、苦難の中から探す

 幼いころから、周りの隣人や同郷の人たちはいつも私をある種の憐みの目で見ていました。かれらの目には、私はつらい人生を送っている子供でした。前世紀の80年代、私が8歳の時、母は父の職場の上司に毒を飲まされて殺され、父は母のために正義を勝ち取るために、私と弟を連れて北京へ陳情に行きました。陳情の長い道のりはとても大変で、私たちは食物を乞い、通りで寝て、避難所に入りました。陳情に来る人たちはさまざまな人がおり、みな恨みに暮れていました。その頃は街頭で私は俗世間の冷たさと温かさを嘗め尽くし、私は若かったのですが「人が生きるのはどうしてこんなにつらいのだろうか?」とよく考えました。

 父の陳情には答えが返ることなく、私たちは家に帰りました。ある日、私は「子供を売る」、「女の子を売る」という文字が書かれた2枚の木板が暗闇の中に置かれているのを見ました。その後、私は知ったのですが、なんと父は私と弟を他の人に譲り、自分で母の復讐をしようと思っていたようでした。隣人は父に「子供をしっかり育てることは大事なことだ」と勧めました。父は「貧しい家の子供は、勉強することによってのみ、道が開ける」と思っていました。このように家は極貧で、いつも三度の食事にも事欠き、服もつぎはぎだらけでしたが、父はずっと私と弟の学業をあきらめませんでした。

 高校の時、父が再婚すると、家の中は争いが絶えず、継母はいつも根拠のないうわさのために疑い、けんかをし、家族は恐れおののき、疲れてくたくたになりました。その時、私はやっと「人間の心は物質の欠如よりもはるかにひどく、もし人と人が率直に接することができればどんなによいだろうか」とわかりました。

 私はいつも窓際で無限の星空を見て「人は何のために生きているのだろうか? 生きることは死ぬことよりもさらにつらく、人生で苦しむことの目的は何だろうか? 空から一人の賢者が来て、解脱の方法を私に教えてくださればいいのに」と考えました。もし私の生命の成長、仕事、結婚、独立、出産、老い、病、死など、見渡せば挙句の果てはみな死であり、私には慕い思うことができるものは何もありませんでした。しかし薄暗い中で、人の苦しみには定められた運命があると思い、自分は他の人と多少違うところがあると感じ、一貫して独特の落ち着きがあり、私はまるで何かを待っているかのように、「なぜ人はこんな人生を歩まなければならないのか」という答えを探したいと思っていました。

 大学に上がった後、私は毎年奨学金を受け取りました。博士課程を学ぶまでずっと、私の成績はいつも優秀でした。しかし私の心に残っている疑問は、いまだに答えを探し当てることはできませんでした。自然科学の研究分野は社会的に迷惑をかけることはないと私はかつて思っていましたが、私が見たものはデータの捏造と利益の争いでした。指導者間のトラブルのために、私は間に挟まれて酷い扱いをされました。功名利禄はみな私が望むものではありませんでした。私は「私が追求しているものは私の心の中にあるようで、それは純真で善良で、それこそが本当の私であり、外界がどんなに汚れていても、本当の私はみなしっかりと保護されている」と漠然と感じました。私は寺院にも行ったことがありますが、荘厳な佛像は慈悲深く静かですが、佛経もまた難しくあいまいでした。

 1998年9月のある日、博士課程の授業の時、先生はすべての同級生に自分についてのことを話させました。同級生の一人が教壇で話したのは法輪功でした。授業が終わってから、その同級生は私たちに『轉法輪』を勧めました。私は本を借りて開き「返本帰真することこそ、人間としての本当の目的です。したがって、ある人が修煉しようと思うと、佛性が現われて来たと認められます」[1] を読んだ時、この言葉は私にとって本当に目が覚めるような出来事でした。混乱した空が大きく開いたかのように「真・善・忍」の光が急に私の心に入り、奇経八脈にしみ込んでこの上なく貫いていき、これこそ私が幼いころから探し始めていた真理でした。内心の喜びは言葉に表しようがなく、すべてがまるで条件が備われば物事は自然に順調に運ぶかのように、理は当然のごとくでした。

 二、世間の恨みを見抜く

 修煉を始めてから「真・善・忍」の根は深く私の生命の最も深いところに根差しており、私の生命と一体でした。嵐のような日々の中で、その根はあくまでどっしりとそびえ立ち、私を導いていました。私の体が魔難に遭った時も、迷っている時も、困惑している時も、あくまで私が迷わないように導いてくれました。修煉の道で、師父は私のために、多くのことを按排してくださいました。ほぼ20年に及ぶことが一つあります。

 私の前夫は大学院の同級生で、私たちが結婚してから1カ月で、私は修煉を始めました。生活の中で、私は「真・善・忍」の基準に基づいて自分を律し、よい妻になっていたので、私たちの間には何も言い合いはありませんでした。前夫は「お前とけんかしたってけんかにならないよ」と言いました。私は笑いながら「何か話し合うのは、よいことではありませんか」と言いました。舅姑に対しても真心から接し、家の中でも外でも全力を尽くし、離婚するまで、私は舅姑とも喧嘩をしたことがありませんでした。20年近く結婚していて、私たちは別居して14年になります。特に子供の十数年の成長の歳月の中で、夫は休日にしか出てこない役柄で、あわただしくまた急いでいました。家の中でも外でも私は一人でおり、仕事だけでなく、子供の面倒もすべて自分で見なければなりませんでした。

 前夫と結婚した初期のころ、私はかつて夢の中で「この婚姻は前世での借りを返すためで、最終的に人は散っていくことになる」と悟りました。私は当時意味がわかりませんでした。その後の生活で、仕事のプレッシャーでいつもめちゃくちゃになり、プレッシャーから生まれたくやしさ、恨み、不公平感、憎しみが急速に膨らみ始め、その後私はほとんどつぶされました。その時、くやしさの涙がいつも目に浮かび、心の中ではやはり「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]と自分に言い聞かせ、自分は修煉者であると警告し続けました。

 師父が説かれた法は表面的には理解しましたが、それを行なうのは難しすぎました。人の表面的な恨みを見極められないので、私はかなりの苦しみを我慢しました。さまざまな人心がなかなか取り除かれず、旧勢力が私を支配して迫害し、毎回の生理はとても長く、毎月きれいな日は数日もなく、さらに大量の出血を伴いました。その後私は顔色が悪くなり、全身の力がなくなり、少しでも傾斜がある道は、歩く力がありませんでした。師父は「生活の中の辛さを自分に対する不公平だと思い込むことが原因で、多くの人が見る見るうちに堕ちていってしまうのです」[1]と説かれました。私にとっては、これは生死の関であったかもしれません。

 憎む心は厚く巨大な氷のように、固く確固としていました。憎む心に直面し、自分が憎む心を取り除くのは本当に難しすぎると私は感じ、大法だけが私を苦しみから救い出すことができると感じました。心の中で恨み始め、不満に陥る時はいつでも、私は「この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」[1]という法を唱え続けました。自分の心が落ち着くまでずっと暗唱し、心の中で誰かを憎むことについて考えるのをやめることができたとき、初めて法の暗唱を止めました。

 だんだんと、私の正念は強くなり、人間の恨みの観念の背後にはすべて因縁関係があることを大法の法理は私に理解させました。以前私は世間のこのレベルの物事を現実的にとらえすぎ、表面上で他の人が間違っていると思い、自分の苦しみが、永遠に解脱できないかのように見えていたことがわかりました。このようにして、私はこの厚い氷のような憎む心を解かすのに、3年以上の年月がかかりました。最終的に師父は私のために憎む心の根を徹底的に抜いてくださり、体はすぐに良くなりました。私が憎む心を取り除くと、私の眼の中にやっと他の人が見え始め、誰もがこの世界で生きていくことは容易でないことを深く体験し、みな苦しく、ただ苦しさの形が違うだけでした。

 子供が11歳の時、前夫は離婚を申し立てました。実際前夫が離婚を申し立てる前、私は「私と彼の間の恨みはもうすぐ終わるので、私はあまり驚かず、縁が尽きると人は去っていく」と漠然と感じていました。しかし私はやはり2回泣きました。1回目は孤独とさみしさであり、もう1回目は子供に合わせる顔がないと思ったからでした。これは師父が私のために按排された人心を取り除くための良い機会であることを私は知っており、私はこの機会をしっかりと捕まえなければならず、以前のようにダラダラするわけにはいきませんでした。その後に隠された嫉妬心、闘争心、メンツを重んじる心などが出てきて、私は一つ見つけるたびに、一つずつ滅していきました。師父のご加護の下で、さまざまな人心をすばやく、きれいに、きちんと取り除きました。この苦しみの過程は2週間続き、私は完全に洗礼を受けたかのように、一つの心を取り除き、師父は一層の次元の美しさ、清浄さ、透過性、穏やかさ、慈悲など、この上ない素晴らしさを私に感じさせてくださいました。

 現在(訳注:2019年11月)、私は前夫に対して、愛や恨み、憎しみはすべてなく、ただ慈悲があるだけでした。迷いの中の人は帰る道を知らず、どれだけ不幸なことでしょうか。前夫が私の最後の善の勧めを聞き入れてくれることだけを願い、大淘汰の中で留まる機会があることを願いました。私と前夫は20年近くもめており、師父はこの因縁を用いて私のために修煉の道を切り開いてくださり、私はこの恨みを返しただけでなく、この恨みを利用して私を鍛えてくださり、心の狭さと利己主義から私を歩み出させてくださいました。前夫が私のそばにいないので、私は自分で時間をコントロールでき、人を救うプロジェクトを妨害されることなく行なうことができました。このすべてを、師父はぴったりと秩序を以って按排してくださいました。

 私は初期の頃に読んだ「ある人が自分が信じた神と同行し、彼は神が見えませんでしたが、道に2列の足跡が残っており、彼は神が自分と同行していると判断しました。彼が最も困難な時に、振り返ってみると、道に1列の足跡しかないことに気づき、彼は『私が最も困難な時に、あなたはどこにいたのですか?』と神を責めました。神は慈悲深く『子供よ、お前を背負ってきたのは私だ!』と言いました」という物語をはっきり覚えています。この物語と人に対する神の慈悲を私は深く覚えています。

 修煉の道で、私が最も絶望的だった時、師父が私から離れて行かれるのを感じたことはありませんでした。迫害の初期、私は自分が大きな山を登っている夢を見ました。山の頂を越えると、巨大な広場を発見し、広場と同じくらいの大きさの手が、慈悲深く私の前に広がっていました。私は師父の手の中で注意深く守られている子供でした。

 (続く)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/6/395462.html)
 
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