明慧法会|一度大法を修煉すれば 将来を問わない
■ 印刷版
 

文/河北省の大法弟子  

 【明慧日本2020年12月1日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 修煉者の皆さん、こんにちは!

 私は2019年3月に正式に大法修煉に入った新しい修煉者です。この1年、師父は私に多くのものを与えてくださいました。第17回中国大陸大法弟子法会を迎えるにあたり、師父と大法に無限の感謝の気持ちを伝えるために、心に秘めたことを話したいと思います。

 私は60歳になりますが、初めて大法を知ったのは2009年3月でした。その年、私は新しい家庭を築きました。夫は地方の高校の国語のトップレベルの教師で、琴棋書画(きんきしょが)や詩、歌などに長けていました。私は夫の才能と性格に憧れ、夫は私と亡き夫の娘を自分の娘として扱い、私を大切にしてくれました。夫と元妻はかつて大法を修煉していましたが、大法が共産党に弾圧された後、恐怖心から断念しました。数年後、前妻が病気で亡くなりました。2009年3月、彼は私に法輪大法を紹介してくれました。その結果、時折、学法したり、煉功したりしていましたが、実際に修煉に入ることはありませんでした。

 一、絶望的な人生

 2018年12月のある日、1時間ほどで夫が急病で亡くなりました。突然、空が落ちて大地が陥没したようで、私は泣きながら「私を連れて行って!」と叫びました。葬式の後、誰もいない家に戻り、冬の寒さのような寂しさと孤独が身と心に浸みました。1人で家に居ないようにしていました。私は慢性的な胃の不調、首の椎骨のこわばり、足の痛み、風邪や寒さへの恐怖、不整脈、下垂体動脈瘤、脳血栓症の前兆など、身体の痛みも出てきて、体調が急激に悪化していきました。

 2019年の旧正月が近づきましたが、民間では未亡人になったばかりの人が他人の家で新年を過ごすのは、縁起が悪いという言い伝えがあります。仕方なく自分の家に居ることになり、姉や弟の家にも行けず、夫を失った痛みに思いが突き刺さり、一日中泣いていました。娘が自宅に連れて行ってくれましたが、娘の家族(彼女の義理の両親と娘が同居している)のにぎやかな雰囲気を見て、私は自分が余計者と感じました。当然のことながら、私を見て彼らが感じたのは、怨みと涙と苦しそうな顔だけでしょう。私に喜びと安らぎを与えてくれる唯一の存在である孫でさえ、私に近寄ることは許されなかったのです。孤独と寂しさに浸っていた私は、心の底から落ち込んでいました。

 ついにある日、昔から知っている友人と会うために、友人の家に行きました。ちょうど、友人の家族に孫がいたので、ご祝儀として5000元(日本円で8万円)を贈りました。しかし、たった4、5日で、友人は、哀号する顔と涙目で一日中泣いている私を見てため息をつき、生活に余裕がないように見え、どうなるのかと不安になっていました。このままでは責任が取れないのではないかと心配なので、帰ってほしいと婉曲に勧めました。その時、私はいわゆる「絶体絶命状況に瀕している」ことを本当に体験しました。 仕方なく私はホテルに泊まりました。

 ホテルで、私は考え始めました。トラブルや難があった時には、誰にも頼ることができないのです。私はいくつかの不動産とすべての預金を保管していたので、夫の遺言を履行し、彼が出版のために準備した原稿を公開しなければなりませんでした。私の娘はちょうど30歳を過ぎていて、私の唯一の親族で、これから、彼女と一緒に人生を歩まなければなりません。夫の連れ子の3人の家族の、孫娘は私と夫と一緒に育ったのですが、彼らの家族は南から戻ってきました。父親をなくし、家のドアを開けて迎えてくれる人はいません。面倒を見なければならないことがたくさんあります。私はしっかり生きていかなければなりませんでした。

 私は可哀想な自分を見て、どうやって生きていけばいいのでしょうか? この時、漠然と法輪大法と師父を思い出しました。私は本当に修煉に入ってはいませんでしたが、大法の種は私の心の中に深く埋もれていて、人生が絶望的な状況にある時、大法と師父だけが苦しみの海から私を救うことができるという考えは徐々に明晰になり、修煉とは何かをまだ理解していなかったのですが、私は必ず法輪大法を学ぼうと決意しました。

 夜、1人で公園まで歩き、空を見上げて、夫に「私は後悔しました。あなたと一緒には行きません! これから法輪大法を学びます」と言いました。

 二、精進し堅実に修める

 私は修煉をしたいと考えましたが、この都市には知り合いの大法弟子がいません。故郷にいる妹が、友人が法輪功を修煉していると言っていたことを思い出し妹のところに行き、そして故郷で会った修煉者が私を法輪功の学法グループに連れて行ってくれました。法輪功を学ぶ環境を提供してくれた修煉者の家に行き、真摯で熱心な顔を見て、一安心しました。それは2019年3月でした。

 2009年3月から2019年3月までの10年間、私は迷える子羊のように、彷徨い、転々として、混乱し、探し求めていましたが、ようやく真の家に帰る道を見つけました。私を救い済度してくださった師父のご恩に叩頭します。

 故郷の妹の家に80日以上滞在しました。 その間、毎日車で往復2時間かけて学法グループに行き、そこで昼飯を食べました。修煉者たちは私に何もさせず、時間を割いて法に集中できるように、すべての大法の経典や師父の経文、師父の説法の録音、法輪功の資料をダウンロードするためのプレイヤー、その他さまざまな資料にアクセスできるようにしてくれました。私は 1日3講『轉法輪』を学び、各地での説法を勉強しました。

 法を学んでいくうちに、法を正す時期の大法弟子は、特に衆生を救うために真実を語ること、三つのことをしなければならないことを知りました。 師父は救われない衆生のことを不安に思っているのを見て、師父の弟子として、師父の望んでおられることを何でも心を込めてやるべきだと思いました。

 しばらく大法を勉強した後、私は法輪功迫害の実態を伝えるようになりました。最初は地元の友人や家族に伝え、その後、毎日のように必ずバスの中で乗客に伝え、その後、出会った人に伝えるようになりました。何も考えず、ネガティブな考えもなく、ただ師父の説かれたことを聞いて、もっと多くの人を救いたいと思っていました。

 80日間で50人以上の人を説得して、中国共産党(以下、中共)の組織から脱退させました。 いつの間にか体の異常がなくなり、すっきりした気持ちになり、果てしなく元気が湧いてきました。ここに、明慧ネットを借りて、故郷の同修たちが、真剣に、そして熱心に助けてくれたことに感謝します。

 その間、娘が遊びに来ました。晴れやかな母の姿を見て、とても喜んでいましたが、家の中に大法の本がいっぱいあるのを見て、私が大法を学ぶのを止めようとしました。私は「あなたの見た通り、まだ1カ月半ですが、母は別人に変わりました。 元気な母にしてくださったのは大法です。正直に言うと、私は何も欲しくないのです。ただ大法を学びたいだけなのです」と言いました。

 娘は私が決心したのを見て、大泣きして帰っていきました。 帰った彼女は、私のことを2人のおじさんに話しました。法輪功のことに触れると、親戚は大騒ぎになりました。彼らがネットで見つけたのは大法と師父に関する中共の中傷的な噂ばかりで、妹はこの地域での法輪功への迫害について話し、弟はわざわざ居住地から来てとんでもないと言いました。長兄も電話をして説得を試みました。私は「大法を実践していることで、あなた達まで巻き添えになることを心配しているのであれば、公に姉弟関係を断ちましょう」と言いました。これからも大法を実践していく決意を込めて、黙々と大法の本をきれいに並べました。彼らは皆、悪党の嘘に毒された衆生であり、私は師父の言葉に耳を傾け、私の身に起こったことから法輪大法の素晴らしさを見せ、彼らを救うため、しっかり修煉しなければならないと思いました。

 ここ1年ほど、私は機会があれば彼らとその親戚一同に大法の真実を伝えてきましたが、その氷のような心は少しずつ溶けてきています。親戚の中には、私が大法を伝えたことに対して娘に文句を言う人もいて、娘は私の視点から彼らを説得し始めました。

 妹の家に泊まることは決して長期的な解決策ではなく、私は都会の自宅に戻りました。師父の苦心の按排のおかげで、2019年7月に都会の修煉者に連絡がとれました。都会に戻ると、すぐに義理の息子と娘に「私は帰ってきました。時間があれば、家に来てください」と話しました。彼らが家に来た時、私は「それぞれの不動産を取って下さい、私は年金と貯金だけで生活できるので、何もいりません」と言いました。

 その時、ちょうど新しい真実を伝えるプロジェクトがあったので、私は2万元(日本円およそ32万円)を寄付しました。普段資料拠点にお金が必要な時は、同修にお金を渡しています。今私は2人の独身の同修と一緒に借りた部屋に住んでいます。1人の同修は病業を乗り越えているため、お世話をする必要があります。もう1人のBさんは新しい修煉者の私がより多くの法を学び、できるだけ早く法を正すことができるように、家事をすべて引き受けてくれました。この場をお借りして、Bさんの無私の助けに感謝します。

 3人は常に三つのことをしながら、とても質素な生活をしました。 毎朝3時に起きて煉功をし、6時の正念を発した後、朝食に3杯のラーメンを作って食べ、そのあと自分の部屋で法を暗記します。9時の正念を発した後、外に出て人を救うため人々に法輪功迫害の実態を伝え、11時半前に帰ってきて、家で同修がご飯を3杯蒸して、野菜を一つ炒め、20分で昼食を済ませます、 12時の正念を発した後、休み、午後1時から法を暗唱します、午後2時に3人一緒に正念を発します。4時半に家事をして夕飯を作り、5時半に食事をして、6時の正念を終えたら、各自の部屋に戻り、法を唱えたり、明慧の記事を読んだりしています。気が散ることなく、しっかりとした気持ちで、毎日繰り返しています。

 三、人を救うために真実を語る

 私たちが借りている家がある場所は、地方の都市部と農村部に分かれていて、周辺の村はごみ収集の仕事をしています。ある時、ごみ収集の人に大法の話をすると、彼は「うちの村のごみ収集の作業員6人全員が共産党の組織から脱退しています。私たちも一緒に学んでいますよ」と誇らしげに言いました。「あなた達は何を勉強しているのですか?」と聞くと、彼は「あなた達が渡してくれた小さな薄い本ですよ、みんな交代で読んでいます」と言いました。私は感動して笑顔で「あなた達も法輪功を学びたいですか?」と聞くと、彼は「学びたいです」と言いました。私は「法輪功を学びたいなら、『轉法輪』を読まなければいけません。それは天書です」と言いました。作業員は素朴な人で恥ずかしそうに笑いました。

 その後、私は2冊の『轉法輪』と『法輪功』を1冊、各地での説法を数冊、プレイヤー、師父の説法の録音や煉功音楽と正念を発する鐘の音を彼達に渡しました。今では皆、それぞれに大法の修煉の中に入ってきています。私は彼らとよく交流しています。

 ある時、身なりの整った50代の男性に法輪功迫害の実態を話したことがあります。男性は中共の弊害について色々と教えてくれました。中共の弊害についての理解が深まり、大法弟子を敬服していると言いました。 彼は共産党の組織から脱退しました。別れ際に、彼は誠意と心配りをもって、「あなたたち学習者はとても勇敢だから、気をつけてください」と言ってくれました。私は彼に感謝の気持ちを伝え、感動しました。

 ある日、縁のある人を探して自転車で道を走っていると、少し離れた場所で電動自転車を押して歩いている男性がいました。私は思わず「自転車の調子が悪いのですか?」と声をかけました。彼は「電気が切れました」と答えました。さらに話を聞いていると、彼は仏教の本を何冊か読んでいました。私は彼に大法の教えをいくつか話したところ、彼は納得して、法輪功迫害について話すと、スムーズに受け入れてくれました。『共産党についての九つの論評』と『共産主義の究極の目的』を渡すと、どうしても20元(320円)支払うと言って渡そうとしましたが、私はそれを受け取ってはいけないと言って、断ろうとしている時、別の2人がやってきて、その2人に法輪功迫害の実態を伝え終わって振り返ってみると、自転車のカゴの中に20元が入っていました。男性は跡形もなく消え去っていました。私は「彼は電気が切れたのではなく、師父が按排してくださったのだ」と思いました。戻ってから、資料拠点にお金を渡しました。

 別の日、縁のある人を探して目的もなく自転車で道を走っていると、突然目の前でタイヤが破裂したような音が聞こえました。30代くらいの若い男性が自転車から降りて、様子を見ていました。私は心配して話しかけ、そして法輪功が迫害されていることについて話すと、彼は共産党の組織から脱退の手続きを済ませていました。私の話が終わるとすぐに男性は自転車で去って行きました。自転車は全く問題はなかったのです。縁のある人を私の前に連れてきてくださったのは師父だとわかりました。師父、ありがとうございます!

 ある日、道端に70代の女性が座っているのを見かけたので、挨拶に行ったのですが、年配者は右手で耳を指差し、私に向かって絶えず手を振って、「耳が聞こえないです、聾唖者です」と言っていました。私はペンと紙を取り出して、「若い時、少先隊に参加したことがありますか?」と書きました。年配者は頷いて、私は「その共産党の組織から脱退しましょうか? 脱退すれば身の安全を守ることができます」と書きました。年配者は困惑した顔で私を見上げ、私は「共産党はすべての運動で8000万人以上の人を殺しており、悪はあまりにも大きく、神が清算しようとしているので、あなたが脱退しなければ、あなたもその党員の1人となり、一緒に葬られなければならないのです。脱退すれば、神仏は私たちを守ってくださるのです」と改めて書きました。年配者は嬉しそうに頷き、手を組んでお礼を言いました。

 四、かつての同修を取り戻す

 ある日、道端で1人で座っている50代の女性が心配事がたくさんありそうで、悩んでいるのを見かけました。自転車から降りて挨拶して、「何かあったのですか? 何かお手伝いしましょうか?」と聞いてみました。彼女は市内から来ていて、定年退職したばかりの夫が急性疾患で亡くなったと分かりました。彼女は1人で孤独で、身体中病んでいました。今は近くの娘の家に住んでいますが、娘とは会話ができず、いつも腹が立って仕方がないようでした。

 彼女の話を聞いて、自分の体験談や大法を得た後の素晴らしさを伝えました。突然、私と同じ話題を持ち出し、自分の不幸を話してくれました。彼女は1999年7.20以前に法輪功を修煉していましたが、共産党に迫害されてからは敢えて修煉しなかったことも話してくれました。昔の同修と聞いて、とても親近感が湧いてきました。師父がかつての修煉者を探して欲しいと言われていたことを思い出し、私は「今日私たちの出会いは、きっと師父の按排だと思います、師父は1人の弟子も置き去りにすることはされないのです」と話しました。

 私は師父の法を正す進展や、今の大法弟子がやっている三つのことについてを話しました。彼女はとても興奮して、再び修煉すると言いました。私は彼女を学法グループに誘って、大法の本を差し上げると言いました。彼女は大法の本は全部持っていて、学法グループがどこにあるか知っていると言っていました。 彼女を励まし、法を学ぶために学法グループに参加したら、自分の修煉に有益になると話しました。

 ある日、バス停で40歳くらいの男性に会いました。私は彼のところに行って大法について伝えると、彼は微笑んで「市内の修煉者たちはとてもよく行なっていますね、私たちは自分たちのことを恥ずかしく思っています」と言ったのです。 同修と聞いてすぐに、何か力になれることはないかと、彼の状況を詳しく尋ねてみました。

 彼は中共の嫌がらせや迫害から逃れるために、村の男性同修と家族と一緒に都会に来ていたことが分かりました。露店を出して食べ物や果物を売っています。2人は一家の生計のために一生懸命働いていましたが、なかなか精進できず、法の勉強や煉功についていけず、三つのことがうまくいかなかったのです。パソコンを持っていますが、パソコンのグレードアップが追いつかず、明慧ネットを閲覧できず、師父の新しい経文、明慧週刊などを見ることができなかったようです。私たちはお互いの電話番号を交換して、技術面の同修に連絡を取り、新しいシステムを導入しました。

 私は2019年10月から今年8月までの10カ月間、人々に迫害の事実を伝えている間に、置き去りになっている十数人の元同修との出会いがありました。

 10年が過ぎてしまったことを後悔することもありますが、大法が終わろうとする頃に大法に入り、師父の真の弟子の1人になれたことは、とても幸運なことだと感じています。私は法を学ぶ期間が短く、法理を理解することが少なく、実践の基礎が乏しく、人心も多くありますが、わずかな時間も無駄にせず、法を読んで覚えることにこだわり、問題に遭遇した時には無条件に内に向かって人心を見つけ、完全に取り除いて、師父の言葉に必ず耳を傾けました。将来のことは問わずに、ただ修煉の道で精進していきたいと思います。

 改めて、師父に感謝いたします! 師父、ありがとうございました!

 再び、無条件で私を助けてくれた同修に感謝します!

 (明慧ネット第17回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/21/414809.html)
 
関連文章