師と法を信じることについての問題点
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年12月19日】私たちの地域では、師父と法を信じることの問題の共通の現象がいくつかあります。一例を挙げれば、Aさんは汗をかきながらBさんのところに来て、次のような会話をしていました。

 Aさん:協調人を見ましたか?

 Bさん:どうしたのですか?(Bさんは協調人が難の中に陥っていることを知っており、裁判所が開廷を予定していることも知っている)

 Aさん:ある年配の同修は長い間寝たきりで、最近重症化しています。

 Bさん:絶えず法を勉強し、根本的な執着心を探してみてはどうですか?

 Aさん:それは言うまでもなく、誰でも知っています。あの年配の同修は横たわって、家の中で師父の説法録音を聞いています。

 Bさん:大切なのは心性の問題です。正視すべきで、解決しなければならないということです。

 Aさん:協調人は話が上手で、要点をつかむことができるし、そこにいる同修たちはみんな協調人の話を聞くのが好きです。彼女に二言三言、言ってもらって、それで年配の同修が早く良くなったら、それはいいことではないでしょうか?

 仕方なく、Bさんは協調人も魔難に陥っていることを伝えました。Aさんはようやく落ち着いて「私たちの学法グループはどうやって修めたらいいのか分からないのです。協調人に依存しすぎているかもしれません。第一に、私たちは、あまりにも人に頼ってきたこと、第二に、困ったときは、すぐ彼女に助けを求めてきたこと、これは彼女を信じているが、法は信じていないと言うことになります。先ほど言ったことを振り返って考えると、協調人の二言三言で年配の同修のことをすぐ解決できると言うなら、協調人は大法の威力よりもさらに威力があると言うのですか? 知らず知らずのうちに問題がかなり深刻になっていることに気づいていなかったのです」と話しました。

 その後、Bさんはたまたまその協調人に会いました。協調人は「ここ数日、私は法の勉強と正念を発することを強化して、今回の妨害は、名声を求める心と顕示する心という執着心に向けられていることが分かりました。私はあちこち歩き回ってはいけないのです。明慧ネットはどこでも見ることができるので、私が何かする必要はないのです。以前、同修のために良いことだと思い熱心に動いていましたが、今は自分の言うことの多くが法に基づいていないことに気付き、誤って同修を導いてしまいました」と話しました。

 この協調人は自分の問題点を見つけ、正念で邪悪の妨害を取り除き、後になって予定されていた開廷は中止になったと知りました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/7/25/313036p.html)
 
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