口を修めることと信頼の基準
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――同修の事情を雑談の材料にする行為は業力を作ってしまう

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年1月21日】

 何年か前、偶然に同修のAさんと再会したとき、彼は何度も私に助けを求めたことがあります。その後のある日、Aさんは無断でBさんを私の所に連れてきました。Bさんとは初対面ですが、Aさんが知っている限りの私についての情報をBさんは全部知っているようでした。それからBさんが迫害を受けて、私はBさんの母と妹に一度会ったことがありますが、私の個人情報をこの母娘も全部知っているようでした。ある日、Aさんの家に行くと、Aさんは私をCさんのところに連れて行き、会話の中で私の修煉状況、個人の生活状況、家族のすべて、Aさんとの付き合いなどについて、Aさんが知っていることをCさんも全部知っているのを発見しました。その後のコミュニケーションの中で、彼らは無意識に私の生活を多く気にかけていました。それには驚きました。

 Aさんに問い出すと、Aさんは「あなたの状況は親しい同修、信頼できる同修にしか話していない」と主張しますが、親しいとは信頼できることなのか、信頼できる基準とは何なのかと私は考え直しました。

 ここで自分が犯した罪をさらけ出して、口を修めることの重要性を同修の皆さんに分かってもらいたいと思います。

 物心ついた時から、自分はとても義理堅い人間だと思っていましたが、無意識のうちに同修を裏切ることもしました。それは1999年7月21日の昼、家宅捜索をされた私は、警察に脅されて、警察らを同修のDさんの家に連れて行き、Dさんの家にあった大法の書籍数冊、説法ビデオ数枚、師父の写真が押収されました。当時、私はDさんと知り合って僅か数カ月程度でした。その後、Dさんは何度も家財を押収され嫌がらせを受け、自由を制限され、逮捕されたり、労働教養所に入れられたりして、迫害に耐えられず邪に悟って、修煉の道に引き返すことができませんでした。

 とても心痛ましいことでした。当時、Dさんを売るつもりはなかったのですが、警察は巧妙な話術で、世間知らずで臆病な私に、警察は何でも知っていてDさんの情報をとっくに把握していると思わせました……。当時の状況がどうであろうと、私の考えがどうであろうと、私がDさんを裏切ったことは事実です。実は、警察はDさんが法輪功学習者(以下、学習者)であることすら知らず、たとえ知ったとしても、必ずDさんの家に行くとは限りません。彼らが迫害したいのは私です。私は1998年からすでに警察に目を付けられていました。ですから、私がその時に言わなければ、Dさんは学習者であることを警察に知られなくて済んだのです。残念ながら、それは数年後、師父のスパイに関する説法を学んでからようやく分かりました。私は旧勢力に手伝ってDさんの修煉を破壊し、Dさんの済度を待っている衆生を壊滅させました。その罪はどのくらい大きいのでしょう?! 私はAさんの言う「親しい同修」ですが、しかし私は信頼できる人間だったでしょうか?

 1999年7月21日、私はある学校に連行されて夜中まで尋問されました。実は1998年12月から私は当局から嫌がらせ行為や、人身の自由の制限など様々な形の迫害を受けていたのですが、師父、大法、同修を裏切ることは一つもしていませんでした。しかし7月21日の夜、よその地方の同修も含めて知っているほぼすべての同修のことを私は警察に白状しました! 

 このような卑劣なことをしてしまったのは、よく修煉していないためでもなく、自分の利益を守るためでもなく、ただ警察の話術に騙されて、はめられたのです。当時、自分は警察がすでに把握していたことを繰り返しただけだと感じましたが、実は違うのです。それは彼らの心理戦術で、スパイの手口で、私は理性的に考えていなかったため、その手段に騙されたのです。警察は確かに多くの手がかりを掴んでいますが、しかしそれはただの推理に過ぎず、第三者(私)の証言の有力さとは違うのです。私が自白した同修は例外なく迫害を受けました。複数回も逮捕される人や、邪に悟る人、修煉を放棄した人、今なお獄中にいる人もいて、ほとんど今は連絡が取れない状態にあります。「信頼できる人」と言われている私は、如何に同修たちに莫大な損害をもたらし、自らも莫大な罪を犯したかお分かりになるでしょう。

 我々の地元で小版の『轉法輪』を印刷したことをちらっと他の同修から聞いたことがあります。聞いた時は何も思わず、警察に「法輪功の書籍はどこから手に入れたのか」と聞かれて、私は深く考えず、誇らしげに「どこでも買えますよ。あなた達は知らないことが多いのよ。地元のここでも大量に印刷していた」と答えました。

 私は挑発の目的を達成し、警察も驚いて書籍の入手についてそれ以上聞きませんでした。しかし後になって分かったことですが、それからの数年間、地元のすべての本屋、露店本屋、印刷工場は密かに調べられて、『轉法輪』を印刷した工場はやはり警察に突き止められて、重い処罰を受けたようです。

 私はどれだけ重い罪を犯したのか、同修の皆さんとあの印刷工場にどのような悪運をもたらしたのか、大法にどれだけ大きな損失を与えたのか、あの印刷工場の人たちは、今は平安でしょうか、法輪功の真相を分かっていますか?

 周りには、昔から自分と親しい関係にある、もしくは修煉状態が良いと思われる修煉者に、今は修煉を放棄した人、邪に悟った人、法輪功を迫害する陣営に入った人もいて、彼らが昔のことと同修の情報をみだりに漏らす例を、ここでは挙げません。ただ、言うべでないことを絶対に口にしないように皆さんに注意喚起をしたいと思います。

 誰と親しいのか、親しい人は必ず信頼できるのか、信頼の基準は何なのかは、人心を持てば判断は難しくなります。ただ責任感をもって、言うべきでないことを絶対に口にしないようにすべきです。

 今の私は同修の状況、とりわけ家の状況(住所、家族構成などのプライバシー)を誰にも言及せず、たとえ聞かれても言うべきでないことは言わないようにしています。交流する時、ある事やある人物に言及する際も、人名地名などについてはできる限り回避しています。

 私の助けを必要としている同修(当事者)がいたら、まず一緒に学法煉功ができる環境を作ります。心性の交流になると、他の同修の力を借りなければならない場合は、事前に当事者の許可をもらい、むやみに連れて行ったりしないように気を付けています。

 当事者を助ける時、自分の知ったことを注ぎ入れるのではなく、必要なことだけ、自分のできることだけ、言っても良いことだけ、言わざるを得ないことだけ、未来に悪影響がないことだけを簡潔に話します。無断に他の同修を当事者に紹介したり連れてきたりしてはいけません。しかし見知らぬ同修が迫害されて助けを必要とした時、緊急時に他の同修と同行して突然見知らぬ同修を訪ねることもあります。

 同修が集まると、できるだけ学法、煉功、発正念に時間を使い、その次に如何に真相を伝えて、如何に技能を上げるかについて検討しても良いのですが、心性の交流、雑談、同修の噂をすることを主体にしてはなりません。難関に陥った同修を助けるための最も良い方法は、慈悲心と忍耐力をもってその同修と一緒に学法し煉功し発正念をして、少しずつ真相を伝えることに連れて行くことです。何故ならば、師父は「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[1]と説かれたからです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』(妨害を排除せよ)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/1/2/417979.html)
 
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