文/台湾の大法弟子
【明慧日本2021年1月22日】下記は、私が最近遭遇した3つの小さなことの中で、いくつかの体得がありましたので、みなさんと交流したいと思います。
一つ目ですが、私たちの煉功点には3人の子供たちと一緒に大法を学んでいる年配の女性がいます。彼女は穏やかで優しく、子供たちに非常に関心を寄せており、よく会話もして、仲がとても良いのです。彼女の長女は、上品で礼儀正しく話す時は小声です。私はその母親と家族の関係に、何度も感動させられました。「もし自分にもこんな母親と姉がいたら、どんなに素晴らしいだろう!」といつも思っていました。
時々、同修や友人に、姉妹や娘がいるのを見て、よく羨ましく思ったことがあります。私は、修煉者として嫉妬心があってはならないことは知っていましたが、他人を羨ましがることもまた人心で、それは比べ合う心であり、情に動かされていることを意識することができませんでした。師父の按排された道が一番よい道であり、すべてが業の報いであり、人と人の間はすべて因果応報、因縁関係なのに、何を羨ましがったり、何を比べ合うのでしょうか。これらはすべて情であり、すべて修めるべきことで、淡々とみるべきことです。親の情に引っ張られなければ、さらに多くの時間を修煉に費やせるのではないでしょうか。
二つ目は、台湾の学習者にとって毎年の人文字作りと法会は、年に一度の盛会です。これほど大規模な活動なので、数か月前から一連の準備作業を始めないといけません。例年通り、私は我が地区の人文字作りと、法会の申し込み窓口を担当しました。今年、作る一文字には4種類色の服が必要ですが、多くの学習者がみなもって今した。ただ人文字作りに参加する学習者が持っている服の色を確認してから、適切な按排をすればよいのです。そうすれば学習者たちは、また服を注文する必要がなくなります。しかし、統計段階において、各煉功点が参加人数を申し込む時、ある煉功点の責任者は例年同じように私に、黄色の部分を作りたいと言いました。黄色の服はどの学習者も持っていますので、どんな図案を作るにしても再び服を購入する必要がありません。私は心のなかでこう思いました。「毎年同じ色だから、服を購入する必要はない。黄色の服以外、別の色の服もあるのに、どうしていつもあなたの煉功点の人たちは、黄色の服だけにこだわるのだろうか?」
申し込みの締め切り後にも、参加希望者や辞退したい同修が続出して、参加人数がずっと決まりませんでした。人文字を作る日と法会当日には、申し込みをしたのに来なかった人がいました。私は心の中で少し不満を覚えていました。そして、もっと他人のことを理解し、ポジティブに問題を見なければならないと思いました。例えば、「黄色の服を着たいと要求した煉功点は、多分長年彼らはいつも黄色の服を着て人文字を作っていたので、黄色の服なら皆が持っている、だから責任者は煉功点の同修に服代を節約してもらうためにそうしたのかも知れない。また申し込みが遅れた人や、当日のキャンセルや欠席した同修は、急に何かが起きて参加できなくなったのかも知れない、絶対故意ではない」と、私はポジティブに考えるべきで善意を持って相手のことを考え、ネガティブに考えてないようにし、如何なる変化にも心が動じなければ、スムーズに物事を進めることができることを体得しました。
人文字を作る前の数日間は、ずっと雨が降っていました。人文字を作る前日、ある同修から多くの学習者に、自由広場で事前作業を行っている写真を渡してくれました。この写真を見て、私は非常に感動しました。これほど多くの同修が、黙々と代価を支払っていることに感謝しました。疫病が世界を蔓延している中で、台湾の学習者が予定通りに、今回の大型の活動を開催することができたことは、実に殊勝な機縁であり、私たち台湾の学習者にとっても貴重な機会でもありました。
三つ目のことです。法会から帰ってきた後、私の所在地区の電話チームの責任者の同修Aさんから連絡があり、相談員のBさんが送って来た「ショートメッセージを読んでほしい」ということでした。しかし、Aさんは「自分に何の問題点があるのか、見つからないのです」と言っていました。
この起因は、法会でAさんが同修Cさんに会い、「私は自宅で電話ばかりしていて、電話チームの拠点に行って交流をしていません。私がBさんから聞いたのは、我が地区で電話チームが成立して1年以上経つが、参加した同修が未だに非常に少ない」と聞いたことです。
Cさんからこれらの話を聞いて、電話チームの責任者であるAさんは法会から帰って来た後、相談員Bさんに次のようなメールを送りました。「BさんはCさんに何を話したのか。どうしてCさんが我が地区では電話をかける同修が非常に少ないと言ったのか。それはつまり、Bさんに我が地区では多くの人が自宅で電話がけをしており、集団での電話がけや交流会に来ない人が多いので、当然、電話チームの拠点では、電話をかける人が少ない」と伝えました。
彼らのメッセージを読んだ後、私は同修Aさんにこう伝えました。「悪い意味で受け止めないでください。相談員のBさんが同修のCさんに電話チームに入ってもらい、電話するように励ました可能性があります。Cさんに『電話をする人が非常に少ない』と伝えただけであって、あなたがこのチームをしっかりまとめていないと責めているわけではありません。これらのことで、あなたの心が動かされたのだから、向上する要素があるのかもしれません」
翌日、Aさんから「言われることを恐れる心があること。そして、他にも多くの良くない心があることが見つかりました」とメールが届きました。私が話してあげたことを感謝していました。
私がこれまでに遭遇したすべては偶然ではなく、いずれも私にとっては修煉して向上する良い機会でした。私が体得したことは、トラブルに遭遇した時「問題をポジティブに見る」ことで、ネガティブな考えを持たずに済むということです。一旦ネガティブな考え方が生じたら、すぐそれを排斥し、否定し、その考え方は私ではないと言い聞かせることです。同時に、善意を持って相手を理解し、自分の意見を持たないことです。修煉の道において、誰もが絶えず向上しており、状態は常に変化していますので、他人に対して固定観念を持たないように、他人の良い部分を多くを見る必要があるということです。
以上は、私の僅かな心得です。不適切な所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。ありがとうございました!