文/台湾の大法弟子
【明慧日本2021年2月11日】私は小学校の教師です。15年間教職につき、かつて1年生から6年生まで全学年の指導教官も務めました。私は1年前から法輪大法を修煉し、心身のあらゆる面において、大きく向上することができました。
これまでは、自分のクラスの生徒に対して、英語や古文などの授業の知識は、教材で補ってきましたが、道徳や倫理面の教育については徹底していませんでした。修煉してから、生徒たちに宇宙の真理を理解させることこそ、本当の教育だと認識しました。
「ところがこの宇宙には、『失わないものは得られず、得るためには失わねばならぬ』という理がありますから、失いたくなくても強制的に失わせられるのです」[1]。低学年の生徒にとって、この道理は少し抽象的であるため、ネットで検索し、もう少し具体的にこの理にまつわる内容の、ヨーロッパのアニメ映画を見つけました。
このアニメの内容は、人間が悪いことするたびに、自分の頭上に小さな悪魔(業力)が現れるといいうのです。それとは逆に、他人に傷つけられた時、やり返さず、我慢していれば、頭上の悪魔は去って行き、他人を傷つけた人の頭上に行きます。頭上の悪魔が一定数に達すると、悪の報いが現れ、凄まじい天罰を受けるのです。このアニメは私が師範学校時代に観たことがあり、当時、あまり感慨を受けた記憶がありませんでした。しかし、大法を修めてから、このアニメの話は正しく「失わないものは得られず、得るためには失わねばならぬ」の法理の具体的な現れだと気付きました。生徒たちはこのアニメを見てから、大法の法理に溶け込み、交流し、討論しました。子供たちは皆とても感動した様子でした。
ある日、引き出しの中にしまっておいた文房具が大量に消えていました。生徒Aがこっそり持ち去ったことは知っていました。クラス全員がAを非難しました。以前の私なら、生徒たちを戒めるために、きっと全生徒の前でAを大声で叱りつけていたでしょう。しかし、今、私は大法を修煉しています。生徒たちに「先生はAさんに感謝しなければなりません。なぜなら、先生の頭上の小さな悪魔(業力)を取り除く機会をくれたからです。文房具がなくなればまた買えば手に入れることができます。しかし、頭上の悪魔は自分が苦痛に耐え、損をした時にしか去って行きません。悪魔(業力)が去れば、私たちの将来の不幸も軽くなるのです。ですから、先生はこんなに貴重な機会をAさんからもらってとてもうれしく思っています」と話しました。Aが罰せられることを期待していた子供たちは次々に「信じられない」というような表情をしたのです。しかし、その後、皆頷き始め、私の話に同意し、拍手をする生徒もいました。授業後に私のところに急いでやって来て「先生、素晴らしい!」と言った生徒もいました。
このように対処し、日常的に生徒間で起きる尽きないトラブルを観察していて、子供たちの変化に驚きました。ある朝、教室に入るや否や、生徒Bが私に告げ口をしました。私がいない時、生徒Cの投げたものが生徒Dの頭に当たりました。以前なら、クラス全員がわめき立てて、収拾がつかない状態に陥っていたでしょう。しかし、Bが次のように話してくれました。Dがクラス委員にこのことを報告すると、クラス委員は落ち着いた様子で優しく「大丈夫、あなたの頭の上の小さな悪魔が減って、おめでとう」と声をかけました。すると、Dは直ぐに泣き止め、嬉しそうに満足した様子で自分の席に戻りました。Cも言い訳を止めて、Dに謝りました。今回の出来事は、私が教職についてから、生徒たちが自発的に自分の智慧でトラブルを解決した初めての事例でした。私はとても感動しました。
またある日、生徒Eが廊下を走りながら危険な動作をしたため、放課後、反省文を書くように、私は居残りをさせました。これまでは、個性的で活発なEは誤魔化したり、いらいらしたり、席に座ったまま不満を言って、反省文を書こうとしませんでしたが、今回は違っていました。Eは直ちに真剣に反省し、反省文に「廊下を走ってはいけません。もし走って、人と衝突したら、私の頭の上の小さな悪魔(業力)が増えます。たくさんの悪魔(業力)がいて欲しくないので、私はもう廊下を走りません」と書きました。生徒がこのような反省文を書いたのを見て、大法の法理が徐々に生徒たちの心に浸透しつつあるのが分かります。
私のクラスに「情緒障害」と言われている生徒Fがいます。かつて、彼は物事が自分の思い通りにならない時、大声でわめき、机や椅子を蹴り倒したり、足をバタバタさせて泣き叫んだりして、自分の不満を訴えていました。以前は私がどんなに言い聞かせても、落ち着いて私と意思疎通ができず、甚だしきに至っては極端に走り、多くの教師や両親はどうすることもできませんでした。しかし、大法の法理を教えた後、Fが情緒不安定な時、私は彼に小さな声で「クラスのみんなはあなたの怒りを黙って堪えているのよ」と話しました。ある生徒は「Fさんに感謝するよ。お陰で私の頭の上の小さな悪魔がいなくなったのだから」と言いました。すると、Fは直ちに納得して騒がなくなりました。落ち着きを取り戻した後、Fは自分の頭上の悪魔を取り除くために何かできるかと聴きに来ました。その後、Fは他の生徒によく協力するようになり、その結果、常に利己的で自己中心的であったFに対する、クラス全員の見方が変化したのです。両親も子供が最近かなり成長したと感じています。クラスの生徒の間で、自分たちの徳を重んじるだけでなく、自ら他人に奉仕するために率先して行動し始めました。以前は、地面に落ちているごみを見ても見ぬふりをし、他人が落としたのだと言い張っていたのです。
落ちているごみを見つけると、私はただ「よいことをする機会がここにありますよ」と言うと、いつも率先して喜んでごみを拾う生徒がいましたが、今は他の生徒もみなこのようになりました。これは私が予想できなかった前向きの展開でした。これはすべて師父の法理に感謝しなければなりません。大法の素晴らしさを実証することができました!
全ての生徒は私と縁のある衆生であり、法を得るためにやって来たのです。私は教師として、宇宙の真理を伝えることができ、それがどんなに貴重な按排であるかを心から感じています。法理を仕事に取り入れることに加えて、三つのこともしっかり行わなければなりません。私は非常に充実した毎日を送っています。
弟子は師父に叩頭して、師父のご恩に感謝申し上げます。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『転法輪』