明慧法会|家の中でも外でも人を救うのに忙しい
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年2月20日】夫の叔父は法輪大法の修煉者です。ある時、叔父が地方から私の家にやってきて、私たちの地区で法輪功の資料を配るので、手伝って一緒に配ってほしいと夫に言いました。2人は一晩中配り、夜が明けてからやっと家に帰ってきました。帰ってきた後、夫は私に「叔父さんは歩くのが速く追いつけなかった。追いかけるのに汗だくになってしまった」と言いました。夫の話を聞き、私は「大法修煉者は普通の人ではない、自分には理解できない」と思いました。

 その時の私は、まさに病の苦しみを受けており、アレルギーで顔が腫れて軟膏の薬から離れることができず、そうでなければすごくかゆくなり、顔全体が乾燥した土のように、いたるところがひび割れ、さらに乳ガン、子宮糜爛、めまい、耳鳴りを患い、わきの下は、にわとりの卵のような大きさのできもができて、押し付けないように、長い間両腕を下へおろさないでいると、乳房がさらに腫れぼったくなりました。病気を治すために、地元の大小の病院を渡り歩き、各地の医師に相談し、西洋医薬、漢方薬と鍼灸をみな試しましたが、病状は改善しませんでした。夫が臆病なので、私は夫に病状を話さず、多くのことはみな自分でがまんをして、家族に内緒で黙って涙を流しました。

 大法の修煉に入り無病で全身が軽くなる

 ある日の夜、夫がアレルギー性鼻炎とぜんそくの発作のために、死にそうになり、その時は深夜2時過ぎで、治療と薬を求める場所がありませんでした。ベッドの上で胸を押さえ、とても苦しそうなのを見て、夫に「難を受けた時『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と念じなさいと叔父さんは言いませんでしたか? 早く試してみてください」と言いました。夫は私の言葉を聞いてその通りにしました。しばらくして正常に回復しました。それ以後、夫は毎日「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と心の中で念じました。

 叔父が私の家にいる間、私にどうして佛像を祀っているのかと聞きました。私は「病気があって治療を求めるためです」と言いました。叔父は『轉法輪』を1冊私にくれ「まじめに読むように」と言いました。しかし私は本を手に取って数行しか読まないうちに眠くなり、本を置きました。

 2005年のある日、隣の年配の女性が突然私の家を訪ね、私の妹がちょうど外出するところに出くわし、私たちに何をしに行くのかと聞いたので、私は「薬局に薬を買いに行くんです!」と伝えました。年配者はそれを聞いて「あなた達は大変な病気で、毎日たくさんの薬を飲んでいますね、そのお金で、肉でも買って食べればいいのに? 早く『轉法輪』を読まれた方がいいですよ」と言いました。

 この年配者は「5番目の叔母」と呼ばれ、法輪功修煉者(以下、修煉者)でした。修煉する前は、相手にすると厄介な人でした。かつて屋上に座り、太ももを軽くたたきながら息子の嫁を叱ったことがありました。隣人として、私は当時喧嘩をしてしまいました。その当時の女性は、短気であるだけでなく、体も悪く、筋肉腫がびっしりと皮膚の下にでき、触ると痛く、八卦見(訳注:占い師)でさえも、その女性は60歳まで生きることができないと言っていました。

 思いもよらなかったことに、「5番目の叔母」は法輪大法を修煉した後、気性が変わり、体の筋肉が収縮してできたグリグリもみな消えました。その女性は、ある時大法書籍を読みたいと思い老眼鏡を手に取ろうとすると老眼鏡が「カチッ」という音がして壊れたと私に言いました。女性はすぐに、これは、目がよくなったことを師父が悟らせてくださったのだと言い、その後、女性は、本を読む時にもう老眼鏡をかけなくなりました。

 「5番目の叔母」の話を聞いて、私は心が動き、私は妹にその女性のこの大きな変化を見てください、私たちも修煉しましょう!」と言いました。私に修煉の願望があるのを師父がご覧になり、叔父が再び私の家を訪問するよう按排してくださいました。叔父は私に「『轉法輪』というこの本をあなたは必ずしっかりと読み、途中で止めてはいけません。そうでなければ、あなたが再びこの本を手にするのは難しくなります」と言いました。

 初めて『轉法輪』を読んで途中で諦めた時のことを思い出し、叔父が言っているのはこういうことなのかと思い「どんなことがあろうと『轉法輪』を一気に読み終えよう」と決心しました。しかし私が『轉法輪』を手に取って読んだとき、再び眠くなりました。今回私はあきらめず、頑張って読み、第五講まで読んだ時、眠かったので、本が「パタン」と床に落ちました。私は本を拾い上げ、続けて読みました。私はこうして『轉法輪』を1回読み終えました。

 私が2回目を読み始めた時、突然高熱が出て、体温を測ると、体温計の数値が最高になっていることに気づきました。しかしその高熱は病気とは異なり、少しもつらくありませんでした。夫は恐れ、医者を呼んで私に点滴させようとしましたが、私は夫に「これは発熱ではなく、師父が私を見守ってくださっているのです」と言いました。このようにして、高熱が3日続きましたが、私は体を壊さなかっただけでなく、元気いっぱいになりました。朝5時に起きてにわとりにえさをやり、足どりも軽く、全身にエネルギーを感じました。

 高熱が下がった後、私は下痢をしましたが、自転車に乗って街に行った時、何の問題もありませんでしたが、家に帰ると下痢になりました。このようにして、丸3日下痢をしました。その後も私の体は不規則に変化し、18日の間に2回、12日の間に1回の生理がきました。

 このような異常な状態に伴って、私の体の業力は師父によって押し出されました。ある時、私が両側抱輪(訳注:頭の両側で法輪を抱える煉功)を煉功していた時、耳の近くで虫がバタバタと音がしているような感じがありました。私は「これは師父が私のために耳鳴りと皮膚のアレルギーを取り除いてくださっているのだ」と気づきました。さらに煉功していたある時、私は誰かに背中を押される感じがし、振り向いて見ても、誰もいませんでした。私は「師父が私のために体を調整してくださっているのだ」と気づきました。このようにして、4カ月が過ぎた頃、わきの下のできものが消え、体のすべての病状がなくなりました。

 身軽になった私は、走って行って隣人の同修に「私は突然辛くなくなり、どうしたらいいでしょうか? 師父は私のことを気に止めて下さらなくなったのでしょうか?」と聞きました。同修は私の話を聞いた後「あなたの病気はすべてなくなり、さらに何がつらいのですか!」と言いました。それから、私の体にはもう何の症状も現れませんでした。

 商売をすることは人を救うことにおいて支障は起こらない

 修煉してから、私は地元のあるアミューズメントパークで二つのプロジェクトを請け負い、事業を始めました。私が事業を行うのは、お金を稼ぐのが目的ではありません。私が大法の修煉に入った時には『共産党についての九つの論評』がすでに発表されており、師父は大法弟子に三つのことをしっかり行うよう要求なさったので、毎日通勤の時、私はどのようにして人々に真相を伝えるかということでした。私に恐れの観念はなく、どんな人にも、どこでも真相を伝えに行きました。最も多い時には1日で十数人を三退させ、少ない時でも4、5人いました。ある時人々にしばらく滞在してもらい、真相を徹底的にわかってもらうために、私はさらに率先して人々にアミューズメントプロジェクトで遊びを提供し、時には真相を伝え終わらず、さらに遊びを提供しました。

 このように行うと、お金を失わないどころか、遊びに来る人はかえってだんだん多くなりました。ピーク時は、日収は2万元以上でした。観光客が多すぎて助けが必要だったので、地元の多くの大学生がアルバイトの応募のために私のところにやって来て、私は多くの真相を伝えました。アルバイトの期間が終わる時、さらに学生たちに法輪功迫害の資料を持たせ、「持って帰って読み、同級生にも渡して見せるように」と学生たちに言いました。アルバイトの過程で、学生たちは善の縁を結んだだけでなく、さらに多くの尊い衆生に出会いました。ここでいくつかの例を挙げます。

 ある日、2人の若者が私の前を通り過ぎ、つぶやきながら「誰かと喧嘩したい」と言いました。私はそれを聞いて、急いで前の方に行き、2人の若者に「あなたたち、けんかをしてはいけません! 両親はあなたたちをこんなに大きくなるまで育て、大変だったでしょう。あなたたちがもし殴り合う中で何かあったら、両親はどれだけ辛いでしょうか!」と言いました。2人が感動したのを私は見て、因果応報の伝統文化の物語を伝えました。2人の若者は私の話を聞いた後、考えを変え、けんかをしないと決めただけでなく、さらに加入していた中国共産党(以下、中共)組織を脱退することに同意しました。私は喜んで仮名を付けようと言い、2人のうちの少し若い方に「おばさんが名前を付けてあげるから、陽光にしましょう、太陽のように明るい陽光です!」と言いました。その若者は私の話を聞いた後とても喜び、「おばさん、この名前は本当に素敵です。これから、僕は自分を陽光と呼ぶことにします」と言いました。

 翌年、陽光はガールフレンドを連れて再びアミューズメントパークに来て、さらに私が経営しているプロジェクトの前にやって来て「おばさん、僕のことをまだ覚えていますか?」と言いました。私は「顔に見覚えはあるけど、はっきりと記憶していません」と言うと、陽光はすぐに名乗り、「僕を覚えていませんか? 僕は陽光です!」と言いました。私はそこでやっと思い出しました。陽光を注意深く見たところ、若者の変化が大きいことに気づきました! もともとの陽光は、敵意に満ちていて、顔の表情がいつも悪かったのですが、今は顔つきがとても優しく、とても元気で、ハンサムで、本当に陽光のように変わっていました。

 ある日の正午、観光客が比較的少ない時間、1組の老夫婦が女の孫を連れて椅子に座って涼んでいるのが見えたので、私はボトル入りの飲料水を持って行き、「今日は暑いですね! 早くお子さんに飲ませてあげてください、熱中症にならないように」と言いました。老婦人は急いでお礼を言い、私は勢いに乗じて法輪功迫害の実態を伝えました。老婦人は聞いた後、三退に同意しました。しかし夫の方の態度は反対で、わざと私を避けてまっすぐに歩いていきました。私は追いかけて真相を伝えようとしましたが、さらに言葉をはぐらかし「自分はどこにも入ったことがない」と言いました。夫の方は役人のような格好をしているのを見て、私をごまかしていることがわかりました。

 ちょうどその時、すでに真相がわかった老婦人が焦って、私に向かって「彼は党員で、共産党委員会の書記です!」と叫びました。私は系統立てて大法の真相と蔵字石の予言を伝えました。真相を聞いた後、やはり立場を表明しませんでしたが、中共の本質を理解しており、ただ中共の残忍な性質にびくびくして回避しようとしているのだと分かりました。私は「安心してください、他の人はだれもいません。今日あなたは真相を聞くことができ、これは天意です! 私はあなたに仮名を差し上げますから、脱退してください!」と言いました。すると夫の方はうなずいて同意しました。

 私は中に戻りクッキーを持ってきて子供に食べさせました。この時、夫の方はすべてが変わり、とても親切で、先程の自己中心的なお年寄りとは違っていました。

 しばらく経ち、この救われた老婦人が突然孫を連れて会いに来て「お姉さん、私の孫を早く助けてください!」と心配そうに言いました。もともとその老婦人の孫は心臓手術をしに北京に行かなければならず、老婦人は心配で、少年先鋒隊を脱退する話を子供に話してほしいといいました。私は老婦人の話を聞いて、急いで子供を少年先鋒隊から脱退させ、さらに子供に真相のお守りを一つ渡し、必ず『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と念じて下さい。大法の師父は必ず助けてくださいますよと伝えました。帰る時、その老婦人は孫にお礼を言わせ、私は「私に感謝しないでください。大法の師父に感謝してください!」と言いました。

 アミューズメントパークの中で、私はまた一組の地方の母娘に会い、その時に娘の方が買い物に行き、私はその母親と話しました。その母親は夫を失ったばかりで少し鬱状態で元気がありませんでした。私はその母親に大法の真相を伝えました。真相を伝えて行くうちに、その母親のまなざしが明るくなっていくのを見ました。真相を聞き終わった後、すぐに三退に同意し、さらに実名で三退してくれました。私がその母親に「法輪大法好、真善忍好(法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい)」という心からの九文字を念じるように伝えていた時、娘さんが戻ってきて「法輪功」という三文字の言葉を聞くと「あなたは私の母に何を話したのですか? お母さん、行こう!」と言うと、その母親はその場を離れないどころか、その場で娘の言うことを断り「私は行きません、この方の話を聞きたいの、私たちの話はまだ終わっていません!」と言いました。

 母親の態度が頑としているのを見て、娘はただ母親と一緒に座るしかありませんでした。私は「お嬢さん、法輪功がわかりますか?」と言いました。娘さんは私の質問を聞いた後に偽りの天安門焼身自殺事件を持ち出し、私は法輪功への迫害の一部始終を伝えると、娘さんは自分がごまかされていたとわかり、三退に同意しました。さらに「自分の姉と、姉の夫もみな脱退させなければなりません」と言いました。私は「三退は本人の同意が必要なので、あなたが彼らに伝えて下さい」と言いました。娘さんは私の説明を聞いた後に確信を持って「私は彼らに伝えます、彼らも私の話を聞いてくれるでしょう」と言いました。私は娘さんに真相のお守りを三つ渡すと、娘さんは母親がお守りを付けていないのを見て、自分の真相のお守りを首からはずし、母親の首にかけました。母親は私に100元を渡そうとしたので、私は母親の申し出を断り、「私たち大法弟子は人を救っており、お金はもらいません。あなたが法輪大法は素晴らしいことを信じ、心から三退していただければ、私たちは最も安らぎを感じるのです」と言いました。

 このような例は山ほどありました。真相を広く伝えていくうちに、私が接触する人もどんどん多くなりました。救われた人には体制内の軍人がおり、政府の関係者がおり、礼儀正しい大学生もおり、さらにぞんざいなフリーターもいました。私は「相手の身分と振る舞いによってその人が救われやすいか救われにくいかを断定してはならず、人を救うという願望さえあれば、師父は縁のある人が私たちの前に来るように按排して下さり、私たちを救い済度させてくださるのだ」ということを理解しました。

 天地を覆すような舅の変化

 通行人に真相を伝える時の落ち着きと自信に対して、私が舅に真相を伝えた時に強い抵抗を受けました。実は、私の舅は優しい人で、おとなしくてまじめでした。私が結婚した後から、舅はずっと私を娘として見ており、おいしい料理があるといつもわざわざ私のために残しておいてくれました。普段私が出した決定を、舅はすべて認め、決して「いや」と言いませんでした。

 しかし私が修煉した後に真相を伝えたことには非常に抵抗しました。なぜなら舅は若い時に村の小隊長をしていたことがあり、文化大革命の後期に生産労働を管理し、政治に参与し、人を害した中共の運動の目撃者だったからでした。ですから、中共への恐れが骨の髄まで深く根付いていました。しかし家族もまた救い済度を必要とする衆生であり、私は舅に法輪功の真相を伝えましたが、舅は受け入れないばかりでなく、さらにテーブルを叩いて私に向かって「あなたは40歳にもなって、何を経験してきたのか? 共産党はあなたを養い、暮らしには何の心配もなく、あなたが何を知っているというのか?」と叫びました。

 私はあきらめず、機会があれば舅と交流しました。しかし、私たちがいつも真っ赤になって争うたびに、舅は怒りました。夫は私に舅と話をさせませんでした。その時私は同修との交流を通して、明慧ネットを読み「明慧週刊」内の交流文章を通して、自分には闘争心、恨む心と焦る心、さらに強大な自我があることに気づき、これはみな情であり、取り除かなければなりませんでした。

 師父は「慈悲は天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」[1]と説かれました。私はもう舅との議論をやめました。私はDVDを購入し『共産党についての九つの論評』、『天地をめぐる勇気の旅』『未来に伝えたい』などの真相DVDを家の中で大量に流しました。舅はこれらのDVDをあまりにも恐れており、時には怒ってテレビを壊したことさえありました。その後、私がDVDをかけると、舅はすぐに部屋を離れてしまいました。

 ある時、家に親戚が2人来たとき、私はすぐに『共産党についての九つの論評』をかけて親戚たちに見せると、舅はたちどころに手で顔を隠し、横を向いてしまいました。舅の様子を見て、私はおかしくなりましたが、これは舅本人ではなく、舅の背後にある邪悪生命と要素が舅が真相を理解することの邪魔をしているのだとすぐにはっきりと見分けました。私はたちどころに「私は今日必ず彼の背後にあるこれらの邪悪要素を取り除く」という一念を発しました。この念が出ると、突然全身が冷たくなり、少し震えました。夏場に寒くなるのはどうしてでしょうか? 私は「きっと邪悪が私に向かって来たのだ」と気づきました。その後、私は1時間近く正念を発して邪悪を解体しました。正念の作用の下、部屋の中の3人は居ついてしまったかのように、一言も話さなくなり『共産党についての九つの論評』の第六章を順調に見終えました。

 その後、親族の同修の勧めで、私は常人のテレビチャンネルをオフにし、舅姑の寝室に新唐人テレビを設置し、毎日新唐人テレビの番組を代わる代わる流しました。2年後、舅は大法を認めただけでなく、共産党の邪悪さもはっきり見分けました。共産党を脱退した後、さらに家族と一緒に江沢民告訴にも参加しました。私は舅に「『法論大法好、真善忍好(法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい)』という心からの九文字を心を込めて念じれば平安を保つことができる」と伝え、舅もその通りに行いました。

 ある時、鉄の梯子が2メートル以上の高さの屋上から落ちてきて、ちょうど舅の頭上にぶつかりました。その時は舅はすでに80歳代で、梯子が当たったところから大量の血が流れました。舅の孫の指示で、舅はすぐに「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と静かに念じ、病院に行って8針縫い、医者は舅に観察のために入院させようとしましたが、舅は断りました。家に帰って一晩中「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じました。翌日、夫が心配して舅に「頭はまだ痛い?」と尋ねると、舅は「痛くない、少し腫れているだけだ」と言いました。夫は舅の言葉を聞いた後「これも不思議だ。縫えば2日間は痛いはずだが、父さんはなんと大丈夫だ」と感慨深げに話しました。

 似たようなことが2回発生し、毎回いつも間一髪で助かりました。家族たちはみな、これは舅がいつも「法輪大法は素晴らしい」と静かに念じているおかげだ、ということを知っていました。

 舅は事故に遭った時、正念が十分なだけでなく、中共に相対する時も臆病ではありませんでした。江沢民を告訴したため、私たち家族全員は中共に嫌がらせを受けました。警官は舅に「どうして江沢民を告訴したのですか?」と尋ねました。舅は「息子の嫁はもともと病気だらけで、その後に法輪功を修煉してよくなりました。江沢民は修煉させず、彼は法輪功を修煉する人を迫害したので、私は彼を告訴しました」と指摘しました。

 やがて、舅は師父の講義録を聞き始めました。今(訳注:2020年11月)、舅はすでに大法から離れることができなくなりました。昼間は家で法を聞き、歩いたりあるいは寝る前に「法輪大法は素晴らしい」と静かに念じました。舅は、顔は紅くつやつやとしており、タフな体で、70歳代の人のように見え、さらに10キロの米を軽々と持ちあげて階段を上りました。周りの人はみな「このお父さんは、180歳まで生きることができる」と言いました。

 今、私の家は4世代が同居しており、上は93歳の舅、下は6歳の孫で、みな法輪大法を修煉しています。一家8人が師父の浩蕩たる佛恩の下にいます。

 私は家族全員を代表して、師父の慈悲深いご加持と救い済度に深く感謝申し上げます。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法は乾坤を正す」

 (明慧ネット第17回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/15/414827.html)
 
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