朝の煉功に参加して精進するようになった
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文/中国の大法弟子 心清  

 【明慧日本2021年4月11日】私の両親はともに法輪大法を学んでいます。家族や親戚も法輪大法を学ぶ人が多くいます。私は青年弟子でしたが、長い間、修煉をサボっていました。1999年以前に大法を得ましたが、大法に近いところにいたものの、大法の道に入っていなかったのです。この十数年、私は汚れた常人社会に溺れて汚染され、月日が無駄に流れ、この世に来た使命を忘れ、やってはいけないこともやってしまいました。しかし、1年くらい前になって、私はやっと大法の門に入った気がしました。

 最初に母は、師父の各地での説法を読むように促しました。私が師父の説法を読み始めると、師父は私の体を浄化してくださり、その時はあくびばかり出て、涙が出ました。いくつかの法理がわかるようになり、徐々に学法することが好きになっていきました。次第に、毎日『轉法輪』の一講を読むようになりましたが、安逸心があって、なかなか煉功を続けることができませんでした。両親は毎日、朝の煉功に参加していました。父は「自分は煉功しないと、話すことが困難になる」と話してくれました。母は私に「煉功の素晴らしさを体験すると、きっと続けられるようになるよ」と言ってくれました。同修も「大法を修煉する私たちの幸せは、突破したいと思えば、師父がきっと助けてくださることにあります」と、励ましてくれました。

 以前は、煉功のために早起きするのは、大変だと思っていました。早起きすることを考えるだけで、疲れてしまい、「どんな決心をすれば、早起きできるのか」と思ったりもしました。父が教えてくれた良い方法は、「目覚まし時計が鳴ったら、何も考えずに起きればよい」というものでした。効果があるとは思わなかったのですが、数日我慢してやってみたところ、朝の煉功はそれほど難しくないと感じるようになり、朝の煉功を続けることはとても良いことだと体得しました。

 一、仕事の効率が上がった

 小学生の頃を思い出すと、成績の一番良かった学期は、両親と一緒に煉功していた時でした。そのころの私は、足を組むと足の痛みで鼻水が口まで垂れるほどでしたが、それでも我慢していました。高校生のころ、一番良い成績を取っていた時は、テスト前の1週間、同修と一緒に煉功していました。

 私は今、教師をしています。以前は2時間以上かけて授業の準備をしていましたが、それでも満足のいく結果が得られなかったこともありました。煉功を続けた結果、1時間以内で授業の準備ができるようになりました。授業のとき、その場で思いついたことを教えることができ、内容が豊富になり、考え方が明晰で、生徒たちを引き付ける言葉を使って大きな声が出せるようになりました。例えば2時限の授業を続けても、疲れを感じなくなりました。

 クラス担任は、生徒たちを指導したり、教育したりする仕事です。以前の私は生徒に何を話せば良いかとても悩みましたが、今では、毎日煉功してから教壇に立つと話すことがすぐ出てきます。生徒の問題点も見出すことができ、宿題を添削したり、効率的にクラス担任としての仕事を成し遂げることができるようになりました。

 二、心が広くなった

 以前は、職員室で私よりも能力が高く、口が達者で、顔がきれいな同年代の人がいると、つい嫉妬してしまい、心の中で不公平だと感じることが多かったのですが、煉功を続けていると、自然にその気持ちが薄れていくように感じました。その人を改めて見ると「才能がある人だな」と思うだけになっていて、心が広くなりました。今では毎日、心の底から幸せで穏やかな気持ちになっています。

 学校では、様々な公開授業やクラスコンペが多いのですが、以前の私は名利心と競争心が強く、外見は弱く見えるようですが、心の中では、常に1位を望んでおり、みんなに認められたい、賞賛されたい、褒められたいと思っていました。そのため、私は黙々と時間をかけて人を驚かせるような成果を上げてみたいと思っていました。最近新しいメディア技術を使った授業のコンペが開催される予定があったので私は事前にその技術を学び、しっかりと準備しました。コンペに参加する同じ科目の先生は当然、私と競い合う相手だったので、学んだ技術をその先生に教えるか否か迷ってしまいました。そのことで同修と交流しました。同修は「漏らさずに教えた方がいいです。もし、それで彼女があなたを超えたとしたら、彼女は本当にあなたよりも優れているからです」と話してくれました。同修の言うことは本当に良い指摘です。私は「遅かれ早かれ、これらの競争心を放下しなければならない、何も考えず放下すればいいのだ」と思いました。このようにして、何人もの参加者の先生に次々と習得した技術を教えました。しかし途中で「相手が自分を超えるのではないか」という考えが時々浮かんできましたが、すぐに抑えて、結果を考えないようにし、師父の要求に従いました。

 私がこのようにすることによって、心が軽くなり、結果をあまり気にしなくなり、自然に不安や心配や緊張感が和らいでいきました。今まで参加したコンペの中で、一番気が楽だったと感じました。「執着を放下すれば舟は軽くて快く進み」[1]というのは、こういうことだと思いました。

 三、私はとても元気になった

 冬休み明けに学校に戻り、同僚から「元気そうだね」と褒められました。冬休みの間、私は煉功を堅持したおかげで、肌の調子がどんどん良くなっていました。功法を煉り続けていると、毎日元気いっぱいで、表情も柔らかくなって、人と仲良く話すこともできるようになりました。煉功していなかった時の私は、いつも萎れて落ち込んだような表情だったのです。朝の1時間の静功をちゃんと煉ることができたとき(時々安逸心で1時間煉ることができない)は、その日の仕事の効率が良く、精神状態も良い状態が保たれるのです。

 以前は、同修の交流文章を読むと「三つのこと」をしっかりやれば大法が智慧を与えてくださると書かれていて、いつも素晴らしいと感心していました。今度は私も、大法は神聖で万能だと体験しました。

 私のことを見捨てられなかった師父に感謝いたします。いつも励ましてくれた両親と家族のような同修にも感謝します。私のように、長い間修煉を怠けてきた以前の子供弟子は、みんな大法の修煉の道に早く戻って、師父の正法に追いついて、精進するように呼びかけたいのです。大法の修煉では失うものがなく、かえって心身の自由が得られ、大法の素晴らしさを体験することができるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「心自明」

【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください。】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/1/422816.html)
 
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