同修の国外避難について考える
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年10月17日】最近、同修が海外に移住して避難することについて、いくつかの考えが浮かびました。ここでは、表面的な「残るべきか、出るべきか」という選択に対する議論ではなく、この現象の背後にある私自身の考えを共有したいと思います。

 実際、以前は私にも強く「海外に出たい」という思いがありました。邪悪な勢力による不法な家宅捜索が、私や家族に大きな精神的なストレスを与え、「中国では安全が保障されない」という不安が常にありました。そのため、出国して海外に避難しようと、多くの方法や手段を探しました。しかし、同修との交流を通じて、まずは内に向けて自分を探し、不足している点を見つけ出すことが重要だと理解しました。その結果、地元の同修の家で一時的に修煉の状態を調整し、日々多くの法を学び、発正念を行って邪悪の干渉と迫害を取り除くことで、最終的には家に戻り、地元で人を救うプロジェクトを続けることに決めました。

 同修たちが海外移住を目指す際、ビザの取得などの障害に直面することもありますが、私自身の経験を振り返ると、重要なのは「残るか、出るか」ではなく、個人の選択次第だと思います。どこにいようと、私たちは大法弟子として自分をしっかりと修めながら、できる限り多くの衆生を救うべきです。どこにいようと、私たちは大法弟子としての使命を果たすことが求められています。遭遇する問題や試練の形式が変わるだけで、その道をどう歩むかは自分自身にかかっています。もし正しく修煉しなければ、たとえ海外に移住しても、別の形で邪悪に迫害されるかもしれません。私たちがそれを認めないとしても、もし自分の人心が取り除かれていなければ、邪悪は迫害する理由を見つけてしまうことになります。これが重要なポイントだと思います。

 私がこのように考えるようになった時、心に「精進」という二文字が浮かびました。確かに、私たちが海外に出たい理由は、一般的には「自由に修煉できる環境を求め、邪悪による身体的な迫害を避けたい」というものです。しかし、今では中国においても邪悪な要素は次第に減少しています。もし私たちの正念が不足していると、邪悪はどのような形であっても迫害してくるでしょう。たとえそれを認めなくても、人心が取り除かれなければ、その状況は繰り返されます。逆に、もし正念が十分であれば、邪悪は私たちに手出しできず、むしろ私たちを避けるようになります。

 私の身近にも、このような例があります。かつては邪悪からたびたび迫害を受け、逃げ回っていた同修がいましたが、最終的に家に戻りました。ある日、悪人が家に来た時、彼は不在でしたが、その後、彼は自ら派出所に出向き、真相を伝えて人を救いました。当初、直接彼に接触した警察官は彼を取り調べ、録画しようとしましたが、その警察官が上司と話した後、もう彼を訪ねることはありませんでした。以前は電話で接触していましたが、その後、同修が何度電話をかけても、その警察官は出ようとしなくなったのです。なぜでしょうか? それは、同修自身の正念が強くなり、邪悪がもう妨害できなくなったからです。さらに重要なのは、中国全体の環境が大きく変わり、邪悪な要素が本当に少なくなっていることです。

 数年前、夢を見ました。山道を歩いていると、前方に大きな蛇が道を塞いでいました。しかし、蛇の上を飛び越えてみると、その蛇は死んでいて、ただその形だけが残っていたのです。

 自由に修煉できる環境を探すことと、その問題を通じて浮かび上がる私たち自身の人心や執着心のどちらを重視すべきでしょうか? 私たちの生命は、大法を実証し、衆生を救うために存在しています。冷静に考えれば、その答えは目の前にあるのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/11/483785.html)
 
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