文/ニュージーランドの大法弟子 王久春
【明慧日本2021年5月15日】私は王久春といいます。今年72歳で、ニュージーランドのハミルトンの法輪功修煉者です。
王久春さん |
交通事故に遭い、はっきりした主意識を持つよう自分に注意を促す
2015年11月7日午前8時過ぎ、神韻の宣伝資料を配っている最中の私が、目の不自由な人や子供も通行可能な横断歩道を歩いていたとき、横断歩道の脇に止まっていたある車が急発進して私の右側から突っ込んできて、私を薙倒しました。そのとき、私は頭を地面にぶつけました。その時点でも車は止まらず、タイヤに押しつぶされた私の右脚は「バキッ、バキッ、バキッ」という骨の折れる音がして、車はやっと止まりました。私は地面に倒れていて、右脚は車に挟まれていましたが、車に乗っている人たちが見えていました。
運転手は西洋人の女性で、助手席には若い中国人が乗っていました。事故の直後、2人とも凍りついたように車の中でぽかんと座っているだけでした。「早く降りて、私を車の下から引っ張り出して下さい!」と、私は彼らに叫びました。この時、後続車の西洋人の車の運転手たちが降りてきて、通行人と一緒に何とか私を車の下から引っ張り出しました。数人の運転手が「横断歩道で人を轢くなんて!」と、事故を起こした運転手を非難しているように見えました。
私が真っ先に考えたのは、はっきりした主意識を持とうと自分に注意を促すことでした。後続車の運転手の通報を受けて、パトカー2台と救急車が来ました。終始、私は意識がはっきりしていて、事故を起こした運転手を恨んでいませんでした。彼らに謝ってもらおうという考えもまったくありませんでした。
救急隊員はすぐに私を救急車に乗せて救急センターに連れて行き、そこで何枚ものレントゲンが撮られました。レントゲン写真から、医師は右脚の粉砕骨折を5カ所確認しました。右足首の骨と膝につながっている腓骨が完全に骨折しており、ズボンを履いた状態でも骨折部の骨が突き出ているのがはっきりと見えます。また、右脚の膝頭、足首の内踝と外踝の骨、かかとの骨もいずれも粉砕骨折していました。右脚がひどく浮腫んでいてズボンを脱ぐことができなかったため、医師はハサミでズボンを一枚一枚と切り落としました。当時、私の右脚はまったく動かすことができせませんでした。
王久春さんの2015年11月7日の足首のレントゲン(左)と同年12月4日のレントゲン(右)を比較すると、交通事故から3週間後には骨折が治る傾向にあることが分かる |
警察官に運転手を起訴するかどうかと聞かれて、私は「起訴しません」と答えました。警察官は賠償金が要るかどうかと聞き、私は「要りません」と答えました。賠償を求めれば相当な額をもらえるのにと、困惑した警察官は目線を私から娘に移し、示談金が欲しいかと聞き直しました。娘は「お母さんが欲しくないなら私も要りません」と言いました。
退院して帰宅
ニュージーランドのワイカト病院の整形外科医であるスティーブ・マックチェスニ医師は私のレントゲン写真を見て、早速4人の医療チームを立ち上げ、手術の計画を立てました。それは、骨折した大きな骨はステンレスとスチールの釘で固定し、無数の骨の破片は取り除いて捨て、ステンレス製の部品を4つ入れる(潰れた腓骨を固定するための8インチの長さにもなる鋼板と、ステンレス製の踵、ステンレス製の足首、ステンレス製の膝頭)というものでした。
主治医から手術の計画を聞かされて、私は「帰ります」と言いました。その時、理解してもらえないだろうと思った私は、自分が法輪功修煉者であることを彼に言いませんでした。私が家に帰ろうとすることを聞いた医師は「この人は精神面に問題がありますね」と言いました。医療チームのある医師が、「あなたは自分の病状がどれだけ深刻なのか知っていますか? 今が治療に最適な時期であり、このような効果が得られる時間は非常に短く、緊急性があります」と言ってくれました。
病院にいる間、私はずっと吐き続けていて、脚だけでなく全身も腫れてきて、あちこち痛くてまったく座れない状態でした。そこで、私はこう考えました。「手術後の脚にはステンレスの釘かプレートだらけで、脚はどうやって組むのだろう? 病院は人間を機械のように扱っている。高次元から見れば、人間社会の技術は常人の病気を治すためのもっとも低いレベルの技術である。しかし、私は大法によって造られた生命である。あのステンレス製の代用品などを自分の体の一部として受け入れてはならない。師父はもっともミクロの次元から宇宙も造られているので、分子の次元にある私の怪我した脚を復元してくださるのはいとも簡単なことではないのか」
この点において、私は確信していました。「すぐに家に帰らなければならない。病院の治療効果や医療水準の如何は私とは無関係だ」と思った私は、魔難の中ではっきりした主意識を持って法に則って物事を考えて、師と法を堅く信じていました。
当時、私の携帯電話や服は全部娘が家に持って帰ったので、患者衣しか身に着けておらず、外部と連絡を取ることもできませんでした。治療を止めて家に帰らせて下さいとお願いしたところ、当直の医師は、病院が帰らせると法律違反になる上、私が正常な精神状態ではないことを確認できれば、直ちに手術に取り掛かる権限を持っていると言いました。そこで、私は素早く法的手続きを済ませないと退院できないことが分かりました。
私は、早速同修に見舞いに来てもらうよう心から師父にお願いをし、まもなく、2人の弁護士資格を持つ同修と連絡が取れました。彼らの助けを借りて、私はリスクや法的責任を負う一連の法的文書に署名しました。
退院の直前、私はステンレス製の装具や石膏による右脚のふくらはぎの簡易固定措置を受けました。「手術も注射もせず、薬も飲まなければ大丈夫だ」と私は思いました。こうして、入院5日目に、私は救急車で帰宅しました。
後に知ったのですが、私が帰宅した2週間後に、もし怪我を負った脚が好転していなければ、主治医が弁護士の同修を訴えることなっていました。今でも、私は主治医が同修の弁護士宛てに送られてきた手紙を持っています。
師父による加持と同修たちの支持
帰宅後、私は家族との問題に直面しました。家族は私の入院治療を望んでおり、「動けなくなってしまえば、誰がその後の世話を受け持つのか!」と私を取り囲み、詰問を投げかけてきました。私が帰って来たことで、家中はてんやわんやの大騒ぎになってしまいました。
私は心を静めて法を学び、内に向けて探し、旧勢力の一切の按排を否定し、師父の要求通りに物事を考え行動することを自分に求めました。定時になれば私は三つのことを行い、身体を動かせないため、煉功音楽を聴きながら手だけを動かしてみました。いつも行っていた新聞のレイアウト作業もやってみましたが、1紙面を終えたところで痛みで顔中が涙になって、シャツの前の部分も涙でびしょ濡れになっていました。また、私はネット上のグループ学法に参加し、インターネット上での真相資料の貼り付け方法も覚えました。
息ができないほどの激痛が襲ってきたとき、私は目を閉じて師父にこうお願いしました。「師父、今は激痛で息をするのも大変です」と、言い終える前に私は眠ってしまい、目が覚めたときには激痛はすでに過ぎていました。慈悲深い師父は常に私の側にいてくださり弟子を見守り、私にすべてを与えて下さいました。
理性のある弛まぬ努力によって、私は家族間の問題を乗り越え、旧勢力の按排を打ち破りました。このすべては、同修の支えは切り離せないものでした。私が車に轢かれたと知った後、オークランドのある年配の同修は明け方の3時過ぎに起きて、私のために発正念をしていまいた。大使館の前にいた同修や天国楽団の同修たちも絶えず私のために正念を発していました。見舞いに来て交流を以って励ましてくれた同修もいて、2人の弁護士の同修とハミルトンの同修たちも正念で私を加持してくれていました。同修たちと交流を交わし、比して学び比して修する過程で、私は自分の未だに取り除かれていない執着心に気づき、正法時期の大法弟子として改善すべき側面の数々も見えてきました。
心性の向上に伴い、私の身体も急速に回復に向かいました。
診察後、主治医は飛び上がるほど喜んだ
私が病院から帰宅したのは11月11日でした。12月4日の再診時には、他の部位は回復の傾向でしたが、膝だけはあまり変化していませんでした。医師は「膝は治る見込みがない。今さら治療もできない。将来はまともに歩けないだろう」と言いました。医師からそれを聞いた時、私は心の中で「あなたにはできなくても、私の師父は治せる!」と思いました。私の師父に対する信念は、少しの疑念もありませんでした。
退院したときから、私はいかなる機械器具による介助にも頼らず、補助器具に少しの依頼心も抱いてはいけないとルールを決めて、それ以来、ずっと守っていました。
12月23日の再診では、11月7日に撮影されたフィルムと比べて、膝関節には明らかな治癒の兆候が見られ、骨の破片さえも生きているかのように元の位置に向かって移動しているようでした。
3カ月後の再診で病院を訪れた後、治療を受けずに帰宅しようとした私は精神的に病んでいると思っていた主治医は、「脚の回復具合は素晴らしい!」と笑顔で言ってくれました。この西洋人医師は私の回復を飛び上がるほど心から喜んでくれました。どうやら私の脚の回復具合は彼にとってあまりにも驚きだったようで、もちろん、回復のスピードも彼の予想外でした! 彼は、「立派に治っているので、もう来る必要はない」と言いました。
彼だけでなく、ほかの医師や付いていた研修医たちも喜んでくれました。
交通事故に遭った私は、注目を受けるようになった
私が車に突き飛ばされてひどい怪我を負ったにも拘らず入院しなかった事実はまもなく中国人の間で広まりました。救急車で帰宅した際、何人かの中国人は遠くから走ってきて私の家を囲み、何が起こったかを見に来ていました。「法輪功関連の大事件が起きた! 車の下敷きになって脚を潰されて粉砕骨折になっても手術も治療もせず、病院から帰ってきた?」と、実態を知りたい彼らは窓から覗いたり、家に入ってきたりしました。私は彼らが真相を聞きに来たと考えました。脚が治っていくにつれて、私を理解できず、叱責したり、文句を言ったり、せせら笑っていた近所の人や友人、医師、そして家族はみな、私を敬服し、理解し、支持するように変わりました。
近所の中に、中国領事館と関係が深い某華人社団法人の責任者を務めている人がいます。私に真相を言われる度に、彼は言い訳を見つけてその場を離れたり、受け入れようとせず、法輪功を誹謗中傷する中共の嘘偽りを信じていました。交通事故の後、彼は私の家に見に来たことはありませんでしたが、家族を除いて、彼は私の骨折した骨が治療を受けずに自然治癒できたことを最も良く知っている証人です。なぜなら、私が外出する度に、彼は遠くから私の動きをずっと観察していたからです。日に日に私の脚の調子が良くなっていくにつれて、その人も少しずつ変わっているのを感じました。数カ月後のある日、バスに乗りに行く途中に真正面に彼がいて、彼は遠くから「あなたは本当にすごいですね!」と歓喜の声を上げて、興奮気味で両手を挙げて振っていました。私は「すごいのは法輪功で、偉大なのは私の師父です!」と言いました。
スポーツ医学に精通する中国人も私に会った時、「あなたは医学史上の奇跡です!」と言いました。
オークランドのある有名人は、主流社会を相手に真相を伝えている同修の口から私のことを聞いたとき、信じられず驚いていて、「この人の精神状態は正常ですか?」と言い、真実を確かめようとして私に会おうとしました。この有名人は大企業のオーナーで、ニュージーランドの政界、ビジネス業界、そしてメディアでもよく知られている有名人でした。
会うや否や、彼は不可解な気持ちと好奇心を隠せずに私をしげしげと見始めました。挨拶を交わした後、通訳を通して彼は質問し始め、中には彼自身も失礼だと思うものもありました。何を聞かれても、私は淡々と逐一に答えました。いくつかの答えを聞いた後、私の精神状態には異常がないと判断し安堵したかのように、彼はさらに詳しく質問し始めました。
そこで、私は事故の一部始終、つまり、私がいかに横断歩道ではねられて、車の下から救出されて、救急車に運ばれて病院でどのような検査を受け、医師の治療計画を聞いて帰宅を主張した経緯、そして帰宅後はいかにして薬を飲まず治療も受けずに、単に法輪功の煉功を通じて脚の粉砕骨折から回復したかを詳しく話してあげました。
この人はわき目もふらずに聞いて、絶えず頷き、敬服の眼差しで「すごい!」と称賛してくれました。私は彼に、「このすべては自動です。法輪功は自動的に修煉者の体を調整し、正しくない状態を正すことができるのです」と伝えました。
最後に、彼は両手で私の手を握り、目からウロコが落ちたかのように「なるほど! これが法輪功ですか! 法輪功にはこれほど大きな力がありますね!」と言いました。
私と会う前に、彼はすでに私が病院で撮ったレントゲンを見ました。初対面の時、彼は私の歩行状況を注意深く観察し、私が自由に動いていることを確認しました。私から詳しく事故の説明を聞きながら、彼は時折私の手を握り、とても興奮していて、感動していました。彼は私と一緒に写真を撮りたいと言い、わざわざ法輪功の創始者である李洪志先生の写真も一緒にカメラに収めました。
2016年5月、私は感謝の気持ちを込めて渡米してニューヨークでの法会に参加し、師父の説法を聞き、その後の盛大なパレードにも参加しました。
交通事故から半年後の2016年5月、王久春さんはニューヨークで開催された法輪大法デーの祝賀活動に参加した。 |