21年間、職場で大法の素晴らしさを実証(一)
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年5月15日】1999年7月、私は大学を卒業して、北京のある高校に就職し、着任後わずか半月で、法輪功への迫害が始まりました。新しい町で1人の同修も見つからず、当時、修煉がまだ未熟だった私は呆然と天安門広場まで歩いて行き、灰色の空を見上げて、心の中で「師父!」と叫んで、涙が溢れてきました。

 迫害の中、学校に正式採用される

 私が法輪功を信仰していることを学校側の管理層は知った後、よく私に「思想教育」をしました。派出所の警官もよく制服を着て学校に来て、私に事情聴取をしました。警察の制服はとても目立つので、警官が私を目当てに来たことが学校の全員に知られました。

 その後、私は天安門広場に「法輪大法が素晴らしい」と書かれた旗を掲げたため、7日間不当に拘束されました。学校側は車を出動して拘置所に私を迎えに来てくれましたが、その後、私を学校の宿舎に軟禁して、管理層と教師は交代で私を監視しました。

 師父の言葉を思い出しました。「私たちは善の心を重んじ、人に対して善の心を持たなければなりません。私がいつも話しているように、もし、人が如何なる自分の観念も持たずに他の人と話し、相手の欠点を指摘したり、相手に何かを教えたりすることができれば、相手はきっと涙が出るほど感動します」[1]

 そのため、誰が来ても私は抵抗したり避けたりせず、心をオープンにして接しました。彼らに法輪功の良さを伝え、修煉の喜びと自分が悟った法理を語り、法輪功を修煉することを誇りに思っていました。管理層は理解して、誰もが私を非難することなく、むしろあらゆる面で私を気遣ってくれました。新米教師の私の指導係になった2人の先輩教師はよく食べ物を持ってきて、私と一緒に食事を作って一緒に食べました。学校の女性管理層も世間話をしに来たり、生活用品を持ってきたりしました。皆は大法の良さをよく理解して、自ら『轉法輪』を読みたいと私から借りる人もいました。学校の指導者や同僚からの評価が高くて、多くの同僚は私のために管理層に「〇〇さんに懲罰を下さないで」と進言しました。

 それから、私の軟禁状態は解除され、ふつうに仕事ができるようになりました。私は生徒たちを愛し、責任を持って仕事をして、私が担任するクラスは成績、体操、衛生、礼儀作法などの面において、もっとも良いクラスと評価され、指導係の2人の先輩も私の実績に大変満足しました。

 クラスの中に宿題を提出せず、授業をよく聞かない生徒のAさんがいて、複数の先生が彼に対する不満を私に伝え、私はAさんを励ましたり口を酸っぱくして教育したりしましたが、効果がありませんでした。ある日、Aさんは生徒全員の前でなんと私の顔をビンタして、生徒たちはみんなびっくりしましたが、私は少しも気にしませんでした。大法修煉者である私は、師父から「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで」[2]と教えられていたので、本当に全く気にしませんでした。そうでなければきっとその侮辱に耐え切れず、大きな騒動になり、Aさんにとっても学校にとってもただでは済まなかったでしょう。

 事後、校長先生は生徒からそのことを聞いて、「法輪功を修煉したおかげなのか」と私に聞いたので、私は『轉法輪』の中の韓信が股くぐりで辱められた物語を校長先生に教えて、「李洪志先生にそう教えられているので、Aさんの行為をなんとも思わないことができました。教師として生徒に、争わずに優しさと寛容さを持って問題を解決するという手本を見せたかったのです」と言いました。

 いろいろな波風があったのですが、真・善・忍の教えの通りにやっていたので、試用期間を終えてから、私は他の新卒者と同じように正式に採用され、待遇も同じでした。

 労働教養所に入った前科があっても、職場復帰ができた

 法理を深く理解していないため、発正念の大切さを理解しておらず、他の空間の概念もあまり分かっておらず、困難に遭った時師父に助けを願うことも知りませんでした。ある日、乗っている船が水漏れして私が船から落ちたという怖い夢を子供が見て、私に教えました。

 間もなく私は逮捕され、労働教養所に入れられ、転向を拒んだために独房に閉じ込められました。法輪功の無実を訴えるために告発書を書いて、何度も監視の目を逃れ「告発箱」に投函しました。内部告発文を担当した部署の者が私に面談に来て、結果として教養所の隊長は降格されました。

 一時、副隊長はずっと好意的に「学校側に手紙を書くように」と私に勧めました。彼女の善意の提案に反論するのは良くないのですが、何を書けば良いでしょうか。大法弟子が書く以上、大法弟子としての正しい気風に溢れ、大法の素晴らしさを実証しなければならず、不満を訴えて学校側の同情を求めるのは目的ではありません。

 私は早速ペンを走らせ、真摯な気持ちで「長い間離れていたので、生徒たちのことをずっと思っている。私は自分の仕事を愛しており、管理層や同僚の方々の優しさを忘れることはない。学校の皆さんは私のために警察から多くのプレッシャーを受けておられるが、私は何の恩返しもできていない。私の素行を知っている管理層と同僚が私のことを代弁できないとしたら、他に誰を頼れば良いのだろうか?  一方、どこにいても、どんな環境にいても、私は清廉潔白であり続けて、自分の良心に恥じることを絶対しないので、信じてほしい。将来のある日、私を助けたことは正しい選択だと皆さんがきっと分かるでしょう」と書いて副隊長に渡しました。

 数日後、手紙は無事に郵送したと副隊長に教えられて、私はホッとしました。その後のある日、妹が突然電話をかけてきて、「お姉さんの学校の校長先生は手紙を受け取って、生活の困難を解決するために、これから毎月、少量の給料を支払うと言ってきたのよ」と言いました。後になって知ったことですが、校長先生たちは私の手紙を受け取り、管理層会議の時に皆が読んだ後、他に何も助けることができず、せめて少し給料を与えることを決定したそうです。修煉者として正しく行えば、環境もそれに従って変わるのです。

 教養所を出所した時、見送りの警官は「これからは家庭教師になればいいよ。家庭教師の収入も悪くない」と言ってくれました。彼女は、私が確実に仕事を失うと思ったからです。私はただ「ありがとう」と言いました。九死に一生を得た私はとっくに生死を放下して、仕事の有無に対してもっと無頓着になりました。帰った日に校長先生に電話して報告したところ、校長は「じゃあ、仕事に戻ってきてよ」とだけ言いました。

 (続く)

 
(中国語://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/30/418599.html)
 
関連文章