文/香港学習者の口述、同修が整理
【明慧日本2021年6月8日】私は香港の大法弟子です。1996年7月13日、初めて師父にお会いした日に修煉を始めました。25年あまりの修煉の中で、師父は常に見守ってくださり、自分が修煉を始めた時のことを思い出す度に、師父への感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。
2歳のころ、父親が冤罪で刑務所に入れられ、釈放された2日後に亡くなりました。ショックに耐えられず母親は家を離れて上海へ仕事に行きました。私は幼い頃から祖母と暮らし、10歳のころ、香港に来ました。
幼い頃から両親の愛に欠けていたため、身寄りがなく、非常に苦しい思いをしました。10代のころから道教や仏教、インドの先生から習うなど、様々な気功書も読んだことがあり、この中から人生の意義を探していたのです。法輪大法を修煉してから、ようやくあの頃、何でも学んでいた自分が間違っていることに気づきました。
若い頃は山で坐禅することが好きで、強い太陽に照らされても平気で長時間でも座っていられました。自分の前世は長くて白いひげを生やし、年を取った和尚であったことを知っています。私は20歳になる前に出家しようと考えていましたが、家族に知られてしまい、ひどく怒られてしまいました。
幼い頃から様々な苦を嘗めてきて、修煉してからこれらの苦を嘗めなければ、これほど大法を大事にできなかったことが分かりました。また、小さい頃から良く濡れ衣を着せられたり、叩かれたり、侮辱されたりしていました。武術を習ったこともありましたが、いざ、手を出そうとすると力が抜けてしまって、結局何もできませんでした。大法を学んで、小さい頃から師父が見守ってくださっていたと分かりました。
1992年、ある気功雑誌で師父が貴州のある山で煉功されている写真を見かけました。しかし、当時は不思議だなと思っただけで大法のことを知ろうとは思いませんでした。
ある日、公園の前を通った時、そこで煉功している人たちを見かけましたが、そのまま通り過ぎました。次に彼らに会ったのは雨の日で、雨宿りのために公園のあずまやのベンチに座り、そこで法を朗読している人たちに出会いました。何を朗読しているのか分かりませんでしたが、朗読を終えると、ある人から『轉法輪』を渡され、電話番号まで聞かれました。普段なら見知らぬ人に電話番号などを聞かれたら必ず断っていましたが、その日は不思議と何の警戒心もなく、その学習者に教えたのです。縁なのかもしれません。1本の電話で私は師父に会えました。
1996年のある日、電話番号を聞かれた学習者から、師父の説法があるから、聞きに来てという電話をもらいました。しかし仕事があるので断りましたが、「そんなことより、師父の説法の方が大事よ! 聞きたくても聞けない人がたくさんいるから」と言う彼女の言葉に心を動かされて、その晩、師父の説法を聞きに行きました。師父にお会いした時、感動して涙が出そうになりました。その日から、私は真に法輪大法を修煉し始めました。
幸運にも1997年に再び師父にお会いすることができました。学法して1年以上が経ち、あの日の師父の説法で多くの天機を知り、非常に衝撃を受けました。当時、他の同修に師父の説法があるから、早く来るようにと電話をかけていました。すると、目の前のエレベーターから師父が現れたのです。師父にお会いしてすぐに合掌しました。すると、師父も合掌を返して下さいました。当時、師父は深い慈悲で私を包み込んで下さっているのを感じ、とても感動しました。
修煉し始めたころはすごく精進していて、2講ほど続けて学法することもできました。主に夜に仕事をしているので、昼間は学法することができました。師父の要求通りに行い、心性を向上させていくことで、すぐに周天が通ったときの状態に至りました。
修煉を始めて、生命の落ち着く先を見つけることができました。すべては師父が与えてくださったと知っているので、師父に会う度に、感動と感謝で涙があふれてしまいます。