日本人学習者:緊張感と恐怖心の執着を取り除く
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 文/日本の大法弟子

 【明慧日本2021年6月24日】最近、子供の頃からずっと心に染みついていた緊張感や恐怖心を取り除いた過程について皆さんと交流したく、この修煉体験を書きました。

 一、一度法会で発表した時の体験

 私は6歳の時に、生後8カ月の幼い弟の子守りをさせられていました。退屈をした私は、ブランコ遊びをしたくなって、父の浴衣の帯を高い所の梁(はり)に投げて結んだあと、柱を伝って上り、その帯に足を入れて座りました。その途端「ジリッ、ジリッ」と音がしてそのまま落下しました。激しい痛みと、苦しみの中で、幼い弟の身体を側にあった紐で柱にくくりつけ、部屋中を大声で泣き叫びながら転げ回ったことまでは覚えていますが、その後のことは全く覚えていません。

 数日後に、私は奇跡的に生還しました。しかし法輪大法と出会うまでの46年間、酷い頭痛に見舞われ、いろんな病院に行って検査をしても原因が分からず、ずっと鎮痛剤を手放せませんでした。大法と出会う前、私は頭痛だけではなく、不安や恐怖感を感じた時、極度に緊張して過呼吸になり、意識がなくなり倒れることもありました。

 法輪功を学んで2年後の2006年に、私は東京法会に参加しました。それから、約15年後の2021年1月、私が所属しているプロジェクトの同修Lさんと電話でお話をしたのですが、Lさんに「貴女は、2006年の東京法会で一番目に発表した人ですか?」と聞かれました。私が「そうですよ」と言うとLさんは、その時私が着ていた服装から、近くで協調人の方と会話をした内容まで覚えていました。協調人の方が、私に「緊張しないように」と言われたことに、Lさんは「原稿も持っているのになぜ、緊張するのかな?」と思われたそうです。

 そしてLさんは「その時、貴女と縁があるな~と思いました」と言ってくださいました。人の記憶の中に、長年自分が存在していたことを聞いて、私は本当に言動には気をつけなければならない、嘘偽りや、悪口、噂話をしてはいけないと改めて強く思いました。

 その後、私は2006年に修煉体験を発表した時のことを思い浮かべました。人前で話すことが苦手だった私が、東京で発表することになり、発表するなら暗記した方が良いと思って暗記し、友達にも何度か付き合ってもらって発表の練習もしました。法会の当日、協調人から「発表する順番は、修煉だから決まっていない。自分を実証するのではなく、法を実証するのだから緊張しないように」と言われました。

 そして、私が一番目に発表すると聞いて、私は緊張感が増しました。私の心を読み取られたかのように、協調人からまた同じようなことを言われました。そして、舞台に上がり発表していた時、私は思考が停止し、手に持っていた原稿を見ても真っ白で、覚えていた内容も思い浮かばず、ボ~ッと立っていました。その時、自分の口が一人でに動いて喋り始め、私はハッと我に返り、続きを最後まで発表することが出来ました。私は師父が私を助けてくださったとのだと思います。もし師父が助けてくださらなかったら、私は大事な法会に大きな穴を開けることになっていたでしょう! 師父、ありがとうございます、その日、助けたくださったことに心より感謝申し上げます!

 法会での発表も終わって帰宅した翌日、幼い頃落下した事件の時に、注射を打たれた右腕に突然激痛が走りました。激痛と言ってもその痛みの程度は例えようがありませんでした。あまりの痛みにどうすることも出来ずに、涙を流しながら、これは私の業力消去のために師父が与えてくださったのだと思い、耐えに耐えて耐え抜きました。このような苦しみは約3週間位続きました。その後は、少しずつ痛みが和らぎ、完全に痛みが取れるまでは5週間かかりました。

 この体験を通じて、法会での発表の途中で停止した私を助けて下さったのは師父だっと確信しました。その後は、まだ残っていた業力が時々現れたりしましたが、最終的に良くなりました。

 二、フェイスブックに掲載する動画の撮影

 2020年8月2日、私は同修Wさんと一緒に動画の撮影に参加しました。もう十数年間修煉してきたのだから、緊張感はそんなに無いかなと思っていましたが、そうでもありませんでした。

 撮影前夜に会話する内容を下書きして、覚えようとしたのですが、なかなか上手くいきませんでした。翌朝、声に出して覚えないといけないと思って、練習すると声が出ません。私はさらに焦りました。同修Wさんに電話をしても、同修は電話に出ません。ますます焦り、外に出て待っていると遠くから同修が歩いて来るのが見えました。そして、2人は煉功動作を撮影する場所へ急いで移動しました。

 会話場面の撮影になった時、私は緊張のあまりに上手く喋れず、2度やり直してもだめでした。そして、同修Wさんに先に話してもらいました。同修Wさんの話を聞きながら、自分の心を落ち着かせることができ、最終的に撮影が順調に終わりました。

 私は自分に問いました。なぜ、こんなに緊張するのか? 内に向けて探してみてもその理由が見当たりませんでした。掲載された動画を見た時、私はそんなに緊張しているようには見えませんでした。撮影者と編集者の同修の努力に感謝いたします。皆さんのお陰で、途中であきらめることなく、最後まで頑張れたことを嬉しく思いました。

 三、残っている執着心、恐怖心を取り除く

  私は以前自分の奥底に潜んでいる、緊張感と恐怖心(誰にも話したくない)は父親に厳しく育てられた幼少期のことに由来すると思っていました。その性格は高校受験にも影響しました。緊張のあまりに問題を読んでも堂々巡り、手が震えて文字が書けず、大きな挫折感を覚えました。でも、その時、父は何も言わずに市立高校に行かせてくれました。

 法輪功を学んでからやっと分かりましたが、恐怖心があることで色んなことに影響してしまいました。法輪功を学ぶ前の私は、身体が弱くて、体調が悪くなると周りの者は心配し、いたわってくれました。私はそれを当たり前のように思っていました。ですから頭痛や胃痛がしたり、体調が悪くなると鎮痛剤を服用して横になり、回復するのを待つしかなかったのです。当時は身体が弱かったため、心性も精神も弱くて、みんなに守られていました。

 この体験文章を書いている時、明慧ネットに台湾同修が書いた修煉体験が掲載されました。その文章を読んで私は、台湾同修の修煉体験文章を通して、師父が私に悟らせて下さったと思いました。まさしく同修が書いた文章のタイトルのように「いかなることも偶然ではない」ということです。

 私は、台湾同修のこの文章を読む前に、同修Aさんと、緊張感と恐怖心のことで交流したことがありますが、Aさんは私の話を真剣に聞いた後『スイス法会での説法』の一部を交流してくださいました。

 弟子:どうすれば恐怖心を放棄できるでしょうか?

 師:恐怖心も執着です。それは自分の意志が強いかどうかの問題で、克服すべきです。「煉功するとすぐ寝てしまう」という人がいますが、それも自分の意志で克服しなければなりません。それらのものは魔ではありませんが、修煉者に魔の作用を果たしています。それを突破しなければ、そのものはあなたに作用してしまうのです」 [1]

 弟子:臆病は執着心なのか、それとも体質的な要素なのでしょうか?

 師:臆病というのも、この宇宙にそのような要素が存在しているので、あなたを恐れさせています。それは他でもなく恐れと呼ばれています。あなたが恐れれば恐れるほど、この要素は働きかけてきます。意志でそれを克服しなければなりません。これはあなたの意志の問題で、修煉の中でできなければならないことでもあります」 [1]

 私は以前『スイス法会での説法』を拝読した事があるのに、恐怖心が執着であるとは認識出来ておらず、そして、自分の恐怖心との関係にも気づかず、ただ読んでいただけでした。今自分が以前人に「恐怖心の由来は、父に厳しく育てられた幼少期にある」と話したことを思い出すと、それは私を苦労して育ててくれた父親のことを悪く言うことになるのでは無いかと思いました。Aさんと交流して、心の奥底に秘めていたことを素直に話すことができ、心が軽くなりました。この文章を書くことにより、辛かった思い出を振り返る中、自分の記憶から恐怖を排除することが出来ました。

 厳しかった父ではありますが、私が迫害停止を呼びかける活動に参加することに反対はしませんでした。私が、断食リレーに参加して、二日半(60時間)やった時、前夜に「お父さん、迫害停止を呼びかける断食リレーが明日の昼で終わります。だから、明日帰りますね」と連絡を入れました。

 翌日実家に帰ると、父は手作りの料理を沢山作って待っていてくれました。食後「『轉法輪』の一段落を暗唱したところを聞いてくれる?」と言って本を渡すと、父は本を手にとって、私が暗唱するところを目で追ってくれました。そして「お前は誰もしないようなことをやっている。お前は男の子だったら良かったね」と言ってくれました。迫害停止を呼びかける署名もしてくれ、母にも「お前も書け」と言ってくれました。高齢の母もその当時私と一緒に、法輪功を学んでいましたが、私が東京に越してから、近くに煉功点もなく、続けることが出来ませんでした。

 父が他界して、12年以上になります。父との縁による按排は私が法を得て修煉し、向上する下地の一つだったかもしれません。台湾の同修が書いた交流文章のように、私がそれを読めたのも偶然ではなく、私の恐怖心を取り除くためです。同修Aさんは私がすでに恐れの具体的なシーンとその要素を含めて認識できているため、恐れに向き合って取り除くことも早いのではないかと励ましてくださいました。

 それに、明慧ネットに掲載された「最後の人心を放下する」という修煉体験文章の中にも「喪失感や失望感など、それらは修煉者の不安定な心となってしまっています。この心は放下しなければならないのです」と書かれています。師父は『轉法輪』の中で「佛家は空を唱え、道家は無を唱えています」 [2]と説かれました。私にとって、緊張感・恐怖という執着心は 執拗なまでに私の心の奥底に潜んでいたものでした。

 Aさんと交流し、また台湾同修の修煉体験文章を読ませていただいたことで、自分を顧みて、向き合い、自分の執着心を乗り越えて行こうとするチャンスを頂きました。私は心の奥底に潜んでいた氷のように冷たい恐怖心が溶けて、温かい気持ちになり、硬直した身体と心の緊張感が和らぎ楽な気持ちになりました。

 私の両親は私を苦労して育ててくれました。私は両親に感謝しなければなりません。私は両親に向けて心の中で「お父さん、お母さん、私は法輪功を学んで健康な身体になりました。とても幸せですから安心して下さい」と感謝の気持ちを込めて言いました。

 今後、修煉を通じて心性を向上させ、執着を取り除けるように、日々精進して行きたいと思います。最後に尊敬の念を込めて以下の経文を引用させていただきます。 

「恐れの心は、人々に間違ったことをさせることができ、人々に機縁を失わせることもできます。恐れの心は、人間が神に向かっていくときの至難の関です」 [3]

「修煉は厳粛なことであり、このように恐れ続けていけば、いつになったら、恐れの心の束縛から解放されるのでしょうか?」 [3]

「実は、この万古の機縁とこの世にやってきた本当の目的を失うことは、人に会わせる顔がないという執着より、一層、恐ろしいことです。修煉はほかでもなく修煉であり、修煉はつまり執着を取り除くことであり、人間の良くない行為と、あれこれを恐れる人心を含む、各種の恐れの心を取り除くことです」 [3]
 
  注:
 [1] 李洪志師父の著作:『スイス法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の著作」『精進要旨三』「至難の関から抜け出す」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/19/427125.html)
 
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