文/中国の大法弟子
【明慧ネット2021年06月25日】私は、1997年から法輪大法を修煉しています。既に20数年が経ちました。そのうちの10年間、恐怖心は一層の透明なガラスの「体」のように、ひっそりと私と共にありました。そしてそれは突然に砕けたのですが、私はその時になって、ようやくその存在に気づいたのです。
10数年前、私は刑務所に連行されました。釈放されるまで残り6カ月という時、私の書き写した1編の経文が、他の同修が保持していた時に見つかりました。私が書いた文字でしたので、その同修は、もしそのことに刑務官が気づけば私にまで害を及ぼすと恐れました。この同修は自責の念に駆られていたため、私はずっと慰めていました。しかし実のところ、私も本当に怖かったのです。私は安全性の高い隠し場所を知っており、そこに手元の7、8編の他の同修が書き写した経文を保管していました。このような環境では、皆が比較的安全に法を学ぶ環境を確保することがとても大切です。法を学びたい時、皆は私のところまで取りにきて、終わったら返します。もし私に何か起きれば、全ての経文が危険に晒され、経文を写した7、8人の同修も迫害される危険がありました。
2日間というもの、私はずっと緊張していました。同修に経文の隠し場所を伝えておくべきか迷っていました。しかし、どうなるかはっきりしておらず、話しても皆を私のように無駄に緊張させてしまうだけだろうと思いました。私の処理には時間がかかるはずで、その時に皆に連絡しても遅くないと思いました。
翌日の夜、副隊長が突然私を事務所に呼び出しました。私は、副隊長が経文のことを話すのではないかととても心配でした。しかし、副隊長は私をかなり脅かしたものの、ただそれだけでした。
普段はこのように脅されても、さほど大きく動揺することはありません。しかし経文のことが念頭にあり、7、8人の同修の安全にも関わってくるので、寝室に戻った私は恐怖を感じました。私の心臓の位置から灰色の霧が噴出したように感じ、それは私の全身を包むとすぐに消えました。
私は一瞬ぎょっとしましたが、その時はこれが恐怖心という物質だとは分かりませんでした。ただ良くないものだと思い、正念を発してみました。噴出した霧は直ぐに消えましたので、あまり気にしませんでした。
一方、刑務官がよい人で、この件は大ごとになりませんでした。数日後、その刑務官は同修の前で経文を破り、今後は気をつけなさいと言いました。
数ヶ月後、私はこれらの経文を信頼できる同修に託して出所しました。
家に戻ると、最初の3年は法の実証に取り組みましたが、徐々にサボるようになりました。私は仕事が忙しいから仕方がないと思っていました。
4年目から、仕事のプレッシャーがだんだん大きくなり、家事も増えました。学法も減り、1年間で『轉法輪』を数回だけ読む程度でした。師父の海外での説法を読む回数は、さらに少なかったのです。人を救うことは、ほとんどする勇気がありませんでした。昔と違って原因を追究せず、忙しい常人のことに悩まされ、あっという間に10年目となりました。
その年、とても仲のよい同修が、偽の経文で邪に悟りました。彼女を見捨てたくなかったので、私は発正念で彼女の空間を片づけようとしましたが、未曾有の圧力を感じました。その圧力は私を窒息させるほどで、言葉では言い表すことができません。
それを2日間続けた後、別の同修に彼女のことを話しました。この同修も彼女を助けることに加わりました。私たちは四つの正時の時間ではなく、毎晩7時、8時、9時の三つの正時に正念を発し彼女を助けました。
この同修が加わったことで、私への圧力は明らかに少なくなりました。4日目の夜9時の発正念で、私が大きな蓮の花の手印で口訣を唱えた直後、私にとてもよく似たガラスのように透明な体が、微笑みながら私の前で「ガチャン」と砕け散りました。キラキラとした透明な破片は、全て手錠、電気警棒、鞭、電気椅子等の恐ろしい刑具でした。
私はぎょっとして、これは何だろうと思いました。
その日以来、私は自分が変わったとはっきり気づきました。町を歩く時、パトカーを見ても怖れる心がなくなり、往来する警官を正視できるようになりました。私は、人々に大法の真相を話し始めました。この時になって、砕けたあの体は私の恐怖心だったのだとようやく気づきました。そして、自分に恐怖心があったことに今更ながら気づいたのです。恐怖心があったというだけでなく、恐怖でできた一層の体まであったのです。私は、いつこの恐怖心が形成されたのだろうと真剣に考え始めました。
私は、強制労働収容所で心臓の位置から噴出した灰色の霧を思い出しました。その時には恐怖心が既にあったのです。自分が気をつけなかったため、その後の生活で、徐々に自分の一層の体のようになるまでに強化され、私はしっかりと覆われてしまったのです!
このことに気づいた私は、3日間激しく泣きました。その後数ヶ月間は胸が張り裂けるほど苦しい思いをしました。10年間で修煉の時間は全部でどれぐらいあったのだろうか? 10年間怠けており、恐怖心を全く意識できなかったのです。私は自分にがっかりしました。
恐怖心が砕け散った後、私は法を正す過程に追いつこうと努力し、徐々に恐怖心が起こした様々な妨害を取り除いていきました。
1年後、警察による突然の嫌がらせで、私は恐怖心がまた沸いてきたのをはっきりと感じました。と同時に、心臓の位置から再び一層の灰色の霧が噴出されました。私は自分に「もう二度と同じミスを犯してはいけない! この心は二度とできてはいけない!」と言い聞かせました。
その日の夜、私は大法の本を開くと、すぐに泣き始めました。4ページを泣きながら読んでいました。私は自分の分かっている側面が、師父が私を助けてくださっていることを知っていると気づきました。
法を学んでいる時、身の周りのネガティブなものが、法の力で少しずつ継続的に取り除かれていました。突然「ガチャン」という音とともに、何かが割れ、沸き起こり始めた恐怖心が取り除かれました。私の体から「怖がる」物質はなくなりました。
それまでは、怖がっていることと、安全に注意していることとの区別が、はっきりつけられませんでした。怖れの層の物質がなくなったことで、私は両者の違いが明確に分かりました。恐怖の中には恐れる心がありますが、安全に注意することにあるのは大局への配慮であり、恐れる心はないのです。両者は異なるのです。
翌日は友人と会い、大法の真相を伝える予定でした。私は少しも動じることなく、おおらかに真相を伝えました。以前に真相を伝える時にあった多くの妨害は、取り除かれたのです。
心を澄ませて法を学ぶ時、自身の多くの問題は、法によって気づかされ、克服させていただけます。真相を伝える時の障害についてさえも、法が気づかせてくださいます。
心を澄ませて法を学ぶのです。任務を果たすために学ぶのではなく、真心を込めて学びます。法には全ての智慧があります。私たちが真剣に学べば、法によって鍛えられ、正されます。もし私が以前からもっと心を込めて法を学ぶことを続けていれば、一層のガラスのような恐怖心が、10年も私と共にあることはなかったはずです。
私は、悲痛な体験から学びました。法を学ぶことを怠けず、勇猛邁進し、師父を手伝い法を正します。
次元に限りがあり、適切でない所があれば、同修のご指摘をお願いします。
【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】