ハルビンでの師父の講習会に参加した思い出
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 文/オーストラリアの大法弟子

 【明慧日本2021年7月11日】私は幸運にも、1994年8月5日にハルビンで行われた李洪志師父の法輪功の講習会に参加することができました。27年の歳月が流れましたが、講習会に参加した貴重な時間や、大法の修煉を始めた初期段階で私自身が経験した不思議で超常的な体験は、今でも私の心に鮮明に残っています。今日、同修の皆さんと交流したいと思います。

 一、講習会で「すべての衆生が苦しんでいる」[1] を体験

 私が法輪大法(法輪功)の修煉を始めたのは、ハルビンでの講習会に参加する前のことでした。私は理髪店で働いていました。1994年のある日、超能力を持つという女性がパーマをかけに来て、ちょうど私が受け持つことになりました。パーマをかけながら、私たちはおしゃべりをしました。彼女は済南市(山東省)で注目されている気功の講習会に行くと言い、私にも行かないかと誘ってくれました。彼女が言っていたのは、師父が間もなく済南市で開催される法輪功の講習会のことでした。残念ながら、私は仕事が忙しくて休むことができず、参加できませんでした。

 講習会から戻って来た彼女は、法輪大法の入門書である『法輪功』をくださり、私はとても嬉しかったのを覚えています。彼女はまず座禅を教えてくれました。そのとき30分、両足を組んで座ることができました。

 その夜、私は一気に『法輪功』を読み終えました。その後、私は毎朝、自宅から自転車で1時間くらいの所にある公園に行き、煉功しています。

 当時、私はとても若く、修煉についてあまり理解していませんでしたが、法輪功は「自分が求めていたもの」だと思いました。師父は素晴らしく、これは素晴らしい気功だったからです。

 師父は同年の8月に、ハルピンで講習会を開催されました。師父の講習会を直接受けられるなんて、夢のようでした。

 私はステージに近い8列目に座りました。師父は背が高く、白いシャツを着ておられました。師父が講義を始められたとき、私の頬を涙が伝っていました。

 師父は「われわれの法輪功では善の心がとても早く表れてくるので、多くの煉功者は煉功の時坐禅をはじめると、いわれもなく涙が湧き、何を考えても悲しく思われ、誰を見ても気の毒に思いますが、それはほかでもなく慈悲心が生まれてきたのであり…」[2]と説かれています。

 私はいつもはすぐには泣かないのですが、講義の最初から最後まで、私の顔は涙で覆われていました。後になって理解したのですが、師父が法の中で話されていたレベルまで、私を引き上げてくださったのです。

 また、師父が私たちの身体を浄化してくださったときのことも覚えています。師父は、「身体を清める時がきました」と言われ、「リラックスして、自分の病気のことを考えるように」と言われました。もし病気がなければ、身内の人の病気を思い浮かべれば、師父はすぐにその病気を取り除いてくださるのです。

 会場には約5000人いました。師父はステージから降りられ、私たちの近くに来られました。師父は目を閉じて 「1、2、3 」と数えるように言われました。3の時、私たちは右足を踏みしめ、次に左足を踏みしめ、激しく踏みしめました。すると、私の目の前に黒い塊が見え、それがあっという間に消えてしまいました。その日から、私は自分の体が浮かんでいるかのように軽く感じられるようになりました。

 師父は毎日、その日の講義を終えられた後、師父のアシスタントが講堂の中央で煉功動作を教えているのを、修煉者の間を歩き回られながら見守っていらっしゃいました。

 最終日の講習会終了後、私は外で同修を待っていました。たくさんの人がこちらに向かって歩いて来るのが見えたので振り向くと、師父が私の後ろにいらっしゃいました。師父は私たちに立掌され、車に乗って去って行かれました。

 師父は「直接わたしの説法を聞き、功法伝授を受けられる人は、本当に……今のこの時間が最も喜ばしい時だったと、将来きっと分かることでしょう。もちろんわれわれは縁を重んじます」[1]と説かれています。

 毎回、この段落を読むたびに、私は深い感銘を覚えます。師父の講習会を受けたときのことを直ちに思い出します。

 二、修煉後、不思議なことがよく起きる

 法輪功を始めて間もないある日、私は公園で第二式の「法輪椿法」を煉っていました。法輪を抱いているとすぐに入定しました。それはとても素晴らしい感覚でした。全身が固まったかのようで動くことができませんでしたが、頭ははっきりしていました。公園内の音は聞こえていましたが、その後は一切に入ってこなくなり、邪魔されることもありませんでした。疲れもなく、ただ心地よさだけがありました。最後に煉功を終えた同修が話しかけてきたとき、私はやっと出定しました。

 早朝は公共交通機関がないので、公園のグループ煉功場まで行くには自転車しかありませんでした。1時間ほどかかりましたが、疲れはまったくありません。まるで誰かが私の自転車を押しているかのようでした。その頃、私の心は純粋で喜びに満ちていました。師の言葉をすべて信じていたからです。

 公園で煉功するようになってからのある日、同修の1人が師父の説法のビデオテープを数本持ってきました。彼女が言うには、映像が不鮮明で、はっきりしていないとのことでした。その時、「師父の説法のビデオテープが鮮明でないなんてあるはずがない」という考えが頭に浮かびました。そこで、私は彼女に「そんなことはありえないでしょう。試してみましょう」と言いました。家に持ち帰って見ると、安定していて鮮明だったのです。それは「私が師父を固く信じている」からだと思いました。

 師父は「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり…」[1]と説かれています。

 また、居間のコーヒーテーブルで、買ったばかりの電気ポットを使ってインスタントラーメンを作っていたときのことです。私が台所から戻ってくると、電気ポットのプラグが、コンセントから外れているのに気がつきました。ポットは新品でプラグもしっかりしていたので、おかしいと思いました。もう一度プラグを差し込んでみました。

 再び台所から戻ってみると、またプラグが抜けていました。「これは師父が私を助けてくださっているに違いない」と直ぐに悟り、ポットをチェックしました。ポットの底が熱で溶けていたのです。師父が火事や感電を防いでくださったのです。

 また、3歳の娘を自転車で幼稚園に送って行ったときのことです。その帰り道、タクシーが私にぶつかってきて、私は自転車と一緒に倒れてしまいました。しかし、誰かが押してくれたような気がして、私はすぐに立ち上がりました。運転手は私が立ち上がったのを見ると、直ちに車をバックさせ、逃げて行きました。

 そのとき、私の頭の中は真っ白でしたが、恐怖心はありませんでした。私に怪我はなく、自転車も無事でした。しかし、タクシーのフロントバンパーは粉々に割れ、道路に散らばっていました。

 見物していた老人がタクシーのナンバーを教えてくれましたが、私は警察に通報することもなく、そのまま家に帰りました。

 家に着いた途端、立っていられないほどの脱力感に襲われました。心臓がバクバクしてきたのです。師父は「このような状況に遭う人はみな怖いとは思いませんが、後になって怖くなるかも知れません」[1]と説かれています。

 夫に「何があったの?」と聞かれ、事故のことを簡単に話しました。夫は「大丈夫か」と言い、私は「はい」と答えました。夫は事故現場を見に行きました。戻ってきた夫は、「君は車よりも丈夫だね。この法輪功は本当にすごい!」と言いました。

 私は師父が私を守ってくださったことと、事故で命の借りを返したことを実感しました。

 私は2001年7月20日、北京に陳情に行った後、北京で数週間拘束されました。その間、夫の姉が何日か我が家に滞在していました。私が解放されて家に戻ると、義姉はこんな話をしてくれました。

 ある朝、姉義は二つの窓を開けたまま外出しました。土砂降りになったので慌てて戻ってみると、窓はすでに閉まっていて、しかも鍵がかかっていたのでとても驚いたそうです。

 もう一つ、とても印象に残っていることがあります。 ハルビンの冬は非常に寒く、糊付きの資料がくっつかないので、外に貼ることができません。そこで、私は住宅の廊下に貼ろうと思いましたが、門扉に鍵がかかっていました。私は心の中で門に向かって、「私は人々を救うためにここにいます。開けてください」と言うと、突然、カチッと音がして、扉が開きました。そのとき、私は本当に言葉では言い表せないほどの喜びを感じました。

 この他にも、たくさんの素晴らしい体験をしました。師父はすべての弟子をいつも見守ってくださっています。師父、ありがとうございます。私は法を正す最後の段階で、さらに良くできるように頑張りたいと思っています。

 師父の慈悲なる救い済度に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『法輪功』「第三章 心性を修煉する」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/13/420153.html)
 
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