真の弟子となり、衆生を救う(一)
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文/オーストラリアの大法弟子   

 【明慧日本2025年2月7日】私は1996年に幸運にも法輪大法の修煉を始めました。大法を修煉する中で身につけた優しさ、高潔なふるまい、そして高度な道徳観が周囲の環境を変え、大法の素晴らしさを広めていることを次第に知りました。

 大法を修煉し、心身の健康と道徳心の向上を得る

 私は娘を出産した後、産後風(訳者注:産後の心身の不調や症状を指す漢方用語)を患い、長年帽子をかぶり、夏でも長袖、長ズボンで生活していました。冷たい風に当たったり冷水に触れたりすると、手の関節が腫れ、家事ができない状態でした。

 その後、神経衰弱にもなり、夜は不眠症に悩まされて眠れないため昼間は全く元気がありませんでした。さらに腸炎にもなり、頻繁に下痢をしていました。年中風邪をひきやすく、微熱が続いているのに手足は氷のようにひんやりしており、冬は電気毛布を使っても夜じゅう膝から下は冷えたままでした。

 さまざまな病気を治療しても効果がなく、人に紹介されて多くの気功を試しましたが、どれも病気を治すことはできませんでした。それどころか、偽気功師に他人の病気を治療する方法を教えられた結果、憑き物を招いてしまいました。

 私は働き始めて間もなく地方の支局に異動になりました。そこでは職員が多いので暇をもてあます人も多く、噂話や同僚同士の駆け引きが絶えませんでした。また、頻繁に宴席が設けられていましたが、私はいくら酒を飲んでも酔ったことはありませんでした。

 このような環境の中で、さらに私自身の気性が荒かったため、自分に理があるときには当然相手を容赦せず、自分に理がなくても言い争いをするようになり、利益があると見ればすぐに争うという歪んだ性格を形成してしまいました。その結果、私の体調はますます悪化していきました。

 大法を修煉して間もなく、師父が私の体を浄化してくださり、病気のない軽やかな体を得ることができました。

 大法の奥深い法理は私を強く惹きつけ、時間さえあれば法を学びました。それまで私は、こんなにも夢中になって手放せない本に出合ったことはありませんでした。

 修煉は口で言うのは簡単ですが、実際に行うのは難しいものです。私は毎朝目覚めるとまず自分にこう言い聞かせました。「殴られても殴り返さない。罵られても言い返さない。忍んで、忍んで、さらに忍ぶ」。夜寝ると、夢の中でまで人と口論することがよくありましたが、長い時間をかけてやっとこの関を乗り越えることができました。

 ある日、職場の主管局長(訳注:部門長)が私にこう尋ねました。「今度はどんな気功をはじめたの?」私は「法輪功です」と答えると、主管局長は「今度はどのくらい続きそう?」と言いました。私は「ずっと続けます。真・善・忍に従ってより良い人になります」と答えました。

 それを聞いた主管局長は大笑いしながら言いました。「もしあなたが人と口論しなくなったら、刑務所は閉鎖するしかないだろうね。私は人を説得して相手の意志を変えさせることが一番得意なんだ。あなたの意志を変えてみせるよ」

 そうして私たちは話しを続けたのですが、最後に主管局長は「今日は君の話に引き込まれてしまった。何か読む本があったら僕に貸してくれないか?」と言い、私は喜んで主管局長に本を貸しました。もちろん、これは私の力によるものではなく、師父のご意思で主管局長をお救いになったのだと知っています。

 職場では毎年一度、男女合同の釣り大会が開催され、私は常に上位3位以内に入っていました。修煉を始めて、修煉者は殺生してはならないという法理を理解してから、釣りは二度としませんでした。

 『轉法輪』を学んでいる時に、「この講習会の会場にタバコを吸いたいと思う人は誰もいないでしょう。そのようにあなたはやめたければ必ずやめられます。再びタバコを口にすれば、変な味がするにきまっています」という箇所を読み、私は師父に申し上げました。「師父、私はお酒をやめます。もう絶対に飲みません」。私は真に修煉する弟子になるためにお酒をやめると決心しました。そして、本当にお酒をやめ、もう飲めなくなりました。

 同僚たちは私がお酒をやめたことに驚き、「どうやってお酒をやめられたの?」と信じられない様子でした。

 そこで、私は彼らに大法の書籍を読ませ、職場の労働組合の事務所で9日間セミナーのビデオを上映しました。それを見た人々は口々に「素晴らしい」と言い、その中には大法の修煉に入った同僚もいました。

 師父は私の体を浄化してくださり、私の体にはもう病気はなくなりました。私は法を基準にして物事を測るべきだと決意し、その基準に従って行動しようとしました。個人的な利益のために医療費を申告したり職場の備品として私的な物品を購入するのをやめました。当時薬局ではさまざまな日用品も売られていたので、家計の足しに購入していたのです。

 私は師父の真に修煉する弟子になりたかったので、本当に自分を変え、私利私欲を捨てようとしました。しかし、実際にそれを実行するのは簡単ではありませんでした。

 お金を好きに使うことに慣れてしまっていたので、改めて、物を買うときには計画を立てる必要がありました。数カ月間は給料が足りないと感じましたが、自分は修煉者であることを思い出し、必ずやり遂げると決意しました。習慣になってくると、これはそれほど難しいことではないと感じるようになりました。

 この出来事を通じて、法の中で修煉することの素晴らしさを感じるようになり、本当に「柳暗花明又一村」なのだと思いました。

 人々が口伝えで大法の素晴らしさを広めていた1999年7月、法輪功に対して邪悪な迫害が始まりました。私は家庭、職場、街道弁事所、610弁公室からの圧力に耐えなければなりませんでした。また、私は職場の新しい上司に直接真相を伝えたこともあります。

 ある日、誰かが私に言いました。「A課長があなたのことを書記に告げ口したらしいよ。書記はそれを拒否したけど、また局長にも告げ口しに行った。局長もそれを拒否した。A課長がでたらめを言ったらあなたにとって良くないから、気をつけてね」

 A課長と私は以前にいざこざがあったのですが、私はそれを解決しないまま、時間が経つうちにそのことを忘れてしまっていたのです。

 私は反省しました。あの時、A課長はまだ課長に昇進したばかりで、業務に不慣れで官僚的な口調で話していました。それに私は我慢がならず人がたくさんいる前でA課長の悪口を言っていたのです。

 しかし、師父が『轉法輪』の中で説かれた「韓信の股くぐりの辱め」の法を思い出し、自分の面子を守る心を放下しなければならないことを理解しました。そして、私はA課長に公の場で謝罪することを決めました。

 私たちの職場には職員食堂があり、ある朝、A課長が食堂に入って来た時、ちょうど私たちのテーブルに空いている席がありました。A課長が歩いて来たのを見て私は立ち上がり、笑顔で席を指し示しながら言いました。「A課長、ここでご一緒に召し上がりませんか?」A課長はその時、咄嗟に返事ができないほど驚いていました。私はその瞬間、食堂で皆の注目を集めていることを感じました。他の人たちは息を呑んで事のなりゆきをうかがっていました。

 A課長が座った後、私は言いました。「A課長が課長になったばかりの頃、まだ業務に不慣れだったのに、私は手伝うこともせずに、かえってA課長にご迷惑をおかけしました。私はA課長に悪いことをしました。今更ですが謝罪します」

 A課長は感激して「全部終わったことですよ。もう終わったことです」と言いました。

 私はさらに、「あの頃私は体調も悪く、気分も落ち込んでいました。どうかお許しください。私が法輪功を修煉したのは、健康な身体が欲しかったからでしたが、法輪功は私にどう生きるべきかも教えてくれました。もし法輪功を修煉していなかったら、今日課長にこのように謝ることもできなかったでしょう」と言いました。

 課長は「たしかにそうでしょうね、私たちは政治に関わらないことにしましょう。ただ、体が健康ならそれで十分です」と言ってくれました。

 A課長が去った後、少し離れたテーブルにいた人たちが駆け寄ってきて、驚きながら言いました。「李洪志先生は実に凄いですね、あなたがこれほどまでに感化するとは」。ある人はこうも言いました。「法輪功は本当にすごい、今日は目から鱗(うろこ)が落ちたようです」。また別の人は「あなたには感動しました。法輪功が良いことは分かっていますが、私だったらあんな勇気はありません」と言いました。

 その後、誰かが言いました。「A課長もあなたのことを良く言ってましたよ」

 私は、師父が私の心性が整ったのを見て、私の問題を解決してくださったのだと分かりました。

 (続く)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/1/22/487528.html
 
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