文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年9月4日】私が法輪大法を修煉してから26年の歳月が流れ、師父との出会いを思い出すたびに、この上ない幸せと感謝の気持ちでいっぱいになります。すべてが昨日のことのように思い出されます。私が修煉の道で危険に遭遇した時、師父はいつも私を守り、苦難を解消し、救ってくださいました。佛恩がどれほど無限であるか、言葉では表現できません。私が師父に恩返しできるのは、もっと精進して、まだ始めたばかりの頃のように修煉することだけです。私は涙を流しながら師父に感謝しています。
私が初めて師父にお会いしたときの美しい思い出を、修煉者の皆さんと共有したいと思います。
湖南省郴州市での師父の講義に参加して
私は幸運にも、1993年に湖南省郴州市で行われた講習会と、広東省広州市で行われた第4回、第5回の講習会に参加することができました。その年の5月の郴州市での講習会は、中国女子バレーボール代表チームのトレーニングベースで行われました。
初日、師父の講義を受けるために会場に入ったのは、私が一番最後でした。扉をくぐった後、チラシを見ている人の後ろ姿が目に入り、私は「この方が師父かもしれない!」と思いました。師父をとても身近に感じ、親戚のように感じて、とても幸せな気持ちになりました。師父にいい印象を残したいと思い、足早に最後尾まで歩いて行き、自分の席に静かに座りました。
師父が講義を行っていらっしゃる間、多くの人が扇子で体をあおいでいました。師父が扇子を置くようにおっしゃると、部屋に涼しい風が吹いてきました。これは本当に奇跡的なことでした。
2日目には、師父の前に多くの人が集まり、私もそれについて行きました。師父の講義が始まると、みんな自分の席に戻っていきました。
その日の郴州市は、とても暑い日でした。師父は講義中に「こんなに暑い日には、雨が降ってくれたら嬉しいですね」とおっしゃっていました。その後、本当に雨が降ってきて、涼しくなりました。天気予報では、その日は雨が降らないと言われていたのです。
師父は功(強いエネルギー)を使って講義を行い、みんなの体を浄化されました。みんなが師父の講義を聞いているときに、ある女性学習者が私の前を通り過ぎて気絶してしまいました。しばらくして目が覚め、ゆっくりと起き上がりました。彼女はまるで別人になったようで、とても嬉しそうでした。
講義の最後のセッションが終わると、師父は全員に立つようにおっしゃり、みんな師父の指示に従いました。私たちは左足を踏み鳴らし、次に右足を床に踏みつけました。同時に、師父は学習者の体を浄化するために手を動かしたり振ったりされました。
その後、師父は私たちに大きな手印をして、法輪を回してくださいました。私は自分の体から何かが取り出されるのを感じ、また多くのものが私に与えられているのを感じました。体がとても軽くなり、汗だくになりました。とても素晴らしい感覚でした。
講義が終わったあと、会場は熱気に包まれていました。私は内向的な性格で、すぐに動揺してしまうのですが、この日はまた引っ込み思案になってしまいました。ちょうどその時、師父が通りかかられたので、私は師父に「師父、こんにちは! 家を出る前に母に頼まれたので、母に代わってご挨拶させていただきます」と言いました。
師父は「知っています!」と言ってくださいました。師父は私の家の方向を見て、1000里(約500km)も離れているのに、母の体を浄化してくださいました。私が家に帰ると、母が「あの時、体に変化を感じた」と言っていました。
私は師父と握手をしましたが、師父は全く気取られていませんでした。私は限りなく祝福されていると感じ、師父に会えたことは光栄なことで、何物にも代えがたい素晴らしい経験でした。
最終日には、各地の学習者たちが師父と一緒に写真を撮りました。師父は学習者たちと一緒にいるとき、いつも笑顔でした。師父はご自分の食事を後回しにして、学習者のために多くのことを我慢して一生懸命働いてくださったと聞いています。夜になると、他の地域の学習者たちは帰宅していきました。
広州の第4回講演会に参加して
広州の第4回の講習会は、郴州市の講習会の2日後に始まりました。申し込みをすると、半額のチケットを手に入れることができました。広州で第4回講習会に申し込んで駅に向かおうとすると、郴州の現地協調人が「師父をお見送りしましょう!」と言ってくれました。私はとても嬉しくなり、彼女に付いて駅に向かいました。
師父は小さな待合室にいらっしゃいました。しばらく立っていると、広州の協調人がスイカを半分持って待合室から出てきて「このスイカは師父からの差し入れです 」と言っていました。
師父は午後7時頃、一行を連れて出て来られ、その後、北京などの現地協調人たちが続きました。橋を渡っているとき、私は「李先生、道教の功法をしていたら頭の左側が痛くなりました」と言いました。師父は「気にしないでください」とおっしゃいました。私は自分の言葉がうまく伝わらなかったと思い、もう一度言ってみました。2度目も同じように「気にしないでください」とおっしゃってくださいました。
私は道教の功法をしているときに頭を痛めてしまい、とても辛かったのです。私は意念を使って頭の左側から気を強制的に出し、それが体の左側全体に影響を与えました。師父は私の頭の左側に法輪を授けてくださいました。ある時、私が寝ていると、頭の左側にたくさんの金色の光が回転しているのが見えました。今でもその金色の光は存在しています。
その夜、電車が遅れました。列車が駅に到着する前に、師父は列車の方向を見て、残りの席がないとおっしゃいました。電車が駅に着くと、車掌さんが出てきて「もう席はありません!」と言いました。
立券しか残っていなかったので、師父は電車に乗って10時間以上立ちっぱなしだったそうです。翌日から広州での第4回目の講習会が始まるとというのに。師父、本当にお疲れ様でした。
翌日の講習会は、広州市政府庁舎で始まり、その後、広州軍公会堂に移されました。第1回目の講義が終わると、師父は学習者の体を清めてくださいました。皆が集まって師父の指示に耳を傾けています。中にはせっかちな人もいて、前もって足踏みを始めていました。師は、皆が準備を整えるのを辛抱強く待たれ、足踏みの指示を出されました。講義が終わると、みんなとても喜んでいました。私は体の周りにとても強いエネルギー場を感じ、片方の手のひらに2つの法輪が回転しているのを感じました。
第4回目の講習会には、他の国からも多くの法輪大法の学習者が来ていました。香港のある協調人は、自分の姪の体を師父に浄化してもらいたいと言っていました。彼女の姪っ子は13歳で、8年間車椅子に乗っていました。師父は彼女の姪の体を浄化されましたが、協調人はまだ半信半疑でした。しかし、家に帰ったあと、姪っ子がすっかり元気になったのを見て、彼女は師父にとても感謝しました。
師父は、講義が終了して皆が帰るとき、心に思いやりを持ち、穏やかな表情を保つようにと説かれていました。
最後の講義で、師父は学習者の質問に根気よく答えてくださいました。師父はすべての修煉者を大切にされています。
第4回目の講義が終わったとき、私は講堂の階段にいらっしゃる師父を見かけました。私は急いで駆け寄り「李先生、麻城市の学習者は師父が麻城に来られることを楽しみにしています」と言いました。師は「わかっています」と言ってくださいました。私は再び師父と握手をしました。
師父の目は、私の心に強いエネルギーを与えてくださいました。私の心は震え、凍りつきましたが、その状態はすぐに消えました。心の痛みもなくなりました。宿泊先に戻った後、私は無性に泣き出してしまいました。
広州の第5回講習会に参加して
師父の第5回講習会には、私の故郷からも多くの学習者が参加しました。私も行きました。師父に再会できてとても嬉しかったです。この日は天気が良く、お祭りのような雰囲気が漂っていました。天目を開いた学習者は、空一面に大きな法輪を見ました。一般の人は広州の空の上に銀色のプレートを見て、陽城新聞はそのレポートを掲載しました。
チケットが完売したにもかかわらず、他の地域からも多くの人が師父の講義を聴きに来ていました。客席に入れない人が大勢いたため、師父は副講堂にも客席を用意し、テレビ画面で師父の講義を流されました。師父は、副講堂の効果も大講堂と同じだとおっしゃっていました。師父は副講堂にも向かわれ、学習者との交流を深められました。
師父は毎日、時間厳守で講義を行っていらっしゃいました。3日目、師父が突然私たちの隣においでになりました。多くの学習者が師父を囲み、師父の後をついて回るようになっていました。私は再び師父と握手を交わしました。
師父との経験を思い出すと、とても幸せな気持ちになり、より一層精進することができます。私たちは師父の手を握り、勇猛精進し、師父について真の家に帰ります。