文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年9月2日】私は長年、法を探していました。1994年4月15日から24日までの日々は、私の人生の永遠の思い出です。私は師父が安徽省合肥市で開催された第二回法輪功講習会に参加する機会に恵まれ、それ以来、返本帰真の修煉の道を歩み、大法弟子となりました。
気功を始めた理由
中学生の頃、「本に書かれていることが本当に正しいのか? 人はこのように生きるだけでいいのか?」と時々考えていました。高校時代に視力が低下し、親しい友人が「気功」という雑誌をくれました。そこには視力矯正の方法が紹介されました。私は興味を持ち、暑い日でも雑誌に書かれていた通りに練習を続けました。視力が少し改善され、そこから気功に対する関心が高まりました。
就職した後、私はますます気功や他の神秘的な現象に興味を持つようになり、気功が不思議で信じがたいものであるとは思っていませんでした。他に特に趣味もなく、毎週必ず新聞販売店に行き、最新の気功雑誌を購入し、いくつかの気功学習クラスにも参加しました。
1993年には、旅行のついでに成都市都江堰近くの青城山に行き、当時の流行っていた気功法を探しました。その日は私一人が昼の11時に長距離バスで都江堰に到着しましたが、青城山行きのバスは10分前に出発してしまっており、結局がっかりして帰ることになりました。何かを探しているような気がしましたが、はっきりとは言えず、ただ気功に対する興味が強かったのです。
大法との縁
私はまた、図書館で武術や気功に関する雑誌を読むのが好きでした。しかし、社会でのモラルに欠けていたので、良い記事を見るとこっそりと切り取って持ち帰っていました。ある日、市立図書館の『スポーツ新聞』で法輪功の五式の功法の原理と師父の功法を教える写真を見て、またもや悪い考えが湧き、全ページを切り取って持ち帰ろうと思いました。しかし、行動を起こそうとしたとき、突然「こんなことは良くないのでは? 他の人も読みたいだろう」との考えが浮かびました。そこで、悪い考えを捨てました。大法を修煉した後、そのとき私が悪い行動を止められたのは大法の力の現れであり、法がすべての良くない状態を正すことができると分かりました。
1993年11月のある日、長江通りの旧省政府前を通りかかると、法輪功の紹介ブースを見かけました。一目見たものの、天候が悪く寒かったので詳しく尋ねることはせず、大法との縁を逃してしまいました。後で思えば、本当に後悔しました。
その後、気功雑誌で1994年4月15日に李洪志師父が合肥市で第二回法輪功講習会を開催され、申し込み場所も明記されているという情報を見ました。今回は絶対に見逃すわけにはいかないと思い、その日から申し込みの時期を心待ちにしていました。
申し込みの日にも紆余曲折がありました。午後に申し込み場所に到着し、入口に入ると、50代ぐらいの男性がタバコを吸いながら手で円を描いて病気治療をしているのを見て、私は迷いました。私は内向的で、人に聞くのが苦手で、考えた末に自転車に乗って家に帰ろうとしました。自転車を数十メートル走らせた後、ふと考え直して「だめだ、戻って聞いてみよう」と決め、再び申し込み場所に戻りました。タバコを吸う気功師に「ここは法輪功講習会の申し込み場所ですか?」と尋ねたところ、彼は後ろの部屋を指して「そこだ」と教えてくれました。どうやらその男性は法輪功とは関係がなかったのです。私は彼が指した部屋に入り、写真と申し込み費用を渡して、無事に申し込みました。
大法の修煉に入る
開講の3日前、突然心が平静になったと感じました。以前は午後になると少し落ち着かない感じがしていましたが、その時は静かで穏やかな気持ちになり、どうしてそうなったのか深く考えませんでした。
1994年4月15日、開講の日です。場所は省政府党校の講堂でした。参加者は1000人以上で、私は後ろの席に座っていました。会場に入ると、穏やかで静かな雰囲気が漂っているのを感じました。開講前から師父が私を見守って下さっていたのだと後から分かりました。
初回目の講義が始まりました。師父は左側からすばやく演壇に歩いて来られました。身長が高く、姿勢が正しい師父が座られると、すぐに本題に入って講義を開始されました。師父の話し方は、私が以前出会った気功師よりやや速く、手にお茶のコップを持っておられました。講義の内容は、私がこれまで聞いたことのないもので、私は一瞬で目を覚まし、言葉を一つも逃さないように全神経を集中して拝聴するようになり、講習会が終わるまでこのように聴き続けました。
講習会の期間中、師父はすべての学習者に身体の調整を行われました。師父は皆に自分の病気を考え、師父の指示に従って足を一回踏み鳴らし、病気がない人は、自分の親族の病気を考えても良いと教えられました。その時、自分には特に病気がないので、父の病気を思い浮かべました。それから今日まで、父のその病気は再発していません。父は身体が弱く、以前は毎年数回その病気にかかっていましたが、今では90歳近くになっても健康に過ごしています。師父が父に健康な身体を与えてくださったことに感謝しています!
師父が説法をされる際、私は集中して聴いていました。ほとんどの内容は理解できましたが、師父がよく言及されていた「末法時期」という言葉の意味だけはどうしても分かりませんでした。ある日午後、私は早めに講堂に着きましたが、講堂の南側で、師父の周りに学習者たちが集まっているのを見ました。私は師父が見えなかったので、大きな石の上に乗って、師父を見る位置を確保し、師父をはっきりと見ることができましたが、突然、師父が私の方を一目見ておられたので、少し恥ずかしくなりました。
師父が説法を始められる前、ちょうど師父が南門から入って来られるところで、私は勇気を出して一言尋ねました。「李先生、末法時期とは何ですか?」。師父は振り向くことなく「今が末法時期です」と答えられました。師父に一言聞けて、直接答えていただいたことは、非常に光栄なことだと感じています。
講習会の途中、気功協会が学習者をグループに分け、師父と写真を撮るように手配しました。その日、午後の天気は曇りでしたが、雨は降りませんでした。写真撮影の場所は講堂の正門前で、私は近くに行ったので、師父を2、3メートルの近距離で見ることができました。師父はグレーのスーツと縦縞の白いシャツを着ておられました。その日は少し寒かったので、私はセーターを着ていました。師父の顔は赤みをさし、髪は真っ黒で、身長が高く、人混みの中でも非常に目立っていました。師父の髪の量は多いだけでなく、これまで見たことがないほどの黒さでした。
師父が説法される時でも妨害がありました。ある日、師父が講義をされている最中に突然停電が発生し、講堂は真っ暗になり、マイクも声がなくなりました。私は「おや、これで講義が聴けなくなって、どうしよう」と思いました。しかし、ほんの数秒後に電気が復旧し、全てが正常になりました。師父は笑顔で何事もなかったかのように続けられました。
最後の講義は質疑の時間でした。私は特に聞きたいことがなかったので、質問はしませんでした。質疑の後、学習者の体験談の時間がありました。その中で印象に残ったのは、ある女性学習者の話です。彼女は以前、人に病気治療をしていた時に憑き物を招いてしまい、法輪功の講習会に参加した後に師父がその憑き物を取り除かれ、健康が回復したという話をしました。彼女は涙を流しながら演壇に上り、降りてきました。彼女の話を聞いて、私も思わず涙がこぼれました。
もう一人の女性学習者は、法輪功を学んでから半身不随が治ったと話しました。彼女の話し方から、南方なまりが聞こえました。その女性はとてもユーモラスで、演壇の横で体を動かしながら、運動のポーズを取りました。その姿に、会場は笑い声と拍手が巻き起こりました。
師父が講習会の終了を告げられると、多くの人が会場を離れるのをためらい、私もそうでした。みんなもっと師父と一緒にいたいと思っていました。師父は演壇の右側に立っておられて、皆に向けて法輪を回されました。私は涙が止まらなくなり、本当にその瞬間が永遠に止まってほしいと思いました。
師父と過ごしたその光景は、私の心に永遠に残っています。